Minako Amamiya

雨宮美奈子、美徳はよろめかない

パスタは食べなかったし、隅田川花火大会には行かなかった、私のワンオペの話



土曜日の朝はいつも、さて今日から2日間は保育園がない日が始まるぜ、と思いながら目が覚める。

離婚してシングルマザーになった、かわいい我が子の親権を持つ私による、怒涛のワンオペの週末が始まる。

 

 

体力が無限に有り余った幼児は、クソ暑いだなんて口汚い言葉を使いたくなるほどクソ暑い夏の炎天下の下でも、容赦なく何時間でも遊ぶし走るし踊り回る。きっと、体力ゲージがぶっ壊れている。同じ遺伝子を受け渡しているはずとはいえ、毎日栄養剤のキューピーコーワを手放せない私とはちょっと訳が違う。

そんな私ひとりで元気爆発した幼児の安全をきちんと確保しながら、長時間大人と話すことのない状態で己の精神をも保ちながら、この暑い夏の週末をどうサバイブしていくか、というのは毎週末の大事な私自身の議題でもある。

 

今日の朝もまた、子供部屋のほうから「ママ、起きたよ〜」と呑気な報告のような声が聞こえて目が覚めたのだった。夜通しつけっぱなしにしている、子供部屋と大人の寝室を繋いだモニター画面越しにもその声が響き渡る。

 

きっとよく眠れたのだろう我が子の、妙に嬉しそうな声色。

スマホを見るとまだ朝7時、まあ人間として妥当な時刻といえば時刻、だけどもロングスリーパーの私には正直しんどい時刻。できるのならば、本当は10時ぐらいまで眠りたい。

いやまだ嘘だごめん、本音を言えば昼過ぎまで眠りたいし、そのまま何も考えずにベッドの上でスマブラとかしていたいんよね。

 

親になったからと言って急に聖人になるわけじゃあないのだから、そりゃそう。子供産んで2年半以上経つけど、まだそう。

私だって可能なら本当はもっともっといろんなことサボりたいよ、と思いながらも「でも、やるかあ」みたいな気持ちで身体を起き上がらせる。社会人仕草も親だからねってやってることも、本当はぜんぶ渋々なんだよ、いつもいつも。


横で眠っている私の恋人に目をやると、子どもの声ごときではまったく起きる気配のない寝息がぐっすりと続いていた。あなたの深い眠りが羨ましいよ、と思いながら彼を起こさぬようにそっと大人の寝室を抜け出し、子供部屋まで駆けつける。

 

我が子を力強く抱きしめ、おはよう、と伝える。

そしてあなたが世界で一番愛おしい存在なのよということを簡単な言葉で、小難しい言葉で、さまざまな角度でうっとおしいほどにご本人に伝えてみる。わかっているのかわかっていないのか、本人はニコニコと目を細めながらウンウンと言いながら頷いている。半分伝わっていて、半分はたぶんわかっていなさそう。

これは、私たち親子の、毎朝恒例の謎の儀式。

 

ここでようやく、のそのそと起きてきた恋人が我が子を手慣れた様子で朝のシャワーに入れてくれている隙に、ふたりの朝食を手早く作ってしまう。

今日のメニューは、茄子のみぞれ煮、なめこの味噌汁、その他色々。いつもの支度をリズミカルに済ませて、3人で車に乗った。
今日は仕事があるという恋人を車で職場まで送り、そのまま我が子とふたりでお出かけに切り替える。

その瞬間から、さあ、本日もワンオペの開幕です。

 

昼食について尋ねた際に「パスタが食べたいの」、と我が子が言う。

任せて、と思った私は一番近くにあったサイゼリヤにまで即座に車を走らせたが、我が子は到着後メニューを見るや否や、即座に「ハンバーグにするね」と言った。

 

それを不条理、だとは思わなかった。

世の中、若くて美しいワガママな女のほうがもっと甘えを込めて不条理なことを言うこともあるし、ご自身のご年齢に特権階級を感じているようなご老人のほうがさらに不条理なご要求を押し通している社会の実例も見たことがあるもんだから、こんな可愛い急な路線変更ぐらいなんていつだってウェルカムだ。

 

