Minako Amamiya

雨宮美奈子、美徳はよろめかない

アナ雪しか知らずにMay J.のライブへ行った話

招待券をいただいたので今日、May J.の福岡でのライブへ行ってきました。
 
これが結構面白かったので、ちょいと文章として書き残しておきます。
 
 
正直、May J.のイメージはアナと雪の女王でのLet it goしか知りませんでした。

わたしは原作の映画が好きなので、iTunesで何曲かオフィシャルの歌もきちんとダウンロードしていたけれど、正直に言ってしまえば松たか子バージョンしか入れてなかったし、『声優やってる主役のひととまた違う、別バージョンが有るんだね〜』というイメージしか彼女の歌には持っていなくて(エンディング歌ってるのにね)、彼女の曲はダウンロードしていませんでした。というか、彼女のバージョンのほう、あまり知らないままでした。(公式なのにね)
 
そんな状態で『いやー、きっとLet it go歌ってくれるだろうな〜!』の期待のみで向かった、福岡市民会館。思った以上に混雑している入り口。周囲の駐車場は満車。
来るまでは正直、『May J.のファンって層どのへんなんだろう?男性なんだろうか?若いひといるのか?』などとまったく想像がつかなかった状態だったけれども、いざ見てみれば年齢層はバラバラで、若い女性からおじいさん的な人までいて。ファミリー層も多い。
 
 
しかし関係者入り口に並んでいると、眉毛の細いジャージ着てる活発そうな女の子、もっとハッキリと思ったありのままに言ってしまえば『E-girlsになりたかったけれどなれなかったガールズ』がいっぱいいて、なんやこれは〜、と思ってたらみんなエイベックスみたいなカードを持っていまして。

予想なんだけど、エイベックスのダンススクールみたいなとこの学生が招待されてたみたいでした。うーん、福岡で席、埋まらなかったのかなァ。だとしたら明日の大分県別府市での公演、大丈夫なのかなァ。余計な心配をしてしまう。
そんな中に深夜のドンキホーテにいそうな男子もたくさんいて、廊下に出てみればどう見ても未成年の男子達がぷかぷかと喫煙しまくり。もはや明らかに『心清らかにアナ雪を聴く層ではないだろう!?』と偏見を持ってしまう外見の人が大量にいました。…いやはやわたしは、偏見の多い人間なのですなァ。
 
 
そんな多様性、ダイバーシティ感抜群!のなかで幕が開けていきなり始まったのはDJ KAORIで聴いたことが実は何度もある『Garden』
 


May J. / Garden feat. DJ KAORI, Diggy-MO', クレンチ&ブリス ...


あーーーこれかーーーー!
このクラブでガンガンかかってる歌、おぬし、May J.でしたかーー!
と実は知らなかった事実をいきなり知らされます。
てっきり、TiaraかBENIあたりの歌かと思ってました。本当にすいません。
 
そこからオリジナル曲とカバー曲がどんどんと交互にくる感じで、あまり彼女の曲を知らないひとでも存分に楽しめる構成でした。ユーミンから一青窈、宇多田ヒカルまで。
途中、合唱曲のBeliveとか、風になりたいなんかも入れてきて、なんというか『あなたのコンサートなんだしもうちょっと自分のオリジナル曲やってもいいんだよ!?』レベルの皆で楽しめる優しい設定で、逆に申し訳ないというか泣けるというか。
 
 
ちなみに、前半に突然『ありの〜ままの〜』とあっさりと歌い始めたもんだから『えっ!?ラストにやるんじゃないんだね!?』とちょっと驚いてたら、まさかのアンコールで同じ曲をもう一度歌うという2度のゴリ押し構成で、

ああ、これが2chなんかでMay J.はアナ雪に頼りすぎだとか、アナ雪カラオケおばさんとか言われちゃう理由なのかな、、、とちょっぴりインターネットの声を思い出したりしました。
ちなみに2度目は英語版で、彼女は歌う直前に『一緒に歌って盛り上がろう!』なんて言ってくれてたんだけども、そりゃもちろん観客の大多数は日本人で日本語版しか知らない層だったというような反応でした。
(わたしは2度やってくれたので大喜びでした、こういう層向けにやらざるを得ないだけなんだろうな、申し訳ないなと思いました)
 
 
あと、途中で唐突にクリス・ハートが登場してきてディズニーの歌やらHYの歌をデュエットしていて、圧倒的な歌唱力をさりげなく披露していかれました。
このクリス・ハートの声が、すごい。女性キーのままのHYをそのまま歌うどころか、高音でMay J.にかぶせてハモっていく。オイオイ兄ちゃんすごいやん、という印象を強く残してそっと去っていかれました。

 

 
とまあここまで思ったことを連ねてみましたが、結論からいうと『素敵な歌手だなあ』とMay J.をどんどんと大好きになるライブでした。とても良かった。知ってる歌、たくさんしてくれてありがとうございました。
 
ひとつずつ丁寧に歌う姿勢はもちろん、その端々に真面目さを感じる彼女の姿が目に焼き付いて、深いお辞儀も綺麗で、テレビで『歌うまいな〜』と思うだけで終わってしまっている状態の、わたしのようなひとがグッと引き込んでもらえる、ある意味知らない人にこそ来てもらえたら素晴らしい結果となるライブだったなあと思いました。
 
 
松たか子が(タモリ倶楽部を除けば)、テレビなんかでアナ雪関係の仕事は一切断ってしまったものだから去年、代わりかのごとくMay J.が様々な場面で呼ばれ(というか呼ばれてしまい)、なのにどんなに一生懸命やっても『松たか子が本家だから』と思われてしまう状況にあったのだろうということは容易に推測できます。
嬉しい半面、去年彼女はどんなに苦しかったのだろう、という思いが感じられるMCのメッセージを聞いていて、わたしは思わず静かに泣きました。
 
 
最初から最後まで、3時間弱。
決して大きくはないステージながらも最後までしっかりとサービス精神全開でステージを駆け回るどころか、降りて客席のひとと触れ合いながらステージにまた戻っていくMay J.
 
なんて素敵なひとなんだ〜〜〜〜〜〜きてよかった〜〜〜!うるうる!
 
人のことをE-girlsになりきれなかったガールズなんて呼んでごめんなさい、人のことを深夜のドンキホーテにいそうだな…なんてすぐに思ってしまってごめんなさい、わたしの心、もっと清らかに!していきます!!!!

そう思わされる、まっすぐで素敵なライブでした。泣きました。
皆様もちょいと機会ありましたら、ぜひ観て欲しいなと思います。
 
 
ちなみに。
ライブ帰りにお気に入りの焼肉屋で、これまたお気に入りの『(豚の)おっぱい』を頼み、一緒に食べていた人に『おっぱいだよ、おっぱいだよ、ほらこれおっぱいだよ』とセクハラしまくってしまいました。心は、すぐには清らかにはならないようです。
 

May J.のチケット売買はチケットキャンプ!

 

 

社会人になったよ、報告

社会人になって、いつの間にやら3週間が経った。
驚く人も多いんだけれども、こんなわたしももう社会人なんで、次会う時は皆様に名刺配れるんだぞ。
 
きっと何も変わらないだろうと思っていた日々は、思っていた以上に何も変わらない。それどころか淡々と過ぎ行く日々がよりラクになっていることに、ちょっと驚いている。
 
大学時代、毎日のように授業へ行き、隙間時間には専門書や哲学書を読み、夕方から深夜までは毎日アルバイトをしていた。無謀なスケジュールの中で精一杯だった。
たとえ家に帰るのが明け方になろうとも、1限目のために寝てすぐに起きてはすっぴんのままジャージを着て、教科書をリュックに押し込んで快速電車に間に合うように走っていた。立ったまま電車やバスで眠れるようになった。かけもちのアルバイトは何個もあって、週7日全てに学業と労働の時間が組み込まれていた。そんな日々が長かった。
奨学金も仕送りも無い日々は、とてもじゃないが学業に全力は割けなかった。それはとても悔しくて、将来自分に子供がいるとするなら、こんな思いはさせたくないなと強く思った。
 
と、まあ、そういうことだったので、今の生活はとってもラクで仕方が無い。
1日に15時間働いても今、ビクともしない。タフになっている。あまりよくないことかもしれないけれども。いやだめだね、こりゃ社畜まっしぐら。

ただまあ、今はがむしゃら(わたしにとってのがむしゃらは、活動時間が1日20時間とか)に働かずとも、正社員のお給料はきちんと貰えていて生活は立派に営めるので、金銭的には何かをかけもちする必要も無く、以前に比べれば気の抜ける程社会人生活は、ラクだ。
そして面白いことに、今、時間に融通がきくようになっているので、ちょっぴり早起きして大学時代にゆっくり取り組めなかった好きな勉強ができるようになっている。

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(わたしのデスクの上)


