Minako Amamiya

雨宮美奈子、美徳はよろめかない

わたしはセクサロイドに嫉妬する

ブログを書きたいけどテーマがないなあと思って、ふとTwitterで何について書いて欲しいか募集してみたら「性交渉用ロボットと旦那がイケナイことをしたらそれってどうなのよ」論争についてのネタ振りをされたので、今日はそんな話をしようと思います。

 

まずそもそも、わたしはとても潔癖な人間です。

普通に浮気は論外ですが、旦那が普通の風俗に行くことも完全にアウトです。セックス用のロボット(ここではセクサロイドと表記を統一しますね)も個人的にはアウトだと思ってます。うーん、この感覚、厳しいほうなんですかね〜。

 

で、セクサロイドはアウトなんだよねと旦那に話したところ、「え〜、いいじゃん。だってロボットだよ?そういうビデオに機械がついて連動しただけだよ?」と言われたので、うっかり「あれ?それならいいのかも?」と一瞬思っちゃったわけですが、待て待て、違うぞと思い直しました。

そう、セクサロイドは高度な性玩具とはワケが違うと思うんですわ。むしろ、わたしの中では、人間の風俗よりもタチが悪い

 

たとえば風俗は、分かりやすい消費です。
下手すりゃ、終わったあとはその子の源氏名さえも覚えていなかったりもする世界ですから。でも、ロボットは違う。多分きっとね、名前を覚えてると思うんですよ。それがロボットの物珍しさゆえ、などが理由であったとしても。

 

旦那の解説を借りると、風俗は物質的で(安い風俗も横行してますからね、もはやそれが主流ですし)、アダルトビデオは物語的(偽物だけど演技をしますし)

とすると、セクサロイドはどちらかでいえば、物語の側に寄ってるのではないかという解釈ができます。初音ミク的なものになると思うんです。

すると、単純に物質的消費かのような風俗より、物語性があってその子に愛着を覚えたりするのではないかと思うわけです。刹那な存在である、ロボットとの甘い時間。ロボットには、もうそこにいるだけで物語がありますからね。それが憎い。

 

どこかの風俗で知らない人間の女をうっかり抱いているのもかなり嫌だけど、彼の脳内の中で少しでもキャパを占める存在になりうるセクサロイドのほうが、わたしは嫌だという話。

根深い嫉妬の話ですねぇ。てへぺろ。

 

こう書いているとなんだか矛盾しているかのように聞こえてきますが、人間(風俗嬢)のほうがもはやロボットよりも簡単に性的に消費される時代がきているように個人的に感じています。

だってロボットが何かひとつするたびに、それが予想通りの答えでも予想外の答えでも、人間がやる以上にいちいち反応してもらえるじゃないですか。新鮮だし。(実際に初音ミクがそうだったじゃないですか)

つまり、わたしは人間だからそういう意味ではロボットに永遠に勝てないんですよ。風俗嬢もですけど。何やっても新鮮じゃないから。

だからわたしは猛烈に嫉妬します。ロボットに。セクサロイドに。

 

あと最後にひとつ言いたいのが、セクサロイドとイケナイことをして喜んでいる旦那の姿を想像すると、普通にちょっと悲しい気持ちになる予感がするからやめてほしいってのはあります。物語性、文脈を愛する我が夫ならやりかねないんですけどね。

それで喜んでんじゃねーぞ、おいこらみっともない!みたいな感覚です。ちょっと気持ち悪いですもん。

 

現場からは以上です。旦那よ、反論があればどうぞよろしく。

 

夏が来そうね、そうね、日焼け止めの話

気がつけば6月、テレビでは梅雨入り宣言が聞こえる今日この頃。まもなく梅雨もあけちゃって、きっと真夏がやってくるのね、一年の折り返しは早い。

だけども奥さん、知ってましたか。夏の紫外線は既に4月からピークを迎えているってこと。おー、こわい。

 

近所に寝転んでいた猫を見ていて思うのも、紫外線のことばかり。いいねぇ、お前はシミの心配をしていないんだろうよ。可愛い顔で寝転んじゃって。うらやましい。

 

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照り返すこの日差しも何もかも憎いけれど、いつまでも自宅警備員やってる場合じゃない。たまには外にだって出なくちゃなりません、これでも社会的な生き物なんだもの。

ってことで今日は、日焼け止めの話。男の子もちゃんと読んでくださいませ。

 

美容が好きなわたし、随分と日焼け止めが見つからずに漂流してましてね。何がアレって、わたしがわがままなんですよ、根本的に。

 

SPF(日焼け止めの効果の指標)の高い日焼け止めじゃなきゃ不安になるからいやなのに、SPFが高い日焼け止めはなんてったってベタつきがすごい。モノによっては、ガビガビになりません? だからどうにもこうにも、日焼け止めでこれというものに巡り会えない。

 

ちょっと話がそれますけど、ガビガビになると言えば、ドラッグストアで398円くらいで売っているSPF50の日焼け止めは、だいたい振るタイプだったよね。カタカタって音がするやつ。あの2層式?のやつは、お肌に悪くてこの年齢じゃもうお話にならない。(でもね中学生の時は体育祭の時期にお世話になりました、感謝してます

 

んで、紆余曲折。デパートコスメも試しましたし、ドラッグストアで5000円近くするいいやつなんかも使いました。いろいろ使ってみても、しっくりこない。てやんでい、私はもう大人だ、お金は持ってるんだ、ってコスパを無視してもこれというものに巡り会えず。

 
んでね、最近やっと見つけたんですよ。運命の一品。
知人の化粧品会社の社長である、のぐたくさんがオススメしてるツイートで偶然の出会い。ラピスラズリ、というところの日焼け止めなんですけどね。 
ラピスラズリ LLサンスクリーン (日焼け止め) SPF40 PA+++ 30g

ラピスラズリ LLサンスクリーン (日焼け止め) SPF40 PA+++ 30g

 

 

