Minako Amamiya

雨宮美奈子、美徳はよろめかない

四半世紀の節目にあたって

25歳に、なりました。わたしの人生が、いよいよ四半世紀の節目へと突入します。

 

 

なんというか、25歳という人間はもっと立派なものだと思っていました。皆さんもそうじゃなかったでしょうか、って思うわけです。だって20歳になった時だって、20歳はもっと立派なものだとずっと思っていたのにあっけなく20歳になっちゃって、当時はそのギャップに少し悩んだわけで。

 

でも、もう25歳。そのギャップは、もはやあの時以上。ついに被選挙権を手に入れたわたしは、年齢制限のあるものがいよいよ無くなってきたのではないかと思うのです。うーん、これはすなわち、もう人生あんまり新しい発見がなくなっちゃうんじゃないかって、そういった不安の種でもあります。

 

……なんて言ってますが、まだまだ新発見の続く日々は終わりそうにありません。まだ人生の大きなイベントである結婚やらも経験していないし、人生で一度くらい自分の車を買ってみたいとも思うし。そういう諸々、まだまだ楽しみが尽きない予感なわけです。うん、まだまだ。

 

新しい恋人(と同時に婚約者)に、新しい仕事に、新しい住所、新しい人間関係。何もかもが新しくアップデートされた24歳でした。来年のわたしは、新しい苗字で無事に26歳を迎えているのでしょうか。

わたしの人生のうちで目指すべきもの、そんなものが見えていた気がした頃もあったはずなのに、今ではめっきりどこへやら。それでも、何か見つけたいと、もがきたいとは未だ思っています。

 

きっと、東京オリンピックがある、そんな頃には。わたしはもう少し、自分の人生の道筋に納得できる進み方をしていると信じていたいです。夢を追いかけるもよし、その夢がズレるもよし、夢がいつの間にか子育てに追われて後回しになっているもよし。

 

多分きっと、こういう考え方をしている今、これがなんだか25歳になった最大の実感なわけです。去年だったら、そうは思えなかったはず、なので。

 

 

追伸: そういえば、今回の誕生日は恋人に少し凝ったデートをしてもらいましたが、それはまた今度にでも書きたいと思います。それでは。

 

追伸2: インターネットの世界ではおなじみのこちら、を貼っておきますね。ご査収ください。

https://instagram.com/p/-bgqNYinhl/

「あなたは良いものを持っているべきだ」とダーリンより。良い25歳になります💓 #CHANEL #CHANELwallet #luv #birthdaypresent

東京は僕のことを、あまりにもすんなりと

秋めいてきた。
 
東京に移り住んでからというもの、新しい仕事を得て、駅の路線図も頭に入ったおかげで効率よく乗り換えられるようになって、ハイヒールで歩く速度も早くなって、少しはわたしも東京のひとになってきたのかなと思う。
 
先日、東京の区役所に転入届を出した時、ああわたしは福岡の人間じゃなくなるのだ、という意識が強くなって、自分で決めたことだったはずなのに少し落ち込んだりもした。東京に移り住む人は、みんなこんな気持ちになったりしているのだろうか。
 
 
目まぐるしく、そしてきらびやかな東京はいつだって鮮やかだ。
 
今日は、仕事でFURLA銀座店のリニューアルパーティーに参加させていただいた。ので、そのことについて触れてみようかと。すっごく、トーキョー、だった。https://instagram.com/p/8nPtCFCntW/
 
銀座、芸能人、ファッション。
パーティーで見かけたその羅列は、ああ、分かりやすく東京だ、と思った。
 
なんだか今日ほど東京に来たなあと思った日はないかもしれないな。……とかこんなことを言ってるうちは、やっぱりわたしは東京に馴染めていないのかもしれない。
 
明日オープンのFURLA銀座店。大通り沿いに鎮座していた。

 

f:id:areyoume17:20151009215513j:image

 