入社した今の会社の始業時間は10時なので、9時に出社して1時間はフランス語や行政法の勉強をしている。コツコツ。早めに仕事が終われば、持ち帰って家で自炊したご飯を食べながらこれまた、コツコツ。(残業をやっている時もあるけれども)
明け方に寝るという必要も無く、ゆったりと快速じゃなくあえての普通電車で通勤しながらぼーっとする時間もある。ときに5つもバイトを掛け持ちして毎日詰めていたあの日々は、なんだったんだろうか。
 
しかも何より、今の仕事は面白い。
社会人で、縁あってスピード感溢れる会社に入れたので、新卒で普通は出来ない仕事ばかりが続々とまわってくる。無鉄砲なアイディアを歓迎してくれる受け皿がある。

突飛なことを言い出さない、といったことがわたしには出来ない。思いついたままにアイディアを紙を出す間もなく、机の上に書いていってしまう。思いつくまでは「探さないでください」と置き手紙をして、近所のカフェで体操座りをしている。でも、そんな社会不適合性を受け止めてくれる会社なので有り難い。
 
何億も動かすプロジェクト、新しく建てる建物のネーミングをゆだねられたりもする。それはとっても幸せなことで、責任感やプレッシャーも感じるけれど、わくわくがどうやったって緊張を上回る程の規模だったりする。
 
縁あって福岡の会社で、福岡の街を形作る仕事に携わっている。
その幸せを噛み締めつつ、仕事に慣れて来たことだし執筆活動の時間も増やさねばなと次のことも最近は考えている。文章書くの、個人的なものも続けていきたいもんね。

そんなこんなの近況報告。
お付き合いしているひとともまもなく1年、益々邁進していくSHOZON、です
 

卒業が確定してしまいました

最後の最後で「あと1単位足りず!あえなく留年!ででん!」という展開になり、大学生活が「To be continued.....」になるのもなかなか面白い感じだったとは思うのですが、そうやってす〜ぐにおもしろ展開を期待してしまう皆様のご期待にそえずに、あえなくわたくし、雨宮はいよいよ大学を卒業する運びとなりましたことをここにてご報告させていただく次第です。
 
ということで、卒業確定です!
いやー。長かった、長かったよ。
現役ストレートのひとよりきっちり2年遅れての大学卒業です。
「まだこれからも君はずっと学生なんだって勝手に思ってた」と何人ものひとに言われました。ものごとには必ず終わりがくるのですよ、アンダースタンッ?と言いたい気持ちで溢れています。
 
卒業。
あまりにも嬉しすぎて、会うひと会うひとに「祝えよこの野郎!」と言いながら抱きついています。そのような行為は半ば脅しになっているのか、ひとにものを貰ったり、奢って貰っています。いいでしょう、いいでしょう。

おこがましい奴ですが、ようやくの卒業なので思う存分に皆様の愛に頼りきっております。
 


こんな感じで嬉しいものも貰いながら、生きている3月の今日この頃。さてはて、皆様いかがお過ごしですか、春ですか。冬風はまだ、厳しいですね、コート必須のこの3月。春の気配なんて感じないし、梅の花も咲いているのか疑わしい。
それなのにも関わらず、あと1ヶ月も経てばわたしたちはビール片手にわざわざブルーシートまで敷いて、その上で花を愛でようとするのでしょう。春よ!
 
 
最近の近況をいくつか。

まずはなんといっても、自動車学校。福岡だけなのか九州だけなのかよくわからないんだけども、福岡では自動車学校のことを必ず「車校(しゃこう)」と呼びます。そんな車校に、通い始めたんですわたし。
 
免許なんか要らないわ、無くても生きていけるじゃあないの、移動手段が必要ならタクシーを呼べばよろしくてよ、とマリーアントワネットよろしく叫んでいたのですが社会人になるもんだから社会の波っちゅうものにいよいよ抗えず、いやよいやよと言いながら車校に通っているのであります。

今まで通り、バイクの免許だけあればいいんだよ、革ジャン着るわたしにはバイクしか似合わない、と叫んでいたのに何故わたしは自動車免許(可愛くオートマ限定)を18歳の高校卒業した人たちに混じって取ろうとしているのだろう。息苦しい。圧倒的にまぶしい、若さにつぶされそうです。

そんなことを思いながら進む車校内のS字カーブは今日も妙に切なくそこに佇んでいます。今日も脱輪してすいませんでしたと心で思っています。
 
あと久しぶりに東京に行きました。
1ヶ月に1度は東京へ行っていた時期もあったんだけども、最近はご無沙汰だったのでとても新鮮でした。行きたかった展示や店にも行けました。
 

 
東京、ねぇ。
別に無理して東京に行かなくても良いのではないだろうか、という結論に最近は達していたし、実際にそれを感じていたから東京へ行くことも少なくなっていたのだけれども、いざ東京へ行ってみればやっぱりその圧倒的な情報量(ノイズも多いけどね)やら刺激を肌で感じるわけでして。
 

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久々に見るとやっぱり力強くて、羨ましくて、東京という街に住むべきだっただろうか、わたしの選択は誤っていただろうかとも思うわけです。
名付けるのならばそれは、東京コンプレックス。わたしはそんなコンプレックスに満ちています。だけれどもそのコンプレックスが本当に強ければ、どうにかしたければ、わたしはただ東京に住めば良いだけの話で、結局わたしはここ博多、福岡にいることで得られている素晴らしい環境、人間関係、居心地の良さを捨てきれないだけなのでした。
 
東京、いいよねぇ。
卒業確定しちゃったけども、これからも遊びにいかせてください。それで充分です。
 

 
冬が小さく息絶えて行きます。ちゅんちゅん。
まもなく訪れるであろう春の訪れっちゅうやつを早く感じたいなと思いながら、今日もわたしは車校に通います。次会う時は、大学卒業自慢じゃあなくて免許自慢を皆様にすることになりますがどうか何卒よろしくベイビー。 
 
 

8年間の水平線

5年も通った大学生活が、まもなく終わる。(※ ただし無事に単位が揃っていれば…)
 
人生最後であろう、いわゆる『学校での授業』を終えた日、バスに揺られながら窓から見える景色を眺めていた。福岡は都市高速を、普通のバスが走るのである。

バスの窓。
そこから、海が見える。淡い水色の水平線が続いている。
ああ気がつけばこの道、8年間もバスで通った道なのである。

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(2012年 バスの中から撮影)
 
 
同じ中学校から進学する人が居ない高校へ行きたい、その一心でわたしは自分の地元から遠く離れた私立の高校へと進んだ。クリスチャンの由緒正しきその学校は、高速バスで地元から都会のバスセンターへと出て、そこからまたバスを乗り継いで合計片道2時間。往復、4時間。

雨の日も寒い日も、わたしは黙々と3年間、通った。
福岡の朝は東京よりも遅いものだから、冬の朝はまるで本当に深夜1時頃のようだった。朝5時。わたしはまだ電灯ちらつく街中、始発の高速バスで通った。
 
高校3年の最後の日、わたしはバスに揺られる中、開放感に満ちていた。
「もうこの道を、通う事は無いだろう」
そんなことを感慨深く思っていた。
しかしまあ、縁とは不思議なもので、わたしはその1年後、その道を毎日通らざるを得ない大学へと進学した。
 
 
ということで、大学は5年間通ったもんで、合計8年。
わたしはこの水平線を、8年間も眺めていたことになる。

遠くに見える小さな島、手前の百道浜。 
都会から高速道路にのれば、右手に工場があらわれ、ラブホテル街がちらりと見え、大きな橋を渡れば左手には福岡ドーム、福岡タワー。
さらに進めば室見川
椎名林檎が好きな人なら、たまらない町並みだろう!)
 