もうね、これがあまりによくて、勝手に広報部長だと自負してTwitterやLINEで友人に宣伝しまくっていましてね。(しかもそれをTwitterでやってたら、これを作っている社長さんから感謝リプライ飛んできて驚いたりするほどでね、もはや回し者ですね……) 

 

 

もう回し者だと言われてもいいので、いいところをざっと列挙してみますね。

まずは汗をかくこの季節に嬉しい、ウォータープルーフ。SPFは40もある。なのにクレンジングいらずで石けんで落とせる。これ、すごくないですか。

着色料、合成香料、紫外線吸収剤、石油系界面活性剤、シリコン、パラベン、エタノール無添加とかそのへんは無添加!(雑な説明でごめん) つまり肌の弱い敏感肌のわたしでも無問題で使えますし、お子様がいる人は一緒に使えるわけです。

カサつきやベタつきとは無縁。日焼け止め独特の匂いもなし。それどころか、高知県産の柚子の精油を使っているので、ふわっと柚子のいい匂いがします。人工的じゃないのが嬉しい〜

 

あと個人的に、ポンプ型になっていて(つまり中身が酸素に触れないので劣化しないようになっていて)、劣化を気にせず安心して使えるところはめちゃポイント高いです。のびもいいし、ほんともう言うこと無し。

あーーーもう、うまく言えないので詳細読みたい人はこっちを読むのじゃ!

LL Sun Screen | Lapis Lazuli

 

いや〜。巡り合うまでが、長かった。手帳と日焼け止めだけは、毎年いつもしっくりと決まらなかったのだけど、これで日焼け止めはもう悩むことがなくなりそうで。

9月はしばらくシンガポールに帰省するので、その時には絶対忘れないようにしなくては、というかんじ。

 
紫外線って、今は良くてもあとあとボディブローのように効いてきて、おばさんになる頃に「なんで若い頃のわたし、ちゃんとやっておかなかったんや!!!ばかやろう!」ってなるものなので、今のうちからちゃんとケアしておきましょう。これマジで。
 
ソースは、うちのおかん。ドモホル●リンクルで今、絶賛戦闘中の母上や。
 
 
ということでそこの日焼け止めに悩む君! 悪いことは言わない、これ買っとけ。マジで。心から勧められない商品、書かない。雨宮美奈子、嘘、ツカナイ。(いやほんとうに)

 

ラピスラズリ LLサンスクリーン (日焼け止め) SPF40 PA+++ 30g

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途中からなんか文体変わっちゃったけど、この夏を華麗に乗り切るために、お互い頑張りましょうね、そうね真夏が怖いね、アデュー。

 

早稲田の道を歩けば

ダーリンは早稲田卒。

ということで、彼の青春時代を過ごした街である早稲田〜目白を案内してもらったのが昨日の話。

 

メルシーというラーメン屋に行きましてね。早稲田生ならみんな知っているらしく。

わたしは博多育ちの豚骨派なわけで、醤油ラーメンがあんまり好きじゃあないんですけれども、ここのは驚くほど美味しくいただきました。スープほとんど飲んじゃったよ!!!

 

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食べた瞬間に「塩辛いな」と思わせられるのは一瞬で、あとはズルズル、ゴクゴク、あっという間にごちそうさまでした。ぺろり。

早稲田の学生と思わしき学生が多く居て、自分の知らない他大学のそういう「そこの大学ならでは」なカルチャーや店に触れるのが新鮮で大好きなわたしとしては、本当に最高の店でした。

 

自分のいた大学と早稲田大学が単位互換をしていたのもあって、しばらく早稲田には単位を取るためにいたこともあったんだけども、知らなかったよメルシー。初めて知って、好きになりました。

 

ふと見てみると、紙ナプキンにはこんな文字。

 
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これって自衛隊が無料で配布しているティッシュなのかな…などとその不思議なリクルート戦略を考えつつ、早稲田生の愛する店を後にし。他にも喫茶店などをめぐり。
 
 
 
彼のいた男子寮にある、細川邸を眺めるなど。
 
 
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人生で一度も寮に入ったことがないわたしとしては、京都大学の吉田寮(実は泊まったことあり!)など、寮カルチャーは憧れの存在。次生まれ変わったら、入ります、寮。
なんだかとてつもなく、若く怠惰なエネルギーが溢れていて、好きすぎる。
 
この寮には村上春樹なんかもいたらしく、ノルウェイの森の寮のシーンはここからなのか、などと思いを馳せました。やれやれ、僕は感動した。
 
 
目白では、とっても素敵なケーキ屋さんを紹介してもらい。
 
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エーグルドゥース

食べログ エーグルドゥース

 

美味しいスイーツに心がときめきメモリアルしました。

ナッツとチョコレートの塩梅が最高だ〜! 個人的には今のところ、東京で一番好きなスイーツ屋さんになりました。(ちなみにダーリンはイデミスギノ派だそうです)

 

高田馬場のロータリーでは相変わらずに学生が溢れていて、エネルギーを感じる街でした、早稲田&高田馬場。

ちなみに高校生の頃に飛行機に乗ってまで早稲田のオープンキャンパスを見に行って、駅に降り立った瞬間、学生ローンの看板が大きく見えてショックを受けたのは懐かしい話。どんな街なんだここは、とびっくりして福岡に帰った17歳のわたしよ、お前は結局早稲田にはいかなかったぞ。

 

だけどもいいよねぇ、都の西北。

ここで過ごしていたらどんな人生だったのだろう、なんてことを楽しく考えながら、ダーリンの愛する街に彼の青春の面影を感じたのでした。

好きな人の青春を一緒に追憶してみるの、とってもよかったです、まる。

 

【美容】ブラジリアンワックスの良いところを語らせてください

ブラジリアンワックス、を知っていますか。

美容に詳しいそこのあなたなら、もう知っているでしょう。

今日はブラジリアンワックスについて、誰にお金をもらってるワケでもないのに勝手に語ってみようと思います。

 