そしてボールプールが売りの、室内遊び場に我が子を連れて行く。

ボールプールに加えて滑り台、トランポリンにおままごとエリアなど、あらゆる遊び場がいっぱいに広がっているスペシャルな遊び場。なんといっても夏の暑い日ですから、室内で遊べるのならば課金、課金、課金しますよ。もちろん今後に備えて、お得な回数券も買っておいたのは言うまでもない。

 

ここではしゃぐ我が子、とはいえ2歳半、まだママに相手して欲しくて仕方がないお年頃。

少しでも目を逸らしたり、通知が来たスマホに目を落とそうものならば、「こっち見て!」となるもんだから、全集中。おかげでスマホのバッテリーは全く減りやしない。

 

 

 

結局、お昼寝もなしに6時間ほぼノンストップで遊び尽くす我が子。


2歳児ってこんなに遊ぶもんでしたっけ。人間生活2年ちょいで、32年目の人間をいとも簡単に超えていく体力おばけ。それとも、32歳児の体力が右肩下がりすぎるのでしょうか。

 

それでもまだ帰りたがらない、一応疲れてはいる我が子。

満身創痍の母、雨宮美奈子。

 

時刻は、夕方6時半。

まだ遊び場の閉店時間ではなかったけれども、あまりに元気な我が子に対して疲れすぎて放心状態の私を見つけた店のスタッフがいろいろを察してくださり、私が「もう閉店時間だって」と嘘をついて必死に話していたところ、そっと横から現れては「うんうん、もうお店閉まっちゃうんだ。また来てくれるかな?」と嘘に乗っかってくれたので、思わず涙が出そうになった。

ありがとう、ありがとう店員さん。

 

何度かぐずりはしたけれども、ついに店の人に言われちゃ仕方ないわあ、といった様子で、我が子もそこでようやく諦めがついた模様。

どうにか楽しくて仕方ない遊び場から引き剥がすことに成功したものの、しかし私に帰宅後に夕食を作る余力があるわけでもないため、同じ商業施設内にあった回転寿司屋に滑り込んで夕食を済ますことに決める。

 

休日で大混雑の回転寿司チェーン店も、カウンター席ならすぐに行ける。

だって私たちはワンオペ、たった親子ふたり。

カウンター席で大丈夫ですよ、と滑り込む。

 

昼も夜も外食かあ、とはちょっと思ったけれども、いつもの普段はほとんど手料理だしね、と今日ぐらいは手抜きして自分を甘やかすことをさっさと正当化した。

 

混雑した回転寿司店の店内を見渡すと、テーブル席には家族連れが大勢楽しげに食事をしている。
相談しながらタッチパネルで注文する品を選んだり、パパとママで談笑していたり、席によっては祖父母らしき人やらなんやらの大所帯。子供も兄弟で複数人いたりと、なんだかわいわいがやがや。あちらこちら、元気な会話が漏れ聞こえてくる。

 

対して、疲れた顔の私、赤ちゃん抱えてぽつんと静かにカウンター席。

 

寂しくないかと言われれば、まあそりゃ本音はちょっと寂しい。週末のこの、騒がしい回転寿司店の中ではさらに寂しくなる。

なんて言いながらも、子供が嬉しそうにさきほどガチャガチャで出した謎の恐竜の人形を「見て!」と見せてくるから「わあすごい!」と応酬するのも、なかなか楽しいもんです。まあこのリアクション、20回目ぐらいだけどもさ。

 

とにかく、先に子どものものを頼まねば。
子どもの好物である茶碗蒸しと納豆巻きの注文を済ませる。自分のものは二の次。これが親の運命(さだめ)。

本当はちょっぴりビールが飲みたい気持ち、でも私ってば車で来ているから飲めないしそうでなくともまだ産後太りから脱却してないわで痩せたいし、さまざまな思惑でだから結局烏龍茶にしておく。そのかわり、冷えた烏龍茶を最低でも二杯はいかせていただきます。

 

烏龍茶を飲みながら、回転寿司店にしてはちょっといいネタである、ウニやら中トロなんかは値段を気にせずに躊躇なく頼むことにする。だってね、3000円以上のお会計にしなくては、駐車場が無料になるサービス券の金額に到達しないからね、と頭の隅できちんと大人の計算機がいつも叩かれている。

