Minako Amamiya

雨宮美奈子、美徳はよろめかない

3.11 あの日、あったこと



わたしはとある銀行にお勤めの方々から偶然お話を伺うことがあり、
それがあまりにも心にぐさりと残るものであった為、
是非とも共有したいと思い、ここに書くことにしました。

震災があったあの日。あれから。

東日本大震災があった直後、数日経過しても、数週間が経過しても
全く電気が通わない被災地が多くありました。

しかしながら津波によって大事なものを流された人々、
家の崩壊によって大切なものを失った人々は多く
それでも彼らは生活をしていかねばならないという状況で
彼らは何よりもお金が必要な場面だらけでありました。

銀行で勤めている方々は、毎日毎日家にも帰らずに仕事をこなし、
預けているはずのお金をおろしたいという方々の対応をせねばなりません。

電気がまだ通らない地域もある中で。
顧客情報が全てデータ化された現代では、電気が無くては
そのひとがお金を預けているかどうかなどを確かめる術はありません。
しかし、目の前の人はお金が必要な緊急事態。
顔見知りの顧客ならばいざ知らず、そうでない方だって多くいる中で。


福島県福島市に本店をかまえる、東邦銀行という地方銀行があります。
その銀行では身分証などで確認をとることを必要としつつも、
ひとり10万円までは預けているか確かめようがなくとも、
顧客を信用し、どんどんとお金を手作業で渡していました。

そんなある日、東邦銀行のまだ電気の通らない支店に、
女子高生が訪れたそうです。

その女子高生は、まだまだ幼い小さな弟を腕に抱えて来店しました。

『あのー、すいません。ここで10万円、おろせるんですよね』

「はい、そうですが」

『うちの両親が、この銀行に預金をしているはずなんです。
そのお金を、おろしたくて。おろせますか?』

「ご両親は?」

『それがまだ…見つからないんです。

それじゃあ、おろせないですか?』

勿論、女子高生に身分証の提示を求めても仕方がなく、
それよりもこれがなんと悲惨な状況であるか、
ということを行員の方は痛感されたそうです。

結局、東邦銀行の方はどういう行動をしたのか。
彼女に両親の名前を確認し、すぐさま10万円を渡したといいます。
これは支店の、様々な権利などを持っているえらいひとではなく、
その現場で働く行員さんたちの判断によってなされたことでありました。
上の判断をいちいち仰いでいては、到底間に合わなかったのです。

(ちなみに後日、彼女の両親が亡くなったことが分かり、
残りの預けていたお金も全て彼女と弟に渡されたそうです。)

東邦銀行にはこのとき、たくさんの人がお金をおろしにやってきました。
この女子高生だけでなく、身分証を持たない、預金を証明出来ない、
というひとたちは多くいました。
しかしながら東邦銀行はそれでも、10万円を常に常に、渡していました。

正直『何人かは便乗してきているだけで、嘘いってるかもしれない。銀行は損する』と、思った人も多くいたのではないかと思われていました。
しかしその後確認したところ、なんと東邦銀行でのそのような損失、
嘘をついてお金をおろした被害額は、ゼロ、でした。

こことは別のとある東邦銀行の支店長さんは、12日間家に帰ることが出来ず、
それでも次々に訪れる方々の対応を優先して働いていました。
着替えなど勿論ある訳も無く、同じスーツのままで。
彼は言いました。
「自分は帰る場所がまだあった、全然ましだったんだよ。
どんなに働いても、帰る場所はあったんだよ。」

どれだけ銀行の方も必死だったのか、ということが分かります。

>>

またひとつ、別の銀行で七十七銀行というところがあります。
これも東北地方にある大きな地方銀行です。
ここでも全く同じような出来事がたくさんあったと言います。

ここのとある支店では、電気が通らない状況であるにもかかわらず、
夜でもひっきりなしにお金をおろしたいという方が多く来ていました。
そこでそこの支店長さんは、ガソリンが大変貴重な時期ではありましたが
銀行と取引のあったガソリンスタンドなどをまわり、
すこしずつすこしずつガソリンを拝借し、
そのガソリンを利用して車のヘッドライトで店を照らしました。
それにより、この支店では夜まで対応することが可能となったのです。
これは支店長がとっさに判断したアイディアでありました。

銀行、という場所はそこまでクローズアップされないものです。
むしろ震災の中で被災地で元気にそれでも動こうとしていた、
商店やコンビニエンスストアに焦点をあてたニュースは多く見ました。
自衛隊や消防隊の活躍も多くニュースで聞きました。

銀行に限らず、商店に限らず、あの日、あの直後。

たくさんの人々が奔走し、いちはやく復興出来るように努力し、
自分の生活などを顧みることなく貢献し、
家族をなくした銀行員の方々も毎日出勤をし、
必死に、必死に生きていたという事実を忘れたらいけないんだよ、
と、あのとき被災された方がおっしゃっていました。

そしてわたしに、この上記のエピソードを教えてくださいました。

3.11
あの日、福岡にいたわたしは小さな揺れも感じていません。
インターネットやテレビが無ければ知ることが出来ないほどに、
感じることの出来ない、震災でありました。
福岡ではそこまで電光掲示板が光らない、みたいなこともなかったわけで。

何を言ったって体験してないのですから、わたしはやはり震災を知りません。

しかしながらこのように伝えてくれる、生の声を聞けることは、
この時代を共に生きているからこそ得られるものです。
知っておかねばならないことでしょう。

伝えてくださった方々、有難う御座いました。