名前の通り、ブラジルのリオのカーニバルなどで極小ビキニを着る女性のための脱毛ワックス法である、ブラジリアンワックス。

要するに温めたワックスを肌に塗り、ベリっと剥がすことで毛を一気にごっそりと抜き去る脱毛法です。VIOゾーン(つまりお股からお尻の穴までの毛)をキレイサッパリにするのに適しており、その利用が一番多いとされています。

 

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脱毛法が脱毛法だけに、そして箇所がデリケートな箇所だけに、そう、痛みは尋常じゃありません

「ウォ!」「グヴォォ!」みたいなワケわからない声が出ます。本当の話です。美容のためならば、手段は選んでられません。まさに女の意地、それがブラジリアンワックスなのです。(ちなみにサロンによっては男性も施術できるところ多いですよ)

 

でも下の毛がキレイさっぱりなくなると、これがもう最高に気持ちがいいのです。

つるっつるの手触りは、カミソリや他の脱毛法では叶いません。短ければ10日から2週間くらいでまた毛は生えてきますが、だんだんと回を重ねるごとに毛は薄く、弱くなっていき、痛みも消えていくとされています。

 

福岡にいた頃から、時々思い出しては通っていたブラジリアンワックス。久しぶりに、東京に来て初めて施術していきてもらいました。銀座にはたくさんあるんですね。

 

終了後はずっと自分の股を触っていたくなるほどに(変態みたいですね……)、つるつるになり、本当に気持ちが晴れ晴れとするので、これは一種の美容ドラッグだなーと思っています。

言い方が変なのですが、小学生の時の自分のお股を思い出すワケです。懐かしい、ってのが初めてやったときに感じる第一印象になります。ほんとうに。

 

でも、温泉のときが大変なんですよ。

若いひとは理解あるし知っているひとも多いのでいいのですが、おばちゃん達がぎょっとした顔で私の股を見つめてくるのがわかります。20代なのに、お前、毛はどこだ?ってな感じです。視線は全て、お股に集中。もはやこれは羞恥プレイ。それでもなおそれに勝る魅力があるんです。

 

まず、月経の時がとてもラク。汚れなどが毛につくこともなく、快適に過ごすことができます。わたしは感じないのですが、月経時に下着がムレるタイプのひとはドンピシャで効果あるようです。

 

次に、下着から毛がはみ出ません。当たり前のことなんですが、別に誰に見せるワケでなくとも、下着から毛が出てるのは見た目にも気分的にもよくないのでこれが解消できるのは、本当に気持ちが良いもんです。最近の下着は表面積が小さいので(と、わたしは思ってる!!!)、これが完全に出なくなるのは気分上々⤴︎(by mihimaruGT)ってなかんじです。

 

この2つの理由だけで気分は最高です。他の脱毛レーザーのように、光脱毛のように、少しずつ通ってなくすのもいいと思うのですが、瞬時にその日になくなる、ってのはこの脱毛法ならでは。たまらんですよー、サロンの帰りの清々しさったら。

衛生的で、見栄えが良くて、気分も良い。試してみる価値はありありだと思います。

 

何度もサロンに通って、こんなもんかと分かったら、セルフでもできる道具もありました。(危険なので自己責任でね!)

脱毛ワックス満足度No1 シェリークリア

 

場所が場所だけに参考画像とかのせられないんですけど、自分で是非検索してみてください。

 

ブラジリアンワックスはいいぞ!!!!!

 

 

 

 

www.minako-amamiya.xyz

 

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ひとに寄り添うということ

ひとに寄り添うことは、難しい。

当事者でもないのに、他人の気持ちがわかるだなんてことは不可能かもしれない。他人に「あなたは大変だね」なんて言ったところで、そのひとの本当の気持ちには決してたどり着けない。だけども、それでも。わたしはひとに寄り添いたい、と思うのである。

 

シンガポール人と日本人とのハーフであるわたしは、日本語が話せないことで、日本の習慣や文化がわからないことで、イジメを受けたことがある。

それだけなら、まだいい。シンガポールにいれば「日本人だ」と言われ、日本にいれば「外国人だ」と言われ続けた。言語も文化も中途半端なわたしの母国はどこにあるのだろう、居場所はどこにあるのだろう。アイデンティティが揺らぐこの深い苦しみは、親にもわからぬものだったようで、わたしは随分と長い間苦しんだ。

 

もしも、そんなときに。うまく言語化できなかったこの気持ちを、誰かがうまく伝えてくれたなら、誰かがまとめてくれたなら、誰かが寄り添ってくれたなら。

どれだけ嬉しかっただろう。救われただろう。未だに強く、そんなふうに思うのである。

 

話は変わる。わたしの周りには、様々なひとがいる。

自身がLGBTであることに苦しみ、それを理由に親と絶縁した友人は、笑いながら親に会いたいな、就職しづらいなと言いながら酒を飲み、交通事故で亡くなってしまった。

眩しいほどに才能があふれているにもかかわらず、いつまでも自信のなさにとらわれてしまう精神疾患と戦っていた後輩は、数年前に自らの手でこの世を去ってしまった。

他にも多くのことで苦しんでいる人がいるが、特にこのふたりはわたしに大きな影響を残している。

 

彼らに、もっと寄り添うことができたならば。言葉を、聞いてあげられたのならば。または、どこかの言葉を伝えてあげることができたのならば。

 

もしかすると、ほんの少しでも何かできるのかもしれない。できたのかもしれない。だってだって、世界はこんなにも可能性に満ちているのに、どうしてわかんないんだ、ばかやろう。

 

過ぎたことは取り戻せない話だとは、とっくにわかっている、知っている。結果としては何もできなかったとしても、第三者からは自己満足と言われても、それでもわたしは寄り添いたい。せめて、これからは少しでも悩んでいるひとがいれば、わたしは他の誰になんと言われようと、寄り添って話を聞きたい。いや、聞く。

 

 

どうにかそれができたならばと強く思っていたところ、先月soarと出会った。

soar(ソア)|人の持つ可能性が広がる瞬間を伝えていくメディアプロジェクト

 

様々な人の持つ可能性が広がる瞬間を捉え、伝えていくメディアであるsoarの説明文を読めば、

 