離婚してからは、ちょっとした計算もなんだかよりシビアになっている気がする。まあ、元々ケチなタイプではあるけれども。でもやっぱり、離婚後はちょっとまた違うんだよね、やっぱりね。

 

そうやってドタバタしている合間に恋人から届いていた、LINEを見返す。

 

見れば、ワンオペの私を気にかけて、他のおすすめ遊び場候補などをまとめてくれたメモ書きを怒涛のように送ってくれていた。忙しいはずの彼の仕事の隙間時間に、いっぱい調べてくれている姿勢に、彼の愛情表現がしっかりと透けて見える。これが彼の、私と我が子への愛だなあ、とじっくり噛み締める。

「ここ良いよ」という彼のメッセージに対して、「ここ良いよ、じゃなくて、ここに一緒行こうよ」と返してみる。「あ、そうだね、一緒に行こうか」とはにかんだような返事が来る。

 

恋人はずっと忙しい時期が続いていたのだけども、近いうちに仕事がひと段落することになり、共に週末を過ごせるようになると聞いていたので、それを楽しみにしている。ワンオペの日々は、もしかするとまもなく終わりを告げるかもしれないのだ。

これが結構ね、私にとってはすごく大きな話で。生活が一変するんだなと思うと、楽しみで仕方がない。

 

そして離婚してからの日々を振り返ってみる。

怒涛の、怒涛の日々だったな。

 

一番大きな支えになってくれた愛する恋人はもちろん、いまや多少憎くとも子育てにおいては戦友のように付き合っている我が子の父親である元夫、我が家に勤務してくれているフィリピン人のベビーシッターを兼ねた家政婦さん、保育園の先生方、さまざまな方々のお力添えのおかげで私の子育ては助けられているし、この子はいろいろな大人に触れて育っているんだなと思うと、しみじみと感謝の気持ちが込み上げてくる。

 

回転寿司店のカウンターで女がひとり、泣きそうになる。

だからひとりで週末を乗り越えている日々も、シングルマザーだなと思わされることがあっても、ときに寂しくても、頑張らなくっちゃ、いけないのよ。

 

 

回転寿司店をあとにし、駐車場である商業施設の屋上へ上がった瞬間、突然どーんと大きな音が耳を貫いた。

 

我が子は「何の音?ねえ、何の音?」と目を輝かせながら、私に必死にしがみついていた。嬉しいような怖いような、楽しみなような顔をして。

 

ああ忘れていた、そうだそうだ、今日は隅田川花火大会だった、と思い出す。

 

と同時に瞬間的にしくじった、と思った。この時間帯にかぶってしまうと、帰りは渋滞で混んでしまうじゃないか、と。車で来てしまうとまずいじゃないか、と。

見れば遠くに、スカイツリーが綺麗に見える。ここの屋上駐車場からは花火が綺麗に見えて、実はここ花火大会が綺麗に見える穴場じゃないかということにも気が付く。

 

同じように気がついた人たちが、立ち止まって屋上駐車場からじっと花火を眺めていた。東京の都心を大きな花火が鮮やかに通り過ぎていく。

偶然にも、コロナ禍に生まれた2歳半の我が子は、これが人生で初めて見る花火となった。

 

「ねえ、ママ、あれ。なあに?なあに?」

「あれはね、花火って言うのよ」

「はなび?」

「夜のお空に咲くお花のことよ」

「お花?お花って、ひまわりとか、チューリップのこと?」

「そうよ」

「ふうん、じゃあ綺麗なの?」

「それは自分で見て確かめてみたらいいんじゃないかな」

「うん、見てみる!」

 

私に抱っこされた我が子は、必死に私にしがみつきながらスカイツリーの真横に打ち上がっては散ってゆく花火をかじりつくようにして眺めていた。

初めて目にする花火に大興奮し、出だしはきゃーーーという大声をあげ、途中からは真剣な眼差しで黙って見つめ、10分後にはしっかり飽きていた。

そうです、これが2歳半の集中力です。

 

「花火を見るときはね、たーまやーっていうのよ」

「わかった!たーまやーーーーーー」

「たーまやーーーーーーー」

 

そう言ってふたりで笑い合ったあとに、尋ねてみる。

 

「で、花火を見るときはなんて言うんだっけ?」

「たーままーーーーーーー」

 