 
水平線はいつも、群青色だった。
まっすぐに美しく、いつだって爽やかなグラデーションでわたしを迎えた。
高校入学最初の日、こんな素敵な景色を毎日見れるのかと感動したのを覚えている。
 
美しい景色はやがて日常となり、ありがたみはとうの昔に消えてしまったが、それでもふと通学中に綺麗なグラデーションに気づいた時には、頑張ろうと思えた。
つらいことがあろうとも、通わざるを得ない。学校へ行こうとする玄関で吐くこともあった。つらいつらい。高校になんて、大学になんて行かなきゃいいのに、行かなくちゃいけない。わたしはそんな妙に縛られた気持ちのなか、どこかこのグラデーションの水平線に、それは確かに助けられていたのだろう。
 
8年間も通えば、水平線のありがたみは減るばかりである。
それでも、最後の日にはやはり感動したのだった。
わたしを支えてくれた風景、海沿いの街にいるんだという意識。
 
はー。
振り返れば振り返るほど。
いよいよ学生でなくなるのだなあ、、、、早く社会に出たくて仕方が無かったはずだったのに、今じゃいつまでも学生でいたいよと願う、矛盾なわたしである。
 
 
多分社会人になった後に、この景色を自分から積極的に見に行く事はないだろうと思う。でもふと目にした時に、わたしはこの8年間を思い出すのであろう。

出来ればその時には、やはりバスに揺られていたいとも、思う。
 
 
卒論の謝辞かのごとく、皆様にも、そしてこの風景にも感謝なのである。
有難う。まもなく卒業、できそうです。
 
追伸、卒論無事提出できました。
 





ルイヴィトンの定期入れなんて

昨日、ルイヴィトンの店の前を通った。
 
既に閉店後だったけれど、ショーウィンドウには眩しいライトと美しいバッグや靴が展示してあった。
 
鮮やかな赤色のエナメル財布やら、上質そうなルイヴィトン定番の柄のミニバッグ。まばゆい光に照らされたそれぞれの商品は美しくて、わたしは思わず足を止めた。
 
ため息をつくほどに、綺麗。欲しいなあと少し思う。
いや、結構、欲しいかもなァ。
 
 
女の欲望って、どんどんと解剖していくと薄まっていくと思うんだけれど、その中で妙に濃ゆい存在感の欲望ってのが多分これ、ブランド欲、ってもんなのだと思う。
ブランド物を持つことに、ブランド物の意味を感じてしまう、あんまりよくない感じのアレ。中村うさぎさんなどの有名人が陥ってる、ブランド狂的なやつ。
 
たとえば、そのショーウインドウに映るルイヴィトン、いや別にシャネルでもエルメスでもいいんだけれども、とにかくブランド品のそのなかのとびっきり可愛い、そして高い商品、をわたしが持つとして。
 
そのときのわたしが、その商品を欲する意味。
とても上質だから?
もちろん上質だ。でも、だったらもっと値段と釣り合った商品が無印良品ユニクロにあるかもしれないのに?ハンドメイドの職人が作るセレクトショップにあるかもしれないのに?どうしてそれ、がいいの?
  
多分そこには他の女達に見られたい、羨望の眼差しで見られたい、いいなあって言わせたいという欲望がはっきりとあるのだ。
 
ほぅら、うらやましいだろう。
わたしにはこんな高い商品を誰かに買ってもらえる、または自分で買えるほどのちからがあるのだ。そんな誇示が、そこにある。
 
 
インスタグラムにアップする手元に、さりげなく映るシャネルマーク。そういうのが女達の中の小さな戦いとして、いつだってそこに横たわっている。
男たちは同じ写真を見ても気づかないかもしれないね、なんていう小さな微笑みを携えながら、女達はインターネットのSNSの上で、通りすがりの街なかで、常に戦っている。
 
わたしたちは良いバッグ、良い財布、ブランドだって分かるものを欲する。誰かに、見せたくて。見せびらかしたくて。
 
シャネルのマーク、ルイヴィトンの柄、エルメスバーキン
そのブランドのわかりやすいモチーフのついたもの、そういうものを欲して買ってる女達の多さ。
 
もちろんそれよりも、ルイヴィトンがただ好き、品質がいいからこれが好き、などの理由で好きな人のほうが多いとは信じたい。でもきっと、誰かに見せびらかす、ためじゃなければこんなに売れないのだから。
そしてそんな欲望が悪だとは思わない。だけれどもやっぱり、物を買うにしてはいささか不健全な動機で、ちょっとみっともない。
 
 
そう思いながら見つめるショーウィンドウ。
そこは、ルイヴィトンの世界観がふんだんに表現された豪華な空間。
 
そんなわたしの右手には、キティちゃんのピンク色の定期入れが握りしめられていた。
 
24歳になったなら、そろそろブランド物の定期入れでも使ったほうがいいかもしれない。ルイヴィトンのバッグ、持ってるしなァ。ありかなァ。
でもそんな刷り込み、誰かの押し付けな気もする。はたまた、雑誌の刷り込みかもしれない。またはひとに見せて、うわールイヴィトンの定期入れいいなあ〜〜って言われたいだけの欲望、なんだと思う。
 
でもほら、キティちゃんは、かわいい。
無条件に可愛い。
わたしは納得して、好きで、誰かに見せびらかしたいわけじゃなくて、純粋に手元に欲しくて買ったんだよこの定期入れ、1200円。値段、かわいさ。満足している。
 
多分このキティちゃんのほうが、わたしに必要な定期入れなんだと思う。だから誰かに見せびらかしたくて買うルイヴィトンの定期入れは、買わないでおこう。
 
 
そんな気持ちを持ちながら、でもインスタグラムにこのキティの定期入れわざわざあげようとは思わないなとか思いながら、いやでもそれが本来の健全なモノの選び方じゃん?と思いながら、わたしはいつかブランドの定期入れを買ったり貰ったりしたならばついついインスタグラムにあげちゃうんだろうなと思いながら、淡々と家路についた。
 

別にブランドって、かんけーないよ。
そう口では何度も言いながら、わたしは今日もちょっと、キティちゃん片手にロゴマークを気にしている。
 

2014年よ、然様なら

書きたいことが溢れてしまうけれど、
そんなことを吟味している暇もなく、
あっという間にとにもかくにも1年が終わる日になってしまった。
 
年齢を重ねるたびに1年、その時間の体感速度がどんどんと早まってゆく。
そのぶん大切なことを忘れずに、取りこぼさないように覚えているかどうか、不安になるのだ。今年の大切なことたちを、わたし、きちんと覚えているだろうか。
うーん。自信ないなあ。
  
 
今年は、大学5年生になった。
パリとロンドンに思い立って立ち寄ってみたり、シンガポールで常夏に浸ってみたり、胃潰瘍やなんやと病名が立て続けに増える1年でもあった。

 
みんな、みんな。
相手が思っているよりも多くのものを抱えているね。
だけれどもしっかりと凛と立っている。だからこそお互いにそこを察しながら、生きて行きたいね。
 
 
 
それでは皆様、適当に徒然と書かせていただいたところで失礼します。
どうか、良いお年を。来年もよろしくお願いします。

声に出して言うよ、死にたい

なんでだろうな、と自分でも不思議に思うのだけれど、このぐらいの季節、もっと正確に言えば11月中旬ぐらいからわたしは毎年、死にたいという気持ちとかなり深刻に戦うはめになる。ほんとよ、これ。3月のはじめ、ぐらいまで、ずっと。
 
そりゃ冷えるし寒くなる季節な訳で、お布団から出れなくなるってひとは山ほどいるはずだし、天気や短い日照時間に鬱々とするのは誰しもにあるだろう、そんなもんは甘えのひとつやな〜、なんて言われるのは当然の上で。その『やだなーやだなー』の一般的なやつを凌駕したもの、なのだよ。ほんとに。
去年のわたしは、本当にきちんとしっかり死にたくて、自殺用のロープをAmazonで購入した。(その頃のわたしを心配したひとりの友人が、当時わたしの家に来てロープは持って帰ってしまった、へいへい、未だに返してくれないよ!手首にカミソリで湯船に突っ込む方法では死ねなかったし、なんか生きたい本能みたいなのでいつの間にか自分で手当てしてたし、家にあったひもは体重でちぎれてしまったし)
 
これは、20歳の頃からだ。
このブログをうっかり更新してない先月の間に、これまたうっかり24歳になってしまったわけだけど、今は誕生日を祝われるような気持ちでは無くて、だからブログで『誕生日ですよ〜ン!祝って〜!』なんて自分からアピールしたいドヤ顔の欲求はちょっと今は息をひそめている。
 
半年ずつ交互に。
超ハイテンションに旅行も何もかもを駆け抜ける春からの半年、死にたいという欲求を毎日何度も思うことになる冬からの半年。
これがわたしの1年、ほんとこんな感じ。やだもう。
これが一生続くのだとしたら、わたしの未来のうちの半分は楽しくて、半分は死にたいものになる。まあ、人生それぐらいのバランスなら、マシなほうなのかもしれないけども。
 
 
ああ、
死にたい、死にたい、死にたい。

そうやって欲望を、文字でもなんでも声に出せるうちはまだ平気だもんな、と自分で思う。平気でしょ、わたし、まだ。ほら大丈夫、って。
 
テンションが上がって色んなことしたくなるのに身体はダルくて追いつかずにとにかくイラつくこともあれば、身体は走りたいほど活動的な感じがするのにいざ外に出てみれば道を歩く人に嫌われてるような変な妄想にとりつかれて結局、家に戻ったりする。
なんだかそれが、いったりきたり。ずっと。ここ1ヶ月ぐらいの話。

あと、眠気が取れない。
本当に20時間ぶっ続けで眠れたりする。トイレに立ってるんだろうか。無意識に立ってるのかもしれないけど、だとしたら記憶は無い。20時間、眠れる。いや、それ以下だと眠くて仕方ない。20時間寝ても眠い時もある。冬はいったいなんなんだ、わたしになにを求めてるんだ!眠ってばっかりなんてやだよ!やだよ!そう思って嫌になって床に頭をぶつけて、自分ひとりで流血したこともある。
 