メイン部分と、カバー部分が選べて着せ替え出来るミニバッグは本当にかわいくて、宣伝じゃないけれども『買わなきゃだめだな〜』と思わせられ。

しかし東京の初任給を受け取っていない今は、ちょいと我慢。

 
f:id:areyoume17:20151009215627j:image
 
華やかなフロアは、きらきらと眩しく。
東京は夜だって昼のようだ。
 
f:id:areyoume17:20151009215613j:image
 
今季から登場したという、このリュックがもう、たまらなく可愛くて。FURLAの代表であるキャンディバッグ、この手もあったかという。
 
f:id:areyoume17:20151009215537j:image
 
濃いピンク、きてました。
 
靴もいろいろ。これなんかは歩きやすそうで、仕事で出歩くときにもガシガシいけそうだなとちょっと目をつけてきた。
 
f:id:areyoume17:20151009215646j:image
 
よし、おねだり候補にしておこうと決めた。
 
 
そんなこんなで、東京を感じた日だったので自分の中で思いを残しておきたくなり、このブログも書いてみたわけだし、あまりひとりで自撮りなんかはしないのだけど、自分を写真に残しておいた。

https://instagram.com/p/8nWo46CnnK/

自撮り📷 普通に全身 #VivienneWestwood で来てしまった。今度からブランドのパーティーにはそのブランドのものを持って行こう……!👜 #furlaginza

 

たとえば一年後の今頃、わたしはきっと、もっと東京人のふりが上手になっているのだろう。

合法的駆け落ちをしました

東京へと移り住みました。
 
この2ヶ月ほどの間のことを書くのは全体像が大胆すぎて非常に難しいのですが、人生最大とも言える転機がありまして、現在既に東京へと移り住んでいます。
 
こちら一言で言うなれば、『合法的駆け落ち』をしました。
 
親や仕事や様々なことに一応はきちんと決着をつけているけれども、半ば無理矢理に愛する男性に遠い地へとさらわれてしまったかのような、社会との関係性を壊さない丁寧な駆け落ちです。
今は東京でゆっくりと毎日を過ごし、愛する人のために日々お弁当を作っています。早起きが非常に非常に苦手なわたくしではございますが、雨宮美奈子、冷凍食品を一切使わずに頑張っているわけでございます。

卵焼きが綺麗に焼けた日は気分も最高です。

f:id:areyoume17:20150821010413j:plain


 
またそれに伴い、転職もしました。
9月からは神保町という街で、または家でコツコツ文章を書いたりしているであろうことかと思います。読んでください、よろしくお願いいたします。

 
 
さてはて。

わたしは本当に、きっかけを待ち続けている人生、でした。
大都会から、王子様が博多まで迎えに来てくれるのを待っている人生でした。
 
わたしという人間は、どうやら自分で決めた人生を楽しく謳歌していると人様からは見えるらしかったのですが、全くそんなことはなくて、常に受け身で物事をこなしつづける人生を過ごしてきました。
 
したい仕事に明確につくわけでもなく、敷かれたレールの上を歩み続け、地方の国立大学に通うことで正解だと思い込もうとしていた若者でしかなく、親を安心させるための就職をし、その中で頑張ろうとコツコツやるような、そんな不器用な人間です。
 
 
結局、わたしは女なのでした。
 
男の手によって東京へと引っ張られることを夢見ながら、小さな田舎で待ち続けていました。
(大学ではジェンダー学専攻して男女平等社会ばっかり考えてたのにね!ジェンダーおばちゃんは男性に敗北しました!)
 
でももう、こんなきっかけが無ければわたしは絶対に東京へとは出てこれなかった、したい仕事へと近づけなかった、と思います。だから連れてきてくれた愛する人にはそれはもう強く感謝していますし、両親へと頭下げるときには無理矢理にでも付き合ってもらいます。(一緒に怒られましょう!)
 