本来、人は誰でも自分の内側に高いエネルギーを持ち、可能性に満ちています。
ですが、世の中には様々な要因から、その可能性にふたをされてきた人たちがいます。

一方で、世の中にはこうしたふたを開けようと、 デザインやビジネス、アート、テクノロジーなど、様々な手法を用いて活動している人たちがいます。
ネガティブだったものをポジティブに転換し、 これまでとは異なった新しい関係性を構築しようとする動きが、 世界中の至るところで生まれているのです。

「soar」は、こうした事例をリサーチし、様々なかたちで発信していくことで、
同じ願いを持つ人たちが集う場を生み出し、 誰もが自分の持つ可能性を活かして生きていける未来を創ります。

 

と書いてある。わたしはこれに打ちのめされた。

インタビューを読めば、まさにわたしが欲しかった、知りたかった情報で溢れていた。

 

どんなひとにでも可能性は満ちている、そんな当たり前のことにどうしてみんな気付けないのだろう、それを打破するにはどうしたら良いのだろう。その答えが、ここのインタビューにあった。

みなさんにも、是非とも読んでほしい。

 

そんな活動をしているsoarに、ご縁あって先月からジョインしている。まだまだsoarに対して何もできていないわたしではあるが、今日ここまで自分の気持ちを語ったのには理由がある。

現在、代表の工藤が貯金を切り崩しながら行っているというこのsoarの活動に、ぜひとも応援をお願いをしたいのである。

 

www.makuake.com

 

クラウドファンディングで資金集めをしている今、うまくいけばさらに多くの人々の可能性を広げる活動ができるようになることは言うまでもない。

すべての人の可能性は満ちているし、広げられる。シンプルだけど、まだまだできていないこのことに、少しでも共感をしてくれた人はお金を少し出すでも、シェアするでも、せめてこんなサイトがあるのだということを心の中にとどめておくでも。どうか、ぜひに。

 

世界は広くて、感動することもあるけれども、わたしたちひとりひとりができることは意外と少なくて。ときにはそんな事実に打ちのめされそうになることもある。それでも、負けずに寄り添い続ける。発信し続ける。凛と、未来を見続ける。

そして、可能性を広げていく。それが絶対にできるとわたしは信じているし、諦めたくない。だからこそ、わたしはsoarに参加している。そして今日もひとに、寄り添っている。

 

 

最後にちょっとおまけ。そんなsoarが、5月24日火曜日に東京にてイベントを開催する。

soar-world.com

 

素敵なパーティーの時間もあるこのイベント。時間の都合がつけば、あなたも是非に!

立ち止まるとき

人生、色々あるもんです。雨宮、雨宮美奈子です。選挙運動かのごとく、本日も手を振って登場いたします。

 

ということで、近況報告をば。

 

ざっくり言いますと、身体を壊してしまいました。あちゃちゃ、やっちゃった、ってな感じです。

胃が悪いなあ、悪いなあとは思っていたのだけれども、検査に行ってみたらば、自分が思っていた以上に深刻な結果を突きつけられて、若いからって無茶できないなあと思ったのが最近思ったことなどなど。

 

胃カメラをしている画面に、ピンク色の美しい胃ではなく、予想外に血の海が映し出されたときは、なんだこれは!と思いましたよ。身体は資本、ほんとうに。

あと、精神的なものもやってしまい、もしかすると25歳、今、立ち止まるときなんじゃないかなと思っています。

 

仕事でも一区切りをつけて、どうにかこうにか新しい一歩を踏み出すときが来たんじゃないかと。自分にはフルタイムで働くというのがあまり向いていないようだったので、これからの生存戦略をもっと考えていかねばと思っています。

 

でもまずは、身体を治すところから。しばらくはみなさんと美味しいお酒の席も共にできないとは思うのですが、そんなときはウーロン茶で乾杯させてください。お仕事の相談とか、どんどんのってほしいです。

 

東京に出てきてから1年足らず。自分の人生、どうなるかわかんないもんですね。最愛のひとが一緒にいてくれること、大好きな親が東京にまで会いに来てくれること、そんなことを楽しみに、糧に、今日もこの都会を生き抜いています。以上、雨宮美奈子でした。

友人諸君はお見舞い、お待ちしております。

 

▼noteもやってます▼

雨宮美奈子 (areyoume)|note

だって私たちは幸せに見られたいのだ

SNSで毎日のように繰り返される戦争。そう、あなたもきっと体験しているはずです。

いかに美味しいものを食べたのか、オシャレなものに触れているのか、人より一足早く展示会で服が買えたのか、はたまた素敵なパートナーと過ごしているのか……ホットヨガしながら、グリーンスムージー飲んでいる隣のあの子に対して、嫉妬したり勝ったと思ったり。

SNSのこの時代、わたしたちはそんなマウンティングに忙しいわけでして。

 

さてこんな時代に、果敢にもこんなキャッチコピーの雑誌が発売されました。

 「だって幸せそうに思われたい!」という女性誌のコピー。こちらがネットではまさに賛否両論。

 

このSNS大承認欲求時代に、このコピー。わたしは欲求に素直で、真理をついているのではないかなと思います。

ねえ、素直に認めましょうよ。

 

このコピーに「こんなこと言わないでよ」と過敏に反応する読者たちは、つまり「不幸そうに見えるよ」と言われているかのようで ムカッとするのでしょうし、読者じゃない外野から見ると「え?そんなこと思われたいなんて、マジで口にするわけ?ぷぷぷ」ってことだと思うわけです。

 

いいんじゃないかなあ、もう。この欲も認めていきませんか。だってそりゃカッコいい暮らししてて、いいね!をたくさんもらえた方が嬉しいし、自己承認欲求みるみる満たされるゥ〜でしょ。そりゃそうだ。

幸せに見られたいって思いますよ、わたしは声を大にして言います。隣のあの子より一歩リードしていたい、向こう岸のあの子には叶わなくても、隣のあの子には、って。そりゃもう、私生活を切り売りしてSNSで見せまくっていることが当たり前のこの時代においては、当然の欲求じゃないですか。この欲が美しいかどうかは、ともかくとして。

みんな、ちょっとは思うでしょう?