 
去年のわたしは
 
学校へ、行けない。
起きるのがいや。
やっとのことで玄関に立つと吐き気がする。
実際に、吐いてしまう。
 
鬱々とする。線路に飛び込もうとする。
知らないおばさんに体当たりで止められる。
駅員さんに本気で怒られる。
大学の授業中にもとにかく涙を流してしまう。
 
ってな感じだった。
今年も似たような感じで、なぜか授業中にいきなり笑いながら涙流してたのを見て、後輩にひどく不審がられてしまった。ごめんなさい。
そして悪化するそれを見た周囲のすすめで大学の心理カウンセラーさんみたいなところに行かされ、カウンセラーの手によって次は精神科医にまでまわされてしまった。なんて、おおごとな。
だけどもう割と、自分で感情が(主に涙を流したり顔の表情作るのが)コントロールできない。
 
 
何もかもが嫌になる、

自分のむっちりとした脂肪を纏った身体が嫌、低い鼻も丸い顔も、勉強がちっともできない頭も、物理学で使う数学ⅢCに未だに苦労する不器用さ、片付けの下手さ、友人関係、薄っぺらい周囲の心配の言葉、中途半端な薄笑い、人ごみ、道ばたを歩く中年の男性、田舎のありふれた風景、割れてしまった高い貰い物のアイシャドウ、うまく干せない洗濯物、もうなにもかも。いや。
 
わたしは、自分自身が『本当はこれぐらい、わたしできるんだもん!』っていうレベル認識みたいなものを多分持っていて、それを満たさなかったり実現できない自分に苛立ちをひとよりかなり強く覚える人間で、すごく大きな自己愛とその出来なさの間に挟まれて死にそうにやってるという自覚がきちんと、ある。
春から夏の間にかけては、それがうまくいかなくとも、何度も挑戦する変な元気があって、うぇーい!ってイキイキと高い目標に邁進する良い感じの人間に見えるんだろうと思う。(というかそうであると信じたいな?みんなそう思っていてね、よろしく)
 
冬がだめなんだ、冬が。
 
自分のたっぷり持ち合わせている自信のなさが、本当はむちゃくちゃ持ってる自信の無さが、いつもは見せないんだけど、こりゃもうたっぷりと露呈してしまって、それの受け止め方や受け流し方、そういうものをど忘れしたかのようになって。眠れば起きられないし、なかなか眠れないし。なにこれ、ってな感じよほんとに。
自分のここにいる意義、自分が大学に通う意味や社会へ出る意味、やりたいことがマジで分からなくなって、苦しくなって、やなことばっかり頭の中でループして、髪の毛を左手でむしりながら(今年の冬もまた一部ハゲるんかいな)、またAmazonで思わずロープを眺めてる。
 
 
あなたには家族が居る、友人が居る、恋人だって居るじゃーん!
死ぬことなんてないじゃーーーん!
……なーんて言って元気づけようとしてくる人もいるけどもさ、結局他者は最後まで他者なんだよぅ、、、っていうわがままが強いのだ。わたくしめは。
死にたいよ、誰が分かるんだよこの気持ち、『わかーるわかるよー、きみのきーもちー♬』って昔誰か歌ってたよね、小池徹平だっけ。あの歌みたいなことを24時間耳元でささやかれたって、わたしゃこの気持ち、ぜんぜん揺らがんね。ってなぐらい頑固。
 
わたしは結局わたしで、他の誰かがわたしを救ってくれるわけじゃあないんだ。誰かに依存して、依存し尽くして、それで救われた気持ちになってみてもいいけど、わたしほんの少しだけは考えられる頭があるからさ、それじゃ本質的には全然だめなんじゃん?ってことに気づいてしまうわけ。中途半端に、気づいてしまうわけ。
 
誰かに甘えきって固執して依存して、べとべとに砂糖コーディングされたかのような、そういう愛『みたいな』もののなかで浮遊して、大丈夫わたしは大丈夫よ、って自分の言い聞かせるの、すごく心地よさそうだ。
心地よさそうだ、けどすごく、滑稽じゃない?わたしのプライド(また出たよ自己愛!)が邪魔するし、なんだか全体的に耐えられないし。
 
 
ふあー、もうもうもう
今日精神科医のお医者様にもらった薬を飲むのもなんか、『はいそうです!わたしが変なおじさんです!』みたいなノリで『はいそうです!わたしがメンタルがやばいひとです!』みたいに認めちゃうみたいな感じでそれがなんだか本当にすごくいやで、薬まだ飲めてないし、わたしもうなんなんだよほんとに、なんなんだよ
 
 
声に出して「死にたい〜〜〜」って言えるうちは大丈夫だって、自分のなかで明確に思ってる。…って思ってるし思ってたんだけど、悲劇のヒロインみたいな自殺未遂でなく、死にたいな〜って軽く言いながら本気の自殺「未遂」をしたことがある。だからわたし、うっかりやっちゃうのかもね、そうなったらどうしようね、なんてどこかでひどく客観的に自分を見てる。
 
とりあえず今日の精神科医の診断はそうかもね?と思い、その後行った大きな病院での診察では「胃潰瘍ですね」だったから今日は死ぬほど、死ぬほど薬がある。
 
 
1日3回の薬、食前のやつ、食後のやつ、間のやつ。
寝る前に飲むやつ、腹痛の時に飲むやつ、気分が落ち着かない時に飲むやつ、吐き気とめるやつ、とかなんとかかんとか。
もうどれがどれか分からない。
 
 
ここまで読み返すと、なんだかすごく元気な人が書いてる文章に思えて来た。こりゃ大丈夫か。うん、大丈夫だ。わたしは別になんともないんだな。
 
はい、おやすみ。あー、死にたい。

なんとかかんとか

 

久々にブログを書こうと思い立つ時は、大抵良いことがあった時だ。
なめらかでポジティブな感情は、言葉に紡ぐのが苦じゃなく、心地いい。

夏休みがまもなく終わる今日、大学へと向かった。
諸々の説明を受ける。卒論の提出締め切りなんかのお知らせを、受け取る。
提示された締め切りが、間に合うのかわからない不安な感情にさせる。
鬱々としてくる。学生の本分は学問、だとはいえ、鬱々とさせる、それが卒論。
 
友人が車で大学へ来ていたものだから、帰りに便乗して海へ。
大学から車ですんなりと5分だとか10分で南国へ来たような気持ちになるのは、田舎の大学の良いところだと思う。数少ない、良いところ。
 

 

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夕日が眩しかった。どオレンジ。

 

それでもまだ夏が終わらない気がした理由は、波音が涼しげで蝉の鳴き声もまだしていたからだ。だけども同時に肌寒い風も吹いていたしトンボも飛んでいたもんだから、どうにもこうにも季節は慌ただしい。どっちかにしてほしい。何故ならこんな曖昧な変わり目が長引くと、単純にわたしは風邪をひきやすくなってしまう。
 
晩ごはんをそこで食した。
地元の野菜となんとかかんとかサラダ、グリルチキン、雑穀ごはん。

 

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海風を頬に感じながら食す贅沢なごはんは、小さな非日常だった。
テラス席の気持ちよさ。
これを毎日繰り返していたら阿呆になってしまう、と直感的に思った。
 
日々は苦しいことが多いけれど、たまにこうやって嬉しい非日常が挟まれることで、なんとかかんとか生きられる。
 
 
不安だとかを吐露し続けることは容易だけれど、それは見苦しい。
他人からの視線を多少なりとも気にしてしまうわたしたちは、きっと少しでも格好良く生きていなければならないはずだ。それが結果として、己をラクにさせるのだと思う。
 
小さな贅沢を抱え込んだ今日のような日があると、わたしはちょっとまた頑張れる。
 
 
もうひとふんばり。
 

 
 

海がきこえる

現在の恋人と付き合った時、付き合ってすぐにジブリのアニメ作品『海がきこえる』を観させられた。
 
どちらかというとマイナーなそのジブリのアニメ映画を、わたしは最近まで観たことが無かった。それどころか、一切名前すら知らなかったのだ。調べてみると、映画として公開されたものでは無いらしい。
 
しかし、ジブリのトトロなどの王道作品よりは恋愛に偏った『耳をすませば』や『コクリコ坂から』なんかをこよなく愛すわたしにとって、この作品は受け入れられやすいものだと思っての鑑賞だったのだけれども、さてといざ観終わってみれば、これはわたしには非常に苦手な作品であった。

 

海がきこえる [DVD]

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高知を舞台にしたこの作品は、甘酸っぱく、学生恋愛の王道な作品ではあるものの、わがままで少し自由すぎる女の子ヒロインがずっとどこか悪い人間のように思われていて、なんといえばいいのか、つまり自分のことを指摘されたように感じられて鑑賞中は妙に居心地が悪かった。
 
また、高知で育った人間以外にもどこか懐かしい、と思わされるような描写が多かった。波音、そこにきらめいた海、少し面倒な坂道、学校のざわめき。高校生の同性の友人との距離感、異性の友人との距離感、そのなかで生まれる歪みや嫉妬や美しい感情。淡々と進む物語の中に、わたしは大きな悲しさを覚えた。まあ、作品自体はめちゃ綺麗なんだけれども。
 
なんとも、用意周到に進みすぎている。

そんなこの物語の甘さが、自分の青春時代の苦しい記憶を美化させるわけもなく、さらに痛めつけてくるのであった。わたしの得られなかった青春時代を抉るどころか、否定までしてくるようで、自分に幾分か重なるヒロイン像はもっとどこか愛されていて、なにもかも、ああもう駄目、みてらんない!
 