 
そのひとは、何年も前から知っていたひとです。
初対面の時から「好きだな」と思っていた男です。
何度も会いながらも、先輩後輩の粋から脱することが出来なかった関係です。
 
手に入ることなど無いだろうととうに諦めていたので、思い切ってわたしの人生をかけての勝負に出ましたらば折れてくださった、そんな粋な年上の男です。
当人いわく『もうお前にべた惚れだよ、俺こんなふうになるなんて俺が知らなかったよ』とのことなので、それなりに結構幸せに暮らしています。
 
恋をすっ飛ばして愛してしまった人なので、遅ればせながら恋をしようとふたりで同棲しながら今、もがいております。
 
 
皆様の温かい目、リア充を惨殺したいと仰っしゃるご意見などに囲まれながら、わたしはこんなかんじで東京生活をはじめました。詳細はいつか記事にでもします。
 
ということで皆様、東京でお会いしましょう。
よろしくおねがいします。以上、ご報告まで。


シュビドゥバ 銀座

先週、銀座へと出向いた。
 
歩行者天国になっている銀座の道路、活気が満ち満ちていたにも関わらず、大きな違和感があった。なるほど、歩くひと、歩くひと、皆が日本語を話していないことにふと気づく。
 
派手めのファッション、がに股のその歩き方でこの人々が何者かという推測はつく、そう、今銀座には中国人観光客が溢れきっている。
 
銀座は誰のものってなわけはないのだけれど、通行人の過半数以上が明らかに日本人『ではない』という状況に少し危機感を(勝手に)覚えたのだった。
わたしはシンガポール生まれシンガポール育ちだけども、ここ銀座は日本人の憧れの地であることぐらいさすがに分かるのである。
 
そびえ立つ銀座のビルの群れ、見上げればユニクロの看板。
銀座にもユニクロがある時代……かと思いきや、驚き桃の木、GUまである。ついでに免税店のラオックスも路面に大きなビルを構えている。
ファストファッションもあるのね、を通り越して激安の服飾店もかまえているとなると、ここは本当に銀座なのかと問いたくなる。
なぜなら、三越が、憧れのジュエリーショップが、喫茶店の名店が、華やかな夜のクラブが、それがわたしにとっての銀座のイメージを形作るものだからだ。
 
資生堂パーラーに入る。
少し並ぶ。その間に周囲を見てみれば、客には中国人観光客が多い。

日本に来る中国人の若い女の特徴として、綺麗な肌、がに股、シャネルのミニバッグ(ちゃんと本物)、派手なスマホケース、大きなサングラスあたりが特徴として挙げられると思う。爆買いされた複数の紙袋も特徴的。資生堂パーラーはそんな女の子を含めた中国人家族連れが多かった。
 
どこでもかしこでも中国の友人や親戚と画面通話している。日本人が、あまり公共の場でやらない光景だ。
 
銀座には今、中国語表記が目立っている。中国人観光客を失っては潰れてしまうという店も多いのではないだろうか。
 
時代の流れといえば仕方ないであろうが、どこか切ない。
そういえばパリに行った時、ルイヴィトンのシャンゼリゼ通り店で店員が言っていた。『今は中国人のお客様ばかりだけれども、バブルの頃は日本人だらけでしたよ』
シャンゼリゼ通りがパリのひとにとってどんな意味をなすのか、わたしにはきちんとは分からない。けれどもきっと、銀座のような場所なのだろう。
 
その街の商業のシンボル。
そこは常に、それぞれの時代を先導する国の人が爆買いをするおかげで成り立っている街なのかもしれない。そして、店に丁寧な歴史はあれど、客層には積み重ねた歴史はないのだろう。客に文脈はない、あるのはその時代を象徴する豊富なマネーだけだ。その中で、どれだけマネーにあやかりながらも、きちんと伝統や歴史との折り合いをつけていくのかが重要なのだろう。
 
うーん、でも、なーんかやだね。資本主義って感じ。
……と思いながら、わたしは資生堂パーラーのアイスを小さく口に運ぶ。それはそれは贅沢な、きちんとした銀座の歴史の味がした。

田舎は政治家のポスターで溢れているし、鯉は食べられる

 

家の壁面に自民党やら公明党やら、政治家のポスターを貼っている家がやたらと増えてきたなと思ったならば、既にそこは田舎である。
 
今日は佐賀県へと行ってきた。佐賀県有田市。
有田焼という名の陶器で有名な、それは小さな田舎町である。
 
わたしは佐賀県のことを愛をこめて福岡県の植民地と呼んでいるが、からかえばからかうほど何故かいつも佐賀県民は嬉しそうに自虐的にのってくるため、わたしはそう呼び続けている。決して、わたしが意地悪なのではない。
 