 

だけどもね、わかりますよ。ええ、ええ。
ハリーウィンストンの婚約指輪をドヤ顔でFacebookに投稿しているあの子は、果たして本当に人に見せるためにじゃなく「ちゃんと素直に」喜んでいるのかな、なんて。「久々に女子会」ってアップしているあの写真は、実際に盛り上がったかどうかはどうでもよくてただ載せているだけなんじゃないかな、なんて。そういうモヤっとした気持ち、のことですよね。

 

SNS用に塗り固められた虚構とリアルな現実を行ったり来たりしているうちに、どこかで人の気持ちを踏みにじっていたり、誰かを傷つけていたり、人にアピールすることを優先するがあまり何かがおろそかになってしまっていないかって。そこが最も、素直にこの幸せに見られたいのだという欲求を認められない、妨げになっている気がします。

でもね、例えばわたしなんて、本当に日々に感謝して幸せだって素直に思うわけですよ。ひねくれなさすぎでは、って思うかもしれませんが、それは本当に思うんです。

 

「本当に幸せな人間は、SNSに登場しない」という言葉を聞いたことがあるのですが、それは違う、にわたしは一票を投じます。だって、わたしSNSに投稿するけど、投稿しないことも多いし、普通に幸せなんです。

幸せだって自分で言っちゃうこと、そんなに悪でしょうか。そう思い込みたいから言ってるんじゃないですよ。でもそう思い込みたいからいうってのも、別にアリじゃないです?

 

自分の私生活をちょっぴり見せて、それでいいね!をもらう、ここまで含めて楽しんで「幸せ」な形もあると思うわけです。それもまた、この時代を象徴する幸せの形のひとつ。

幸せそうに見られたいって、素直に思っていいじゃない。だって幸せなんだもの!

と、ドヤ顔していきたいです。ここまでみんなが突き抜けていれば、多分この議論はそもそも生まれなかったんでしょうけども。

だって幸せだし、幸せにみられたい気持ちもあるし。でもまあ、ときには嫉妬もするけれども。そんな気持ちの中に揺れているわけです。そして今日もまたSNSを開いては他人の生活を眺めては、わたしたちは忙しくするわけです。いいじゃん、ね。

 

▼noteもやってます▼

雨宮美奈子 (areyoume)|note

ペンは持った瞬間に武器となるんだ、馬鹿野郎

物理的にペンで人を刺せるって話じゃないですよ、もちろん。あ、念のため。(でも多分刺せるよね)

 

政治の献金を暴いたりする記者もそう、小さな恋愛コラムを書くひともそう、ペンを持って何かを文章とした瞬間に、人は武器を持つんです。その武器で、人は傷つけられたり傷つけたりします。それはとても鋭利なもので、ときに人を文字通り「殺します」。

 

だからこそ、中途半端に「社会学」やらば、「フィールドワーク」という言葉をドヤ顔で盾にして(学問っぽい言葉を使えばいいと思ってるんでしょうか)、ズカズカと別世界を見下してきたり、はたまた踏み込んで弄り回されたら、その世界にいる人間からすればたまったもんじゃあない。勘弁してくれ、と思うんです。わかりますか。

 

たとえばわたしは、自他ともに認めるマイルドヤンキーです。

大学時代なんて特にそうで、ジャージ姿でEXILEを聴きながら、黒いワンボックスの軽を運転し、イオンに向かっていた人間です。恥ずかしげもなく言いますが、俗世間っぽいものが好きです。恥ずかしく無いので言いますけども。

 

とある人が、まあ、北条かやさんという社会学者(?)みたいなひとらしいんですが(?をつけたのはその肩書に疑問を持ってるので…)、「マイルドヤンキー文化に憧れる」「わたしもそうなりたかった」なーんて内容をインターネットにアップしたことがありましてね。

 

call-to-beauty.com

 

ま、こちらはアクセス数になるのもかなり癪なので、こちら自体は別に読まなくていいですが、もうタイトルで察してください。バカにするのも大概にしてくれませんかね、という気持ちになります。

 

ヤンキーな彼氏を待つ女に憧れるぅ、なんて語り口調なんだけど、社会学という名の勉学を装った道楽でキャバ嬢体験をしたお嬢様には、実際にはヤンキーな男に好かれたって付き合う気もないんでしょう。なのにこんなこと書いて、わたしってこういう文化もわかるのよね、と気取るのはやめていただきたい。

ま、本当はヤンキー男などではなく、賢い教授あたりがお好きなんじゃないでしょうかね。

 

それにうっすら反論したくて、わたしは過去にこんなツイートをしました。

 

 

(書き方を間違えて彼らって書いちゃいましたが、わたしも含まれています。わたしら、です) 

 

ってな感じで、この時は「むかつくなーこのひと」くらいで済んでたわけなんですけども、最近になってこの北条かや氏がまたこんな日記をアップしまして。

 

※ 最後の決意の自撮り、がどう見ても男にしか見えないのは私だけじゃないはず。

 

んで、いまはもう消しちゃったようなんですが、この人、その直後に飛田新地に面接に行って、受かったけど怖くなって逃げ出した、というようなツイートをしましてね。

もうね、馬鹿野郎、と思いまして。

 

マイルドヤンキーのときは、まだ見下げられているだけなのでいいやと思っていたんですが、飛田新地となるとはたから見ていても話は別。

おいお前、何やってんねん。飛田新地ってのは、それなりの覚悟と決意を持ったひとが行く場所であることは、素人のわたしでも分かります。

そこをズカズカと踏みにじっておいて、逃げちゃったわぁ〜、というのは飛田新地に働く方々に、失礼すぎやしませんかね。

 

それがフィールドワークなんです、調査なんです、といったところであっち(飛田新地)からすれば、からかいにきた邪魔な姉ちゃんの一人でしかなく。これはTwitterで風俗関係の人を中心としながら、大きな議論となりました。