そしてなにが悲しいってあんた、これをわたしの恋人が「これを一緒に観てくれないか」と嬉しそうに言ってくることである。
わたしの恋人は、映画を観ることが嫌いであるし、二時間ほど画面の前にいることが苦痛だという人間なのだ。そんなひとが、これだけは一緒に観たいんだ、と熱望する作品があるのだから、付き合った直後に観るしかないじゃあないか。
 
高知弁を馬鹿にするヒロインはムカつく存在であるが、ムカつく存在のまま突き通せばいいのに、容姿端麗おまけに成績優秀とくるもんだから観ているこちら側はたまらない。それどころか両親の離婚問題の間にいる、悲劇、美しく悲しいヒロイン。
いや、単純な一作品として鑑賞するならまだしも、わたしの恋人がいちばん好きだという映画として観させられるのはちょっとなんだかこたえるものがある。
 
 
わたしの恋人も、恵まれない青春時代を送って、だからこそこんなきれいな物語にそのやるせなかった気持ちを投影しているのだろうか。そう思うのだが、わたしは過去の傷跡を更に広げられているようだった。過去。
 


何が言いたいって、恋人の大分弁をいつも博多弁で馬鹿にしてごめんね、ということである。そしてインターネットにどっぷり浸かって『青春時代なんて自分にあったか?』ということを、半ばネタにしはじめている、そんなわたしの同類項にいるひとたちには「くれぐれも」鑑賞して「いただきたくない」、そんな作品であることに間違いはない。
 
木漏れ日の中から顔を出した、ツンツンした女の子に笑顔を向けられたい、とだけはこの作品を観て妙に思った。うだつのあがらない、主人公男子、お前はダメだ。
 

 

どんな夏を築く予定なのかい

今日は夏至だという。一年間で一番昼が長い日だという。

 

いつの間にか夏が来ちゃっていて、初夏が訪れていて、一年は折り返していた。
あっという間の日々が急ぎ足で過ぎていく、そしてここ博多にも梅雨が到来した。
 
そんなここ1ヶ月半ほどの間に、自分の中ではめまぐるしい速度で様々な出来事が通り過ぎた。VHSでピャーっと早送りする、3倍速ぐらいの体感速度。
 
たとえば新しい仕事を始めてみたり、恋人が出来たり、体調を崩したり、元気になったり。自分のやりたいこと、できないこと、そんな取捨選択が繰り広げられたり、自分のキャパシティを自覚したり。大切にするひとができたり。
こりゃもう、23歳でいちばん大きな気付きを得た1ヶ月だったかもしれない。
 
 
そういえばひとって(特に女性か)、自分には恋人ができたぜ!とやたらに良い報告はブログなんかに書きたがるのに、いざ別れたらそのことは妙に書きたがらないよね、ってことをふと思う。
あれ、格好悪いから、わたしは別れたら潔くすぐさまブログ書きますとも。それを今、ここに約束しておきましょう。その時は悪口めいっぱい書こう。ひゃっはー!ってなテンションでな。
 

 
さて、大学生活も終盤に差し掛かった。
自分の将来もなにもかも、ふんわりとしている。見通しなんてたっちゃいない。
3年生だった時にした外資系の就職活動も、大学5年生になっちゃったし遠く彼方の出来事のように感じる。
 
自分のしたい目標の為の手段として、いったん社会に出ることもきっと悪くない。そんな気持ちでのんびりと未来を見据え始めた。遅いことは自覚しているが、まあなんとかなるでしょう。しかし院試とかこわいよな、まったく。4年生の皆々様、傷を舐め合おうぜ。夜に語り合うLINEグループでも作ろうぜ。

 
夏はみんなはどんな予定を入れるんだろうか?
今年も阿波踊りへ行こうか、帰省する友人へ会おうか!
 
好きな人と好きな時間を、どんどんと鮮やかに築いていこうじゃないか。
どんな夏にしよう、と今からおしゃべりしてたいじゃないか。
 

そういうことをこれからも絶え間なくする為に、わたしは今日も自分のすべきことを丁寧にこなさねばと改めて自分自身に言い聞かせる。より真摯な人間であろうじゃあないか。
 
そして夏をどう築いていこうか、毎日のご褒美はすぐそこだ。

わたしの好きなひとりの後輩

息をするという意味での生きる、ってのは、病気やらなんやらしない限りは基本的にそんなに難しくないかもしれないけれど、生き続ける中で死にたくなる衝動に打ち勝って頑張って生きる、という意味では生きることって、多分とっても難しい。

きちんと死なずにたくましく生きている人間が多いこの世の中において、自殺をせずに生きることはなんだか当然のように思われがちだが、「自殺」って単語があるぐらい、人間は自ら死を選ぶことが出来る生き物なわけで、それを選ばずに生きるってのはやっぱりすごいことなわけだ。まったくもう、立派でござる。

いつかきちんと、(わたしがこれからもずっとちゃんと自殺への誘惑に打ち勝ち、きちんと生きてたら)このブログにでもちゃんと詳しく書こうと思う、ひとりの人間がいる。今日は、彼女に少しだけ触れたい。
 
 
わたしの高校時代から長い付き合いの彼女は、わたしの2つ年下で、様々な感情を凝縮してギュッと目をつぶりながら人生を歩んでいるような女の子だ。どんなことにも恐れずに突き進む変な勇気を持ち合わせながらも、いつも誰からも見放されてしまうかもしれないと不安感のような見えない敵といつも戦っていた。
 
 
彼女は頭が良いからこそ、自分が有名な何者なんかにはなれないという自覚をきちんとしていて、とても謙虚だった。本当は才能が溢れてたまらない彼女に、わたしは嫉妬すら覚えていたが、彼女は自分のその才能を『あんまり、いやほぼ無いんですわ』と信じて疑わぬ謙虚な人間だった。本当は、すっごくあったんだけれども。
 
人懐っこい彼女は、いつもヘラヘラと笑う。
悪い意味ではなく、かと言って良い意味でも無い。事実として彼女は、ヘラヘラと笑う。頭の回転が早く、教養もあるが、誰かを否定することは決してしない。誰かに否定的な意見をいうことも無い。何かを常に怖がり、まずそうな事態になると、ヘラヘラと笑ってやり過ごそうとする。それは彼女の癖であり、生き方だった。
 
ひとによっては、そんな態度は「無責任な野郎だ」と映るのだろうが、彼女にとって社会へのその態度は、彼女なりの最適解の態度だった。
事を荒立てずに、自分への敵を作りたくない、そんな心理の現れだったのだろうと思う。わたしはそんな穏やかに、どこかテキトーにやり過ごそうとする、そんな彼女の態度の意味をきちんと知った上で、彼女を好きだった。それはもう、たまらなく好きだった。人生で一番、可愛がった後輩だった。
 
日常生活において、彼女にはだらしない部分も幾分か正直いえば、あった。
でもそれに勝る、素直な笑顔というか、無条件な愛しいひとへの懐き方に、みんな基本的に嫌な気持ちはしなかったはずだった。彼女は周囲の人間に、まあ全員とは言わない、だけれど多くの人間に愛される人間だった。それは間違いのない事実だと、わたしは胸を張って言える。
 
 
彼女は半年ほど前に、自殺した。詳細は省く。

亡くなる4日前に会った彼女は元気そのものだった。
生き生きとしていて、恐れるものがいつもよりも少なそうに生きていた気がする。
今度ここに一緒にいこうね、などという約束などもした。
それでも、人間は死を選んだりする。止められなかったりする。
 
 
しばらく、わたしは人生で一番悲しみにくれた。
大学にもバイトにも、しばらくきちんと行けなかった。
たった四日前に会っているのになぜ、わたしは止められなかったのか。
 
病気や事故で亡くなる人間は、勿論悲しいけれど、まだ気持ちに整理が幾分かつく。時間をかけながら、でも誰を責めるでもなく(ときには明確に誰かを責められるが)、丁寧に順序を追って立ち直れる。
 