個人的見解ではあるが、この手の話をする時の佐賀県民はマゾがとても多いと思う。
 
博多駅から有田駅へ行くには、長崎県の佐世保駅行きの電車へ乗る。
その途中で降りるというシステムだ。もはや長崎行きのおまけのような存在として途中に佐賀の各駅があるかのように思えてくる。やはり植民地だ。
 
車窓から見える風景は、ひたすらに緑色だった。
視界の95%がグリーン。癒やしというよりもはや暴力的に緑、緑、緑。
田んぼと山がひたすらに続く風景は、最初こそ『いいなあ、癒やされるなあ〜』と思えど、段々と1時間も見ていれば飽きてしまう。ちょいちょいと近代的な建物が挟まり、変わり映えのしない田舎の風景。ポツポツと離れて建つ民家に、段々と政治家のポスターが増えてくる。ああ、田舎だ。
 
わたしは今、福岡に住んでいるけれども、東京も含めて地方都市なんかでそこそこに俺は都会だ!と言い張れる都市は日本には何県あるのだろう。多く見積もって7つぐらいだとしても、それならば40の県は田舎ということになる。でもその40が、この日本を最も数的にも支えている。
東京がいくら大暴れしたって、大阪や名古屋とタッグを組んだって、40の県が反抗すれば日本の流通や経済は崩壊する。
  
こういう見慣れた退屈な田舎が、この日本ではほとんどなはずで、つまりこの国のほとんどを支えているのだ。スタバもヴィレバンも、彼らには遠い存在だ。そりゃイオンが地元に現れたならば、イオンは田舎の救世主として君臨できるわけだ。
イオンは、今、田舎にとっての文化を形成している。そりゃそうなる。
 
 
さて今日、そんな佐賀県有田市の地元の人間に『恋は好きか?』と唐突に聞かれた。
 
あらやだ、そんなロマンチックなことを突然聞くなんて!と照れたところ、それは『鯉(コイ)』の話だった。マジで紛らわしい。
 
鯉か、鯉。
太宰府天満宮の池で綺麗に泳いでいる姿しか見たことがない。ひえええ〜食べられるんだな、鯉ってのは。想像がつかない。

正直に食べたことがないと言うと、嬉しそうに鯉が美味いと評判の地元の料亭に連れて行ってもらえた。
 
橋を渡ると、料亭が現れる。
 

f:id:areyoume17:20150715212501j:image

 
今日連れて行ってもらったのはここ。

創作川魚料理 料亭龍泉荘


本当に美味しい店は食べログにも、ぐるなびにも載っていない。
検索したって情報が少ない。
これが地元の人が教える、美味しいお店なのであろう。
 
鯉というのはそのまますぐに食べると泥臭いらしく、普通は食べる1ヶ月ほど前に綺麗な水槽に取り出して泳がせて臭みが抜けるのを待つらしいのだけれども、こちらはそれを3ヶ月もしてから調理するという。
そんな説明を聞くと、ますます期待が高まる。
 
出てきた鯉の刺盛りは、圧巻の鮮やかさだった。
どーーーーん!

f:id:areyoume17:20150715212531j:image
 
うん、美しい!
その一言に尽きるね、まったく!

そのボリュームもさることながら、まるで『脂を綺麗に抜いたあっさりとした鯛』のような上品な味わい。うまい、うますぎる。酢味噌に紫蘇と葱を配合し、自分だけの調味料をブレンド。それを絡めて食べる、肉厚な鯉の刺身。
 
これだけ食べて、前菜やら茶碗蒸しやら、鯛汁ならぬ鯉汁までをもたっぷりと頂いて2500円ほど。なんということだろう。この日本において、この現代日本において、こんなことがあっていいのだろうか。(ちなみに上にのっている白いのは皮の部分らしい、こちらは淡白で歯ごたえが良い)
 
わたしはこの時、もはや福岡県が佐賀県の植民地になってもいいのではと初めて思った。
 
40の田舎の県には、きっと美味しいものがこれまた散らばっている。東京と大阪に媚び売って仲間になっても、名古屋とも仙台とも結託したとしても、きっと僕らはこの40の県に勝てない。だから田舎はあなどれない。わたしはなんだかんだ言いながら、結構こういうクソ田舎、大好きなんですよ。
 
人生初の鯉、絶品でございました。
佐賀、愛してる!
 