彼女にとってはこれが、リスクをとってる私すごいんでしょう、ということなんでしょうけど、そんなのリスクでもなんでもないですし、というか別にすごくないですし、やらないでくれたほうが世界は平和ですからね、と声を大にして言いたいです。

その後に、フォロワーに「もっと清潔な人だと思ってました」といわれたら「調査ですよ〜」と返しているあたりに、自分はそうじゃないというのがにじみ出ています。

 

あなたがやっているのは、中途半端に自分の知らない世界に飛び込んで、そこで知った上澄みだけを「フィールドワークで得た知見」として文章にまとめているだけのこと。だけどその文章は、あなたが一瞬で逃げ去った世界の人間の心を刺しているんです。

見下した心が透けて見えるその文章は、「わたしすごいんです」、「でもわたしはこんな世界には調査で踏み込んだだけで、実際には行くなんて無理ですけどね」というメッセージがこもってるんです。

 

そんなメッセージはこめたつもりがない、は言い訳ですからね。逃げないでいただきたい。ツイートを消したからといって、これは終わりじゃ無いんです。

 

あと、風俗関係者に詰め寄られた時は「わたしだってキャバ嬢をやったんだから、あっちの気持ちはわかる」的な反論をしてましたが、キャバ嬢と飛田新地はまた話が別物なのも書き足しておきます。(そしてあなたは追いつめられて夜の世界に飛び込んだキャバ嬢でもなかったんでしょう、ということも書き加えておきましょう)

 

不幸自慢になるのでわたしは多くをここに書くことはしませんが、たくさんの苦労をしてきました。今でこそ、実家のお金関係も落ちついてそれなりの贅沢もできるってもんですが、追いつめられた時に絶望を見た側の人間です。

そう簡単に、隣の世界の出来事を上から目線で眺めて、一瞬だけ足をつっこんだふりをして、中途半端に文章にまとめて発信しないでいただきたい。それはわたしたちを殴る文章です。多くの人が傷つきます。

 

ちなみにこの発言等は炎上し、連鎖した後になぜか、雨宮まみ氏の作った言葉である「こじらせ女子騒動」にまで発展し、別炎上にまでつながっていくのですがそちらについては、意見を控えさせていただきます。

 

ただそのときに、「死んでお詫びします。でも死ねませんでした」とツイートしてる北条かやさんには、リスクも覚悟も最初からなかったということがよくわかりました。ひどい発言ですね。

でもそれと同時に、北条かやさん、あなたが証明しました。

 

北条かやさん、あなたが死にたくなったことがまさにそう、文章は人を傷つける武器となることがある、んですよ。

 

それをちゃんと覚えておいてください。あとマイルドヤンキーについては京大院ご出身だからからかもしれませんが、見下げるのもほどほどにどうぞよろしく。

 

 

▼noteもやってます▼

雨宮美奈子 (areyoume)|note

化粧でどうにかなるブスとそうじゃないブスがいてだな

もちろんはわたしは、後者です。だけども美肌アプリに今日も支えられているおかげで息をしています、どうもこんにちは雨宮美奈子です。

 

最近、すごく肌がぷりっぷりな美しい25歳(同じ年齢)女子に遭遇したところ、聞けばファンデーションを何重にも塗っているというではないですか。

なるほど、作り物で美しい肌なのか、と納得をしたのもつかの間、別の日に「お肌きれいだね」と男子に褒められた際には「えー!何も塗ってないのに〜♡」と言っていた彼女を見て、なるほど、ウソも時には大事なのだなと気付かされました。(わたしのカワイイ素直過ぎる生き方、改めますね!)

 

わたしは正真正銘、ファンデなしで生きています。だけどもそれが最近、耐えられない肌になってきたような気がしていて、CCクリームをうっすら塗り始めようとしております。はー、こう書くと年齢だねぇ、25歳だねぇ。

 

ま、肌はいいんですよ。今回のお題は化粧でどうにかなるブスと、そうでないブス。造形の話です。

 

これ何が違うのかなって今日考えてたんですけど、

目がブスな人はどうにでもなりますよね。すぐに変えられるので、男の人は容易に『君の目が好きだな』な〜んて言わないこと。お気をつけて。二重にして拡大して、形を変えるのは簡単極まりないのですね。

 

それよりも、どうにもならない骨格問題。

エラはどんなにシャドウを入れても、消えやしません。それどころか、入れ過ぎると、うっかりすっかりデーモン小暮閣下。これ、何度やらかしたことか……。骨格ブスは、美容整形以外に手がないんでしょうかって、思います。

 

だから化粧でどうにかなるブスってのは、一重の感じだったり、肌が汚い子。どうにかならないブスってのは、骨格がやばい子。んでこの骨格がどうにもならないので、わたしはもうダメです。エラに注射打ちたいな〜、骨削りたいな〜。

 

 

最近は美容整形に結構ポジティブな印象があって、

なぜかというと、Twitterで美容整形に夢中な人たちのアカウントをまとめてフォローしてみているアカウントを作ったんですよ。それを眺めていると、整形した途端、まあなんともごきげんで楽しそうなこと。見ているこっちが嬉しくなりそうなほど。

ま、風俗嬢多いし、なかなかヤバめではありますよ。皆さんも気になったら見てみるがよろしいです。

 

よくある意見で、親からもらった身体にメスを〜なんて言葉もまだまだ根強くありますが、それ以前に自分の容姿で苦しんで自殺未遂とかしてた人がいっぱいいるもんで、命救われるなら全然ありではないかと思うんですよね。容姿に生きづらさを覚えてるのって、まあその子のこだわりもあるかもしれないですけど、他者からの扱いや言葉によるもので、つまり社会のせいだったりすることも多いし、許したげ〜て〜な。

 

わたしもさすがにメスを入れるとまでは……ちょっと、いや、ちょっとじゃないな、かなり抵抗感あるわけですが、既にピアスが11個あいているもんですから、今更メスも何も、と思っている側面もちょっぴり、ほんのちょっぴりはあるんですわ。(何も言わない両親マジ感謝)

 