だが、自ら命を絶つ選択をされた時、周囲の人間は整理がいつまでもつかなかったりする。現に今、わたしは未だ全くといって良いほど前に進んでいない。何も出来なかったのか、と自分を責め立てる。責め続けている。
 
その矛先は、明確にわたし自身へと向かう。
わたしが何もできなかった、わたしが、わたしが、わたしのせいで。
 
亡くなった直後はただただ悲しみにくれていたが、葬式に出席した後に、わたしは長期間幻聴に悩まされた。自分を責める気持ちも加速する。

彼女の、声がするのだ。部屋に一人でいるときに、斜め後ろから声がするのだ。
 
『ねえさん、聞いてくださいよォ』
そのいつもの口調で、彼女はわたしに話しかける。
幻聴だとわかっていても、わたしは返事をしてしまう。
 
 
当時、わたしの周囲の人間は、わたしがこのまま後追い自殺する、と本当に思ったようだ。現に、ぷっつりと連絡がつかなくなってしまったわたしの部屋に、マンションの高い階だったにも関わらず友人がベランダから侵入してきたほどだった。(すごく感謝している)わたしは幻聴を相談していた精神科にもらった睡眠薬の飲み過ぎで、朦朧としていた。
 
幻聴は正直、今も時々気を抜いていると、キッチンに立っている時なんかに聞こえたりする。わたしは、自分自身を責めることをやめられない。
 
 
 
あー、このままじゃまずい、どうにかしなきゃなァ
彼女のためにも、どうにかしたいなァ
 
そんな毎日彼女のことを考えてしまう日々の中で、今日、わたしは何気なく本棚から一冊の本を取り出した。
彼女が、わたしが去年病気で入院している時に、お見舞いで買ってきて届けてくれた本である。
 
『わたしの好きな本なんですよ、ねえさん読んでくださいよ』
そう言われながら有り難く頂戴したが、入院時は手術後の痛みなどで読むことは出来なかった。そのまま持って帰り、本棚になにげなく仕舞っていた本だった。

愛をひっかけるための釘 (集英社文庫)

愛をひっかけるための釘 (集英社文庫)

 

  

今日、はじめてその本を開いた。
まず本に触れるだけで、手の震えが止まらなかった。
次にページを開く。瞬間的に、涙が溢れた。
結果、1ページも読み進められなかった。
 
 
それでも、わたしは少しずつ本を読み進めてみようと今、思っている。彼女の好きだったという本は是非とも読みたいのだ、でもこれを読み終えてしまうと、なにかがひとつ終わるような変な焦りがある。なんとも言いがたい、不思議な読みたくない気持ちに強く阻まれる。だから、焦らずに読もうと思う。
 
 
そんな彼女がくれた本を読み進められることは出来ずにいるが、才能があふれる彼女自身が書いた文章や同人誌へのエッセイ、ブログなんかは何度も読み返している。わたしはいつも、彼女の何かをひとつでもわかってあげられただろうか、より添えていたのだろうかと考える。天国で再会する日まで、その事実を問うことはできやしない。けれど、天国出会えたなら、真っ先に尋ねたいのは、わたしは貴女にとって良い先輩であれただろうか、ということだ。そして、何も出来なくてごめんなさい、と土下座したいのだ。
 
死を選び、実行するとき、きっと彼女は孤独のなかにいたのだろう。
真っ暗な、救いようのない不安感のなかで押しつぶされそうになっていたのだろう。
わたしはその孤独の瞬間も、きっと遠く離れた場所でテレビを見ていたり普通に過ごしていたのだろう。
 
 
ほんとうに、彼女になにもできなかった。
そんな自分を責めつづけることはやめられなさそうなので、もうやめようとするのをやめちゃおう、と今日思った。
 
わたしはこの罪悪感と生きていく。決めたのだ。
わたしに出来なかったことは、事実としてあるのだ。
あのLINEをこう返していれば、あのときこう答えていれば、電話していれば。
そのベターだったのだろうという答えは尽きない。
 
幻聴も、まだしばらく消えないのかもしれない。
それでもいい、わたしは今は元気に大学に通っている。
 
 
生きることは、難しい。
自殺するという選択肢が容易に選べる現代で、わたしは生きるほうを選び続けることにとても難しさを感じている。
でもそんな時にこそ、彼女を思う。すると、彼女の声が聞こえてくる。
 
『ねえさん〜、ねえさんはしっかり生きてくださいよォ〜』
 
そのヘラヘラとした可愛い声が、わたしの耳に届く。ひとはこれを幻聴と言う、おまえまずいよ、と心配してくれる。
でもわたしは、わたしが生きることから逃げ出さないように、彼女が見ていてくれるんだろうと思うようにしている。もう、そう思いでもしないとしんどい。逃げちゃう。
 

少しずつ頻度が減っているこの幻聴が、いつかほんとうに聞こえなくなるのだと思う。そのときにわたしは、彼女のくれた本を読み終えることが出来るのかもしれない。
 
ひとがする自殺という選択を、わたしは良いとも悪いとも言えない。
でも少なくともただひとつ言えることがあるとするならば、自分は誰にも愛されていないと感じていたとしても、愛していた周りはもっと苦しむんだということを、ひとつ覚えておくべきだと思う。
 
今日も彼女が、様々な噂や事柄から遠くはなれて、静かに安らかに眠っていますよう。ねえさんは、祈っています。今日も、生きています。
 

長崎って街は、エモいって話

往々にして「長崎」という街にわたしが訪れる時は、天気が悪い。
天気が悪いとなんだか大浦天主堂が威圧的にこちらを見ているかのようで、こわい。
 

http://instagram.com/p/nXU4ggCnkQ/

 
『♬あーあー 長崎はー 今日もーあめーだったー』
という有名な曲があるほどに、長崎という街は天気が悪いことが多い。
その代わり、夏の青空はどの街よりも突き抜けて青くって、わたしは長崎の空を見上げて初めて「空の青さが突き抜けている!」という表現の本物を目撃した。大学一年生の時だった。それ以来、長崎の虜である。
 

曇っている、小雨がぱらついている、太陽はどこか遠く彼方に消えている。
今回の滞在はいつものそんな「ナガサキ」だった。 
 
でも、それでも楽しい街なのだ。
雨だろうが、なんだろうが、その良さは全く消えない。
九州でいっちばん好きで堪らない街。正直、博多より良いところだと思う。
 

http://instagram.com/p/nYcEgbinhL/

 
なんてったって、まず路面電車が良い。
街に溶け込む路面電車がノスタルジックに美しい。
便利も良いし、高齢者がゆっくりと横断していると『あら老人様』とでも言いたげなほどにゆっくりと電車は中途半端な場所で停まる。それに文句をいう人など居る訳も無い。長崎。
  
 
これを見て思い出す。
最近の、清涼飲料のマッチのテレビコマーシャルでこんなものがある。
『青春ほどの、難問は無い。』
 

 
路面電車の儚さ、懐かしさ、そういうものがなければ表現できないコマーシャルだなあと何度見ても思う。
 
これを見ると、渋谷で女子高生してる、みたいな東京のひとにこの独特の切ない感覚、甘酸っぱい青春のゆるやかな時間の経ち方、みたいなのは(きっと伝わっているんだろうけど)どう伝わっているんだろうと不思議に思う。
都会人に、このコマーシャルの感覚が本当に伝わっているのかしら、と田舎出身者としては問いたくなるのだ。ねえ、伝わってるかい?このノスタルジックなエモさが?
 
坂が多い長崎は、建物が山にぴょこぴょこ生えたように建っている。(さながら香港のようだ!)
 
 
そんな民家と民家の間は小道になっていて、そこもまた坂道、階段、と凸凹している。
とても細い小路だらけだ。その隙間をぬうようにして野良猫は走り、高校生たちは放課後の帰り道にじゃれ合う。学生鞄で押し合い、笑いながら「なんすると!」と九州の方言が飛び交う。笑い声。細い坂道の隙間から夕日は漏れ、その眩しさに目が眩む。
水を玄関の前に撒くひとがいる。ここにもまた、野良猫がいる。坂道に風が吹き抜ける。港町だから、遠くでコクリコ坂さながらの汽笛がボーっと聞こえる。またどこかの国の船が来たのかな、そう言いながら高校生たちは坂をスピードを出して更に早く駆け下りる。
 
おいおいおい!
なんて美しいんだよ、この街は。こんな風景がほんとうに目の前にあるのだ。
そんな風景がいつだってある、長崎!あいらぶ長崎!ひゅーひゅー!
だから好きなんだ!!! 
 