そうか、たーままーなのね。

思わず笑ってしまうと、我が子も自分の間違いにようやく気がついてゲラゲラと笑っていた。

 

花火はまだまだ上がっていたけれど、すぐに花火に飽きてしまった我が子と、さっさと一緒に駐車場に停めていた車へと向かう。

今日一緒におやつの時間に合間に食べたサーティーワンのアイス美味しかったよね、ママのはチョコミントだったよね、あれって結構スースーする感じだよね、なんて会話をする。

なかなか高度な会話もできるようになったよなあ、とちょっぴり驚く。

 

車を走らせ始めて数分後に、誰しもの予想通り、我が子はすっと眠ってしまった。昼寝もなしだったもの。車の揺れも、心地いいもんね。

赤信号で止まった瞬間に、振り返る。チャイルドシートで静かに眠る我が子を運転席から確認して、そっと車の窓を開けることにした。

 

 

あのね。あなたはすぐに飽きちゃったから帰ることにしたけどさ、実はママはね、もう少しだけ、花火大会見たかったんだよね。

 

だからせめて、と思いながら車を走らせながら遠くからドーンドーンと響く花火の音に耳を澄ます。運転中だから見えやしないけども、音だけでも花火楽しみたいし、と思いながら運転していると、また赤信号で引っかかる。

その瞬間、何気なくぱっと助手席側の窓を振り向くと、東京にしては珍しく道の先がひらけていて、ビルの隙間の夜空に大きな花火が綺麗に打ち上がっていた。

 

ああ、今日も頑張ってよかった。

ラッキー、と思いながらその景色を瞳に焼き付ける。

赤信号の絶妙なタイミングよ。

 

 

小さな子供がいては、混雑で有名な隅田川花火大会に行こうだなんて発想にはなかなかならないし。だけども花火が見たかった私に、なんだかこんな幸運をありがとね。

ワンオペちょっとやだなって、寂しいなって思ってたけど。よく考えれば最高に素敵な恋人もいるし(いや本当に自慢なほどにかっこいいんだぜ)、それなりに心強い元夫もいるしって思えば、なんなら普通の人より二馬力で手助けがある気もするんだよ。

 

そんな元恋人も、大きな決断をしてくれて、私と我が子のためにいっぱい時間使ってくれるわけで。都会の隙間からは大輪の花火が私を見下ろしているわけで。

今日という日に何に文句のつけようがあると言うの、ねえ、雨宮美奈子さん。ないですよ、そりゃもう。

 

そんなことを考えながら、我が子の寝息と遠くから聞こえる花火の合わせる音を聞きながら、疲れた身体でご機嫌に車を走らせる。別に高速道路を使わなくとも、上野と銀座の間は地下道を使えばスイスイと進めるのもなんとも心地いいものよ。

(そういや私は福岡で都市高って呼んでたからいまだにそう呼んじゃうんだけど、首都高、って呼ばないと東京ではいつも笑われちゃうのよ。地方の人、気をつけて!)

 

難しいことで有名な東京の道で運転するのにももう慣れたもんです、車線変更ももう怖くはないのよ。私はこの街で結婚して出産して離婚して忙しく生きてきて、肌に馴染んだ都会の空気感も愛していて、次の恋人も東京でまた出会って。

しかし離婚すると思って結婚しない訳で。いつだって予想しないことだらけよ。

 

この先がどうなるかだなんて、そんなことは勿論わからないけれど、永遠の愛なんてものをまた誓ってみたりもして、んでそれを懲りずにまた信じてみたりして、これまた都会らしく忙しくせわしなく、スイスイと今日も止まらずに泳ぎ続けてはいる。

 

今日もまた頑張ったし、明日もまた頑張ろうね。

いろいろ予定変更もあるかもしれないし、予想しないことも起きるかもしれないけれど、そのたびに車線変更して整えていけばいいから。なんとかなるから、どうせ慣れるから、ってか慣れるしか無いからさ。

 

 

自宅駐車場に車を停め、ぐっすりと寝てしまった重い我が子を米俵のように抱えながら寝室へと運ぶ。

 

そしてリビングに座り、この文章を書き始めました。

そんな私の今日も1日、お疲れ様でした。おやすみなさい!

 

 

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