化粧でどうにもならない時、美容整形をするってのは、うーん、やっぱり悪とは到底思えない。でも、メイクでどうにかなる場合はできるだけメイクで頑張っておくれ、みたいな気持ちも正直なところかなりあるわけです。

 

ちょっと今回は徒然と見切り発車にこのブログを書き始めてしまったわけですが、美容整形ってそんなに無しなのかねぇ、と雑誌のViViの後半にたっぷり載っている美容整形外科の広告ページを見ながら思ったのがきっかけでした。

あーでも、こういうこと書くと「雑誌で服選ぶみたいな感覚で整形しちゃう子がいるってことね!」みたいなことを言い出す大人がいそうですね。それはやだな、誤解しないでくださいませ。

 

雑誌で訴求するぐらい、やっぱりみんな一度は考えることなんですよね、ってことだけ。特に、わたしみたいな化粧でどうにかならない、後者はね。

地方の大学生にとってTwitterは、東京へと繋がるインフラなのである(と、キンプリの話)

先日、りょかちちゃん(@ryokachii)と会うことがあった。

さすが自撮りで有名になった女子大生だけあって、インカメラで撮影してもらうと可愛さが際立つ。(わたしは相変わらず顔が丸いし、歯を見せて笑顔を作ることしか出来ないので、自撮ラーへの道のりの長さを感じる)

 

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年齢は違うが、地方の国立大学同士ということで、いちばん共感できた話題がTwitterの重要性だった。Twitterがある時代に地方大学生だった僕らは、東京への繋がりをここに求めることが出来た。会いたい人や、気になる人、東京のそんな人はTwitterで簡単に見つけることが出来る。

 
会おうと思えば、リプライを飛ばすことで会えることだってある。

タイムラインを東京中心にフォローすれば、地方にないイベントをインターネット越しにではあるものの感じられることもできるし、イベントが有ることをそもそも知ることもできるから時間とお金さえ都合がつけば行けたりもする。

 
そこで出会った人や、思い出は本当に財産だ。
地方の大学が悪いということはない、ただ、様々な刺激や出会いが欲しい場合は物足りないのだ。その場合のTwitterは、まさに東京へと地方大学生を繋げ、チャンスを与えてくれるインフラであると言える。
 
今、東京に住んでいて、したい仕事についたきっかけや、ダーリンに近づくきっかけになったりしたのは、思えばほとんどTwitterなのだ。だから、インターネットがなければいまのわたしはなかったのだろうと強く思う。
ありがとう、インターネット。ふみコミュの時代から愛しているよ。
 
それについては下記でも話していますのでよかったら。
 
 
んで、最近インターネットで話題のキンプリを観に行ったことも追記しておく。
KING of PRISM、略してキンプリはいま話題の映画で、この応援上映というのがすごい。映画館で、サイリウムを振りながら絶叫しながら応援して鑑賞するのである。
 
これに関しては、上映に連れて行ってくださった伊予柑兄さんのこの記事が必見である。いや、本当にすごいんですよ。
 
映画予告編でコナンの予告編が流れるだけで、決まったペンライトの色になり、コナン〜!との声が飛び交うだけで既に異常な事態。映画が始まったら、ドリンクを飲む暇などないほどに盛り上がる。これは初見だと衝撃の光景だ。
 
ここは映画館じゃない、と思った。アイドルの劇場だと思った。わたしはBLを全く通らず(むしろ若干の嫌悪をしていた)にきた人間なので、すべてを理解することは難しかったが、たくさんの映画のオマージュを感じてそれは素直に笑うことが出来た。
一度見る価値がある、とは断言しておく。
 
映画館に行くと、偶然にもねとぽよの方とお会いする事態に。
みんな、気になるんだね、キンプリ。
 
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ということでそんな感じで最近は生きています。最近は仕事のピークがきておりますが、体調管理頑張るけんね。

自分探しの旅から帰ってこいよ

自分ができること、やりたいことと、そしてやるべきこと。

この3つは違う。

 

ああもう。それを理解するのに、わたしはどれだけの時間を費やしただろうか。

 

25歳になったわたしは、自分のしたいなあと思う、ぼんやりとしたやりたいことはあって、それとは別にできることやら得意なことも分かってきた。ただ、わたしにしかできない、やるべきことがわからず、そこだけは宙ぶらりんになっていた。ぽわっと、わからないままで。

 

この、やるべきこと、というのがまた難しい。

自分にしか出来ない、自分の人生をかけてもやらねばならぬことなわけだが、これが「無い」という人もいる。ただ、ひとは素直にこれが無い場合も、無いことを認めない。だってそれはちょっと、プライドが折られることだから。

 

わたしにはやるべきことはない、ということを認めたうえで歩める人は強いが、そうじゃない人がほとんどだ。

「わたしは、きっとあの子とは違う、他の人とは違うんだ」

その幻想が抜け出さずにいると、いわゆる「なりたいと口にするだけの人」となる。通称、ワナビーってやつだ。

それがあるのか無いのかさえもわからんが、とりあえず自分の可能性は模索したい、なんてことを言い始めると、これは自分探しの旅から帰ってこれない人となる。

これが17歳ならいいけど、わたしゃもう25歳だよ。さすがに自分探しの旅からは、この年令の人は帰ってこいよな。

 

ワナビーのままもいやだし、自分探しのたびにでかけたままの人にもなりたくない。

そう思ったので、自分がやるべき使命はこの世にないのかも。それを認めようじゃないかね。

しかし。不思議な事に人生、そう思った矢先、やっぱりこれがしたかったんだと気づいたりするのだ。遅かったな、わたし、でも帰ってこれてよかった。

ざっくり言えば、そのやるべきこととは、とある本を出すことなんだけど、忘れかけていた。やるべきこと、あったわ。それを忘れて、最近は日々に忙殺されすぎていた気がする。ああ、立ち止まれてよかった。無駄に年令を重ねて、日々を浪費しなくてよかった。

 

そして、それをパートナーに話していくと、より明確に形が浮き彫りとなった。わたしがしたいこと、目指すこと。これだけは成し遂げたいと思っていること。自分一人で抱えているより、身近な人に話すほうがそれは形として見えやすくなったりする。