 
 
(おまけ)
 
その後、有田市の歴史公園へ寄ると不思議な風景が広がっていた。
 

f:id:areyoume17:20150715212537j:image
 
これだけ見るとなんのこっちゃと思うかもしれないが、この柵から奥は立入禁止であり、奥の大きな岩まで数百メートルも離れている。
 
ここは、大きな大きな岩山だったという。
有田焼にふさわしい良質な陶器の原料となる石が多く取れるとのことで、ダイナマイトで爆発しては削っていき、その結果ここにあった山は綺麗になくなったのである!
 
まるで何かのアトラクションか、映画のセットのごとくここだけ唐突に砂漠のようになっているのだ。あまりに奇妙な風景だった。本当にだだっ広い。やまびこを叫べば、跳ね返らなそうなほど遠くの岩肌は遠い。
不思議な、不思議な風景だった。
 
佐賀県、結構おもしろいじゃん。
これからも福岡の、植民地でいてくれよ。愛してるぜ。
 

 

熟成肉といえば、ラム肉であってほしい

熟成肉ってのが流行ってるそうだ。
 
こちら東京だけでの流行りものかなと思っていたら、東京やNYで流行っている『Butcher』がいつの間にか福岡にも2店舗ほど出来ていて、流行りものが好きな博多の人々によってこれまた予約が取りづらくなっているという。
 
そもそも熟成肉とはなんぞやという話で、Wikipedia先生に尋ねてみると、
 
乾燥熟成肉(かんそうじゅくせいにく)とは、牛肉・羊肉・ジビエ(野生の鹿肉など)などの食肉を、保存しつつ熟成させて更に柔らかく美味しく食べられるようにした食品である。冷蔵庫がなかった時代に、欧州で食肉を冷涼な洞窟や地下倉庫などに吊るして保存したことが起源である。
 
という。うん、よく分からない。
なのでわたしの認識では腐らせるわけじゃないけど、納豆みたいになんかうまくやる感じ、という認識である。あってるかは分からないけれど、とりあえずそういうもんで旨味が強いということにしておこう。このあたり、うまく一言で書いてくれる人いたら助けてください…。
 
 
ということで、熟成肉。
東京やシンガポールにも店を構えているという『WAKANUI』に行ってきた。今月行ったので既に3回目の訪問。たまには食べ歩きブログっぽいの、実は書いてみたかった。
 
福岡では都心近くの薬院、妖怪ウォッチでお馴染みのレベルファイブの入ってるビルの1階。
 

お探しの店舗のページはありませんでした

  
梅の花という有名な豆腐・湯葉料理のお店がありますが、どうやらそこのグループ経営だそう。
  
もう、イチオシから最初に紹介してしまうと
ダントツで一番美味しかったのはこちら、
羊!ラム肉の熟成!どーん!
 

f:id:areyoume17:20150616204321j:image
 
きゃーーーーーーーー

見てこのピンクのお肉!!!桃色吐息!どっはー!
むさぼりついて食べる、とはまさにこのこと。
塩のふられた美味しい焼き目に包まれし柔らかな歯ごたえ。
噛んだ瞬間のじゅわっとした肉汁が脳天にどーん、じゅわっ!最高!
 
ラム肉が苦手な人でも絶対に食べられると思ってしまうほどに羊独特のあの臭みは抜けていて、ひたすらに柔らかで上品なお肉になっている。本当に、不思議なほど。
野菜好きのわたしでも、この時は付け合せの美味しい野菜も無視してしまいたくなる、それほどに肉に夢中にさせてしまう。これ、ほんっとうにおすすめです。
 

で、熟成肉といえばビーフらしい。(忘れてたけど熟成肉ブームってそもそもビーフ肉のことをほとんど指すはず?)
 