そしてまあポエムちっくに長々と書きましたが、その他に長崎の最大の魅力は、異文化がゴロッと混ざりこんだ、ってところだと思うわけです。
 
 
ようこそオランダ、また来て中国!
そんな感じで和洋折衷という言葉通りの建物が並んでいる、レンガ造りの建物がとっても綺麗。原爆投下の際に、洋風文化を残したレンガ造りの建物が多く残り、日本家屋は残ることが難しかったのだろうと察することが出来る。だから長崎の古い建物は、だいたい洋風なのかも。
 
戦前からある上海銀行の長崎支店なんてとっても綺麗だし、旧長崎英国領事館は鮮やかな赤レンガがしっかりと未だ残っていた。
 
道路だって石畳の場所が多くて、そこを走る車はまるでフランスのパリの石畳を走る車のようだった。だって走る音が同じ!ゴトゴトとした特徴的な、タイヤと地面のこすれる音。

んでもちろん、これです、これ。中華街。

 

http://instagram.com/p/nXC0iZinnT/

横浜の中華街と比較したら「ああ、、、」となってしまうほどに小さな規模感ではあるけれど、濃ゆくてディープな中華街。長崎名物のちゃんぽん、皿うどんもしっかりと食べられる。
 
建物の二階に中国語で難しい看板が出ていたりして、きっと様々な中国人によるビジネスが行われているのね、とドキドキしてしまう。独特の文化がそこにある。卓袱料理なんかは、その代表だろう。

 
 
長崎は本当にどこかが懐かしくって、別に自分が生まれ育った訳でもないのにノスタルジックにエモくなる独特の感情が湧いてくる。
じゃれあいながら港街である長崎の海沿いを走り抜ける高校生たちに、ふわっと自分の青春を重ね、きっと勝手にチューニングして美化している。それが心地よいのかもしれない。淡い空気を吸い込む、勝手に懐かしむ。
 
わたしの青春は福岡にあって、百道浜室見川いう場所だった(椎名林檎ファンならお分かりでしょうが)けれど、なんだか長崎にもいた気がする。とまで思わせる。
 
 
沢山のキリシタンの名残である、教会がいたるところにある。
オランダとの貿易に使っていた、出島が残っている(再現されている)。
美しいグラバー園を除けば、蒸気機関車を長崎に持ってきた外国人の息。
そして坂本龍馬の音がする。
三菱重工の歴史を感じながら、港街を見下ろす。
坂道を走りぬけながら、原爆の爪痕を垣間見る。

 
空は相変わらず曇天、だけれど眼鏡橋は綺麗に水面に映える。
 

http://instagram.com/p/ngIrkvinom/

(わたしです)
 
そんな長崎へ行く度、長崎を考える度、わたしは胸がきゅんっとして、懐かしい気持ちでいっぱいになる。ここには歴史や文化が溢れていて、わたしの知らない青春や思い出、人々の日々が丁寧に積み重ねられている。
誰しもを受け入れるゆるやかな寛大さがあり、様々な歴史の爪あとはわたしたちに忘れないでと問いかける。
 
長崎名物のひとつである美味しい角煮まんを食べながら、わたしは石畳の上を歩き、汽笛の音を遠くから耳で拾う。原爆記念公園への道のりを地図で確かめる。
 
 
多分わたしは、こんな街で生まれ育ちたかったのね。
 
つまり結論はそう、おすすめの街です、皆も行くべきなのです。
わたしも近々、またうっとりしに行きますとも。ええ。

 
 
あと最後にね、おまけ。
長崎の外国人商人の家の庭で見つけた。
 

http://instagram.com/p/ndEP37Cnls/

何年ぶりの四つ葉だろう

食に貪欲であれ

今から真剣な文章を述べようと思う。
そしてある、ひとつの懺悔を行う。
どうか、食にひどく貪欲な女の、ただのくだらない独り言だと思いつつも、読むからにはこの話、真剣に聞いて欲しい。
 
わたしは一人暮らしをして5年目になるが、最近毎日のように「自炊」をし、それぞれの下ごしらえを多めに丁寧に作ってはストックなどもし、家計簿につけている食費は日々減っている。
 
オイオイ!一人暮らし5年目になって急にどうした!、と日々友人たちに驚かれる。いやいや、前から料理は好きだったのよ、ずっと忙しかっただけで、と言い訳をしながら本当の理由は『食への欲望が止まらないから』だということを恥ずかしくてつい述べられない。料理は好きだったけれど、面倒だったのだ。
しかし最近、その面倒さより食欲が完全に勝っているのだ。

 
たくさん食べる女というのはいかがなものか、とジェンダー学なんかを大学で専攻しておいて、わたくし、この口で言っている。だってやっぱり、苦笑しながら「お前めっちゃ食べるな」といつも言われるのが本当に嫌なのだ。

黙って穏やかな気持ちで食べさせてくれ!といつも思っている。
 
 
食べたい、のである。
たくさん美味しく食べたい、のである。
 
要するに食いしん坊なわけだが、外で食べて「女なのに食べ過ぎじゃないか」と笑いながら言われることも嫌だし、「食べる割には痩せてるよね」とか褒め言葉なのかどうなのかよくわからない言葉で遠回しに要するに過食だと指摘されることも嫌だし、というかそもそも食べたいものを食べたいタイミングで食べたい量食べるのには、もう自炊しかないということにようやく気づいただけの話なのだ。
 
ちなみにどれだけ食べるのか、という質問に対してはいつも回転寿司で1皿に2貫のったあのお皿を25皿以上食べられると答える。
単純計算で回転寿司ではいつも50貫は食べていることになる、よく考えたらただのアホかもしれない。小さい頃は食べ過ぎるたびに、親に『もうやめとけ』と怒られていた。高校時代は某TV局の「大食い女王選手権」の予選に出たこともある。
関東では有名な『らーめん二郎』ではマシマシを女だけれどもいつも問題なく完食するし、食べ終わったあとに食べ足りずに和菓子屋に出かけたこともある。
 
つまりわたしは、世の中の女子の『わたし結構食べるんですぅ〜♡』って言いながら「ああん!?」みたいな量しか食べない女子とは一線を画す存在であると強く伝えておきたい。
 
とまあこんなわたしであるが、とにかく気の赴くままに食べるのには、わたしにはひとつ問題がある。
 
去年の夏、わたしは腸閉塞という赤ちゃんがかかることの多いプリティな?病気で入院したのだ。
 

遊びに行っていた東京で倒れて搬送されたために東京で入院し、前期試験の真っ最中だというのに一ヶ月以上大学へ行くことは出来ず、追試も受けられず、だから華麗にこの春に学部5年生に進学することになったのだが、まあそれはともかく、つまりあの時のわたしは腸の病気だったのだ。
 
くるりん、と何をどう間違えたのかわたしの可愛い可愛い大腸の一部がある日ねじれてしまい、そこが見事に詰まってしまったもので、わたしは胃液ならぬ腸液という黒い液体を口から逆流させながらの入院となった。まるで二日酔いのような手軽な感じで、気持ちの悪い黒い液体をとにかく吐くのである。はたから見れば、大変に見苦しかったことだと思う。搬送やお見舞いに付き合ってくれた友人たちに心から土下座したい。
 
しかし、なにせ食べたものが腸から先には行かないわけだから、食べ物はおろか水分さえも一滴も取ることは出来ない。すべて点滴での生活であった。
のどが乾いてはうがいだけをして、のどを潤すだけで飲むことは一切できない日々が長く続いた。(腸閉塞なのは確定していたが、様々な検査をしても腸のどこが詰まっているのかが特定できず、若い女の子のお腹に大きな傷をつけるのは……というお医者様の配慮により特定するまで手術は長く延期されていたのだった)
 
 
入院中は毎日のように、夢をみた。
大きなボウルいっぱいのマッシュポテトを頬張り、メンチカツを死ぬほど食べながら、レバ刺しをちょいちょい、とつまむ夢である。どれもわたしの大好物だ。
 
そして目が覚める、現実がやってくる。現実では水さえ一滴も飲んではいけない。
その現実に打ちのめされて、入院中は早朝に起きては独りでメンチカツを思い出しながらメソメソと泣いたものだった。

食に貪欲なわたしは、メンチカツを思うだけで涙が本当に止まらないのだ。本当に文字通り毎日泣いたと思う。
 
 
なんとか無事に手術を終えたあとも、病院はすぐには退院させてくれなかった。というか、水さえも飲ませてくれなかった(いや、病院の判断は正しいのだけれども)。
集中治療室を出て2日後に、やっとお医者様から「美奈子さん、水なら今日から良いですよ」と言われたが、そこまで嬉しくはなかった。10日以上水を飲んでいない、水分への欲求は完全に麻痺しており、水を飲めない生活にわたしの身体は完全に順応していた。水は、水はどうでもいい!!!
 