 

このやるべきことは、昔思い描いていた壮大な夢よりちっぽけなものだったのだけれど、それがわたしのすべきことなのだとわたしには思えた。成し遂げられるかは未知数だけど、成し遂げるしか無い。そう思えることに出会えるのって、幸せだなと思った。

 

わたしの成し遂げたいことは、東京オリンピックまでに形にする。

いや、なると宣言しておきたい。数年後、このブログを見たわたしがほくそ笑んでいるといいんだけど。

 

 

写真はこの前、香港へと向かった際に撮ったもの。

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話せる人見知りはツラいよ

わたしはひどく人見知りです。

 

そう言ったときに、「またまたァ!雨宮さんたら!よく話す人じゃないですか」と返してくる人は、わたしのことをあまり知らない知人です。「そうだよね、ひどい人見知りだよね」と返してくれる人は、よ〜くわかっている友人です。

 

わたくしはですね、初対面の人と合うときに、間が怖いんです。

ちょっとでも、話さない時間が流れることがひどく怖い。すると、とりあえず天気でもどうでもいいことでも、話題をバコバコと突っ込んでいく癖がある。

この時代、会う前にTwitterなんかで相手のことを見ていることもある。そしたらその話題を投げておけばよろしい、と思ってしまうし、共通の知人がいればその話題をとにかく振りまくる。

 

でもね、そんなことをしてしまうとどうなるかと言いますと、別れた後に「うああああああああああああ」って頭抱えちゃうんですよ。どうでもいいことばっかり話しすぎて、きっと中身が空っぽな人間に思われたんだろうなあ、自分のこときちんと伝えられなかったなあ、ああ事実以上にとってもうざったい感じの人オーラ出しちゃったんだろうなーーーーーーーー!

と、まあそんな感じです。最高に自己嫌悪。フォー!

 

人と話せない、人の目を見られないような、王道の人見知りの方はいいんですよ。横にいる人がひとことでも「あ、この子は人見知りなんで気にしないでください」とでも言おうもんなら、周りも「はいはい」ってなるかもしれないんですが、

場をもたせることを覚えてきすぎてしまったわたしは、「場を繋げなきゃ!盛り上げなきゃ!無言こわい!」の一点張りで、どんどこ話題を振りかざしてしまったり、大げさに笑ってしまったりしてみせるのであります。

 

かーーーーーーっ 最悪だァ!

すると「あの人が人見知り?笑わせないでよw」ってな感じになるわけです。元々はそんなに喋るキャラでもないのにテンパっちゃってマシンガントークかましちゃうんで、疲労度ダダ上がり、わたしのライフはもうゼロよ。キャラ作りも失敗するし(ニセのキャラ作っちゃうし)いいことナッシング。

 

いやーんもう、こういうのやめたーい!って思ってたのに今日久々にそれかましちゃったんで、今これを書きながら家にこもってます。

もうダメです。雨宮美奈子、進捗ダメです。わたしは本当は地味なやつだし、知らない人が来る飲み会はとてもこわいし、盛り上げたように見せた後はぐったりして死にたさと戦っております。

 

本当の自分を飾らずに、いいペースで初対面の人に見てもらうのは、ほんとうに難しい。これじゃあ、くるくるとその場で一人で踊り狂っているようで、きっとはたから見ればえらく滑稽。おとなになりたいもんです。具体的な対処法、ないんですけどね……。

 

写真は、今日ランチを食べたシンガポール料理屋さん。非常に懐かしい気持ちになりました。母国に戻って英語で話していると、あんまりテンパらないんだけどなァ。

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堂々とした人見知りになりたいな、あいうえお!

3.11、祈れと強制するな

3月11日になった。

5年前のあの日、福岡にいたわたしは何が起きたかわからず、ただただテレビ画面に流れる映画のような光景にショックを受け、友人とその画面を見ながら身を寄せ合い、小さなマンションの一室で怯えていた。

その後、東北へボランティアにも行った。気仙沼で見た街は思ったよりは元気になっていて(事前知識が暗すぎたのか)、陸前高田は思ったよりも何も進んでいなかった。本当にこんなところに街が再びできるのか、と不安になった。震災した地です、と観光地にしてしまったほうがいいのではとさえ、無責任に思った。

 

わたしは当時、元々は農業地だった地を、元に戻すための体力作業をこなした。鍬は重く、手足は筋肉痛となった。

 

5年が経ち、今日のテレビ番組は震災一色だ。

祈ろう。祈ろう。祈りましょう。テレビはそう繰り返す。

うっかり登録していた首相官邸の公式LINEからは、安倍首相から「時間になったら黙祷をお願いします」とまできた。言われなくても、わたしはするよ。しない人もいてもいいじゃないか。うるさいな、と思った。

 

東北のために何が出来るだろう、東北がんばろうぜ、そういう声だけが虚しく響いてなんと5年もたったのだ。すごいことである。

あなたは知っていますか。某有名な新鮮な宅配野菜サービスでは、西日本に産地を限定した割高なコースも有るのだ。「お子様に安心ですね」と書かれたそのコースが飛ぶように売れている一方で、テレビでは、東北のためになにができるだろうと言葉が飛び交う。一方で、原発が動いたり差止めになったり忙しい。なんだか、東北のために、という言葉が白々しい。

 

押し付けがましいテレビも、LINEも、勘弁してくれ。わたしは祈る、他人は知らん。またボランティアには行きたいと思っているが、他人に勧める気は無い。

圧力をかけて誘導しないでくれ。だから白々しくなっている。

 

わたしは祈る。そして出来ることはせねばと思う。だがそれは、わたしの勝手だ。祈る。その地に足を運ぶ。そんなの勝手だろうよ。

 

 

 

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写真は、ご招待を受けていた村上隆の展覧会。この前、最終日に駆け込んだ。大きいってとにかくすごいことだよな、と同行者が繰り返していたのが印象的だった。震災の影を、強く感じた内容だった。