ヒレ肉がこちら。
 
f:id:areyoume17:20150616204408j:image
 
てろりん。てろりろりん。
見よ、この美しさ。
ヒレ肉がつやっつや。つやっつや。輝きを放っている。
こんな上品なテカり、初めてだというほどのつやっつや。
 
牛肉がいつもより柔らかで、やんわりとした噛みごたえ。旨味もちょっと凝縮されてる感じ。ビーフジャーキーになりかけたお肉のビーフジャーキへの道のりの進捗2割、ってなところの味。
こちらもとっても柔らかで美味しいと感動はしつつも、うーんうーん、羊肉のほうがやはり良いかもと思わず思ってしまう……
 
 
臭みが消えてしまえば、ラム肉って万人受けする最強の肉になるはず。
熟成肉にすると、まさにそれが消えてくれて、やわらかな食感と強い旨味だけが残っていく。つまり、最強。わたしはあの臭みも好きなんだけれども、これもやはり好き。
ちなみに熟成肉、豚肉や鶏肉はあんまり向いていないらしい。
 
わたくし、雨宮美奈子、人生たったの24年しか生きてませんが、どこで食べた羊肉よりも美味しく感じられて、こちらのラム肉は毎度食べながら『たまらん』『最強』としか言わなくなっていくのです。
人間、うまいもん食べてる瞬間は愚かになっていくね…
   
 
他にもたっぷりの野菜を合わせたコブサラダ、白トリュフのオイルをかけたフライドポテト、他の店ではなかなか見ることのないデザートなどもたっぷり食べるんだけども、やっぱりこのラム肉の美味しさにはいつも全く敵わないというか霞んでしまうというか。
(ということでその辺はもはや写真撮ってない)
 
たっぷりの赤ワインを飲み干しながら、最高のお肉、熟成されたラム肉をむしゃむしゃ。これが一番美味しい食べ方だと思うこの頃。
 
どこかの回し者ではないけれど、こちらのお店のラム肉はラム肉への概念を変えてしまうほどに本当におすすめなので(そして多分だけれど東京よりは予約とれると思うので)、熟成肉といえばビーフと言わずに、ラム!をもっと浸透させていきましょう。
  

[tabelog:3756797:title]
 

 ラムアンドピース。以上、雨宮美奈子でした。

乳首の毛を剃らなくなってしまった女の話

唐突だけど、女の乳輪まわりにも毛は生えるのは常識だ。
そう、この毛が生えるのは男だけじゃない。
 
もしもこの文章を読んでいる男の中で『え、女にも生えるの?まあでも、いうて産毛レベルでしょ?男ほどじゃないでしょ?』などと生ぬるいことを抜かす奴がいたら、『女 乳首 毛』あたりでGoogle先生に画像を尋ねて、もうちょっとお勉強してから出直してきて。じゃなきゃ童貞野郎って呼んでやる、下手すりゃ博多湾に沈めてやる。
 
 
若いお嬢さんは基本的にムダ毛をそれなりに気にしていらっしゃる人が多いので、温泉なんかで裸体を見ても『あなたの裸体についてる毛…ぱっと見、アンダーヘアしかないね』状態なんだけども(それさえも綺麗さっぱり取り除いてる人最近多いよね〜)
  
ちょっと年齢を重ねた、ダイレクトに言っちゃえば…そろそろセックスレスに突入したかな?程度の年齢の妙齢の方々はしっかりとした毛が乳首のまわりに佇んでいることが多い。
もっともっとおばあちゃんになれば、乳首は薄いピンク色になり、毛…しわしわのこの肌に生えてるかな…状態にまで突入するがそれはもうちょっと未来の話。
 
 
そんな乳首の毛。
正直、こまめに剃るのは面倒である。
でも剃らなければ生えてくる、ヒゲとかと同じでほんの少しでも放っておけば変なチクチク状態になってしまう。
 
別にいつもはブラジャーの中にいるだけの存在なのだから、ちょっとやそっとじゃ剃る必要も、ついでに誰かに見せる必要もない。
だからむしろ繊細な部分でもある乳首の周辺の毛は、本来必要がある場合に剃るだけにしておいて、いつもは放っておくだけで良いはずなのだ。
 