思わず、お医者様に尋ねる。
「先生、水はどうでもいいんです!わたしはメンチカツが食べたいんです!」
イケメンの若いお医者さまは苦笑しながら答える。
「頑張って早く治しましょう、そしたら何でも食べられますからね」
イケメンの若いお医者さまは爽やかに答えるが、答えになっていない。イケメンなのに本当に役に立たない。 

いつだよ…結局いつになるんだよ!
身体はメンチカツを欲している。医者はそれを許さない。どうするか。
お腹の傷は痛み止めを使わねば眠れぬほどに痛むが、どうやらわたしは水さえも飲んじゃいけない身体らしいが、それでもわたしはメンチカツが食べたい。もういっそ退院が遠のいてもいい、メンチカツが今、食べたい。
 
わざわざ東京まで見舞いに来てくれていた母(うちの母は外国人なのでお医者さんの言う説明などの日本語がよくわかっていない)にこっそりと英語で頼む。
「お医者さんがもう食べていいって言ってるからさ、お母さんお願い、ちょっとメンチカツをコンビニで買ってきてくれない?」
堂々と嘘をついた。自然に頼んでみた。そして母は答える。
「いくらわたしが外国人だからって、水さえ飲んじゃいけないらしいのは知ってる。それは出来ないことぐらい分かる、バカにするなよ?」
 
こやつ、英語のできる看護師に既に注意事項を吹き込まれている。もうだめだ。
 
当時付き合っていた恋人も毎日見舞いにきてくれたが、彼に頼むのも難しかった。優しい声で彼は言うのだ。
「あと少しでなんでも食べられるからな、美奈子、身体のために頑張ろうな」
もうそんな風に言われながら頭でもなでられようものなら、「お願い。こっそりメンチカツを…」とは言えない。付き合って二ヶ月だった為に、食にがめつい女に思われたくないという、かすかな女心も残っていた。
 
うなされるような日々が続く。
 
そして水が飲めるようになった2日後、お医者さまが言う。
「この後の昼から、ごはん始めましょうか」
やったーーーと大声を出して喜んだ。(そのせいで少し傷跡が開きかけた)
 
恋人にLINEを飛ばす。
「ついに、ついに、ごはんが始まるって!!!!」
恋人は返信する。
「やったね!頑張ったね!」
 
わくわくしながら病院食を待つ。やってきた病院食はこれだった。
 

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念の為に言うが、これは食べる前の状態である。食後ではない。
 
おもゆ(お粥の液体部分だけ)、具なし味噌汁、サラサラしすぎたコーンスープ、お茶(2種類)、で全部であった。
 
看護師さんに間違ってないですかと文句を言うと、雨宮さんは腸の病気ですからね、流動食から始めることになってますから、決まりですよ、とやんわり怒られる。
 
泣きながらすべてを完食する。固形物が食べたいよ。
何日も食べていないもんだからこれが美味しくないわけじゃない、飲み込めばいっきに身体に染み渡る。だけども、わたしはメンチカツが食べたいの。
味のついた液体を何種類も出されても、ちっとも満足などするわけがない。悲しい。
 
そこで、絶食生活を知らずにお見舞いにきてくれた友人が持ってきてくれたクッキー(でも食べちゃダメよと看護師さんに念押しされていた)をこっそり少しずつ食べていた。感動的に美味しかったにもかかわらず、3度めにつまもうとした時にバレ、看護師さんに没収された。
 
そこから一日ずつ、少しずつだが、わたしへの病院食は進化した。
謎のコーンスープには小さい粒が少しずつ増え始め、固形物がちょっとずつ増えていく。だが、メンチカツは出てこない。
 
ついに入院生活も終わりを迎え、退院する日の最後の昼食でさえこれだった。
 

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お粥とかまぼこでわたしが満足すると思うのかァ!
とお盆をひっくり返したい気持ちになりつつ、結構美味しいじゃん?、と完食したことを覚えている。
 
お医者さまが退院する際に脅してきた。
『雨宮さん。退院後もお粥中心の生活をして、ゆっくりと少しずつ普通のごはんに慣らしていってください。
あとあなたはそもそも量が食べ過ぎなのと、いつも早食いなので、それを直さないと必ず再発します。わかりますか?今回入院したのは食べ過ぎなのもありますよ。そしたらまたメンチカツ食べられなくなりますよ?いいんですか?よくないですよね?だから本当に気をつけるんですよ。
 
クッキーを没収されたあともずっと、こっそりクッキー食べてること、僕知ってますからね。病院内のコンビニに、手術跡で痛いはずなのに、車いすでこっそり買いにいってたの、僕見たんですからね

なんでバレてんだよ。
いや、だけどもわたしだってバカではない。一応退院後は、友人の作ってくれたお粥と豚汁をゆっくり食べた。もちろん物足りない。それなのに友人は「それ以上はダメだよ」とやんわり注意してくる。わたしの性格をよくわかっている。
だが夜中、自分の腸に尋ねれば、「イケる」との返答が空腹のグゥ〜〜〜という音とともに返ってきた。よし、これなら明日は、と決意する。
 
その翌日、快気祝いに恋人がデートに連れて行ってくれた。
恋人は「くれぐれも無理をしないこと。リハビリを兼ねてゆっくり散歩をしよう。少しでも痛みなんかがあれば、すぐに休もうね」と丁寧に言ってくれる。優しいひとである。
そんなメールを読みながらデートに向かう途中、コンビニを見つける。神様が肯定していると本気で思ったわたしは、躊躇なく注文をする。
 
「メンチカツ、2つください!!!」
ホクホクのメンチカツは、人生で食べたものの中で文句なしに一番美味しかった。コンビニのメンチカツの多すぎるほどの油っぽさ、とろけるような肉汁、甘い玉ねぎのなんと美味しいことか。2週間ほどの絶食、1週間ほどの流動食生活。この食事こそ、そのピリオドにふさわしいではないか!

わたしは本当に食べ物に貪欲なのだな、と実感しつつ、そのあまりの嬉しさに涙を浮かべながらメンチカツをぺろりとたいらげた。食べちゃいけないものだという背徳感もまた、美味しさを加速させた。

そして反射的に、バレたら恋人に怒られるのでは、と思ったわたしは慌てて再びコンビニへ戻り、ブレスケアを買って飲み込んだ。免罪符にもなりやしない。
きっとあのあとも含めて、誰にもあの時メンチカツをこっそり食べたことはバレていない。そのことを今、ここで初めて告白する。もしも当時の恋人がここを読むことがあれば、もう時効だと思ってわたしを怒らないで欲しい。
しかもその日の昼、無茶を言い、反対する恋人の言葉を適当にごまかしながら新宿でつけ麺を大盛りで食べてしまったことも反省に値するだろう。
 
 
あれから。
少しずつではあるが、食べ過ぎないようにセーブし、日々体調には気をつけている。以前に比べると胃もたれもひどくなり、回転寿司も15皿ほどしか食べられないようになってしまった。(それでも多いと言われるが、わたし自身は食べられなくなった自分自身にすごく落ち込んでいるのだからもう何も言わないで欲しい)
 
そういうこともあって、最初の話に戻るが、最近は健康のために自炊が多くなってきたのだ。今年の年明けには胃潰瘍までやってしまったので、胃も腸もダメになったわたしは、自分が食べられる『健康的な限界』との折り合いをつけながら、最大限の満足できる食事をするには外食では不可能だということを突きつけられた。
だったら自炊してなんとか沢山食べる!と今、ひたすらに食欲を満たすため燃えているだけの話である。
 
 
食べることは、楽しい。
多少高くても、美味しいお店を見つけるのは何事にも代えがたい喜びである。
 
だが、身体が弱った今、わたしはなんでも食べられる身体ではない。
それでも時々はらーめん二郎だって、こってりしたイタリアンだって食べたい。せめて、週に一度、いや二度は食べたい。
 
だったらその日以外は、おだやかな食生活をして体調を整えるしかないのだ。
 
 
ゆえに、こうやって毎日キッチンに立っている。ヘルシーな料理を作り、食べ、明後日は豚骨ラーメンだな……とニヤニヤしている。

何がいいって、自炊をしている自分のことを対外的には『料理が好きな女の子』として可愛いアピールできることである。実際は食に貪欲だから仕方ないだけなのだが、これが妙に男の人ウケがいい。
 
 
だからわたしはここで懺悔する。
本当はただの食欲が止まらないだけの人間なのだが、最近知り合ったひとには可愛い料理好き女子♡のアピールの材料にしていることを。
 
そしてこれを読んだあなたには、美味しいところを知っていたら連れて行って欲しい。その日に向けてまた、わたしは準備万端で迎え撃つからだ。
 
食べるって、すごく楽しいことです。
一応あれ以来に反省したわたしは、今日もそんなに食べられないくせに食べログを眺め、有料会員になったクックパッドで美味しい料理を眺める。そして台所に立ち、たっぷり肉汁のメンチカツを作るには、というシュミレーションをじっくり行い、エアまな板で肉の下ごしらえの動きをする。気が済んだらその後、お粥と薄味の味噌汁を死んだ目で作っているのだ。

……ほ、ほんとだってば。