しかしながら、例外がある。
恋人、つまり裸を見せるひとが近くにいる場合は例外なのである。
 
イチャコラホイホイとベッドに、いつ引っ張り込まれるかわからないうら若き乙女たち。遠距離恋愛ならいざ知らず、近くに恋人がいるならそんなことは日常茶飯事だろう。
 
いつ紳士諸君に脱がされても良いように、そして見栄えが良いように、肌触り(もしかすると舌触りかもね?)がチクチクしないように、女の肌はすべすべという男の抱く幻を守ってあげるために。日夜、乳首の毛をしっかりとカミソリで取り除く乙女たちの戦い。なんと、素晴らしいではないか。
 
 
つまり何が言いたいのかというと、そんな乳首の毛をこまめに取り除く戦いから降りてしまった女がいる。他ならない、わたしである。
 



以前ブログで、わたしはこんなことを書いていた。

そういえばひとって(特に女性か)、自分には恋人ができたぜ!とやたらに良い報告はブログなんかに書きたがるのに、いざ別れたらそのことは妙に書きたがらないよね、ってことをふと思う。
あれ、格好悪いから、わたしは別れたら潔くすぐさまブログ書きますとも。それを今、ここに約束しておきましょう。その時は悪口めいっぱい書こう。ひゃっはー!ってなテンションでな。

minako.hatenablog.jp

 

そう、わたしは約束していた。
ドヤ顔でブログに恋人ができた報告をする以上は、きちんと別れたよってのもインターネットの星屑の海に放流せねばならないんだろって。約束は守ります、だからここに書きます。別れました。女に二言はないのだ。
 
人と人が関係性を構築するには、色々な障壁がある。
けれどもそんな時は愛さえあればイッツオーライ♡で強行突破してきたのがほとんどだ。だが今年で25歳のわたしには、そろそろ結婚という文字が脳裏をよぎる訳でして、人生計画の様々な分岐点を意識したときに、相手からNOを突きつけられることもある。
致し方のない別れが、ある。
 
  
私立の高校出身で、スタバを飲みつつ塾に通っていたわたしには知らない世界が多々あった。そのまま地方国立大学に入って、終電を過ぎてしまうという概念を決して持つことなく、パチンコのルールも知らないわたしに、世の中の些細なことから実は大きなことまで、いつも車の助手席に乗せてくれながら多くのことを教えてくれた元恋人にはとてもとても感謝している。本当に、たまらなく感謝している。
そして、きっちりと記念日に別れてくれたこともある意味良かったのかもしれない。
 
 
そういうこっちゃでわたしは今、乳首の毛に意識が向いていない。
思い出したように剃ることはあれども、剃って無駄に肌荒れを引き起こしかねないぐらいなら、次に誰かに裸体を見せる必要がある日まで放っておこうかと思っている。
 
しばらくは、不意打ちで見せることも、見せる元気も無さそう、なので。
 
 

 



 

アナ雪しか知らずにMay J.のライブへ行った話

招待券をいただいたので今日、May J.の福岡でのライブへ行ってきました。
 
これが結構面白かったので、ちょいと文章として書き残しておきます。
 
 
正直、May J.のイメージはアナと雪の女王でのLet it goしか知りませんでした。

わたしは原作の映画が好きなので、iTunesで何曲かオフィシャルの歌もきちんとダウンロードしていたけれど、正直に言ってしまえば松たか子バージョンしか入れてなかったし、『声優やってる主役のひととまた違う、別バージョンが有るんだね〜』というイメージしか彼女の歌には持っていなくて(エンディング歌ってるのにね)、彼女の曲はダウンロードしていませんでした。というか、彼女のバージョンのほう、あまり知らないままでした。(公式なのにね)
 
そんな状態で『いやー、きっとLet it go歌ってくれるだろうな〜!』の期待のみで向かった、福岡市民会館。思った以上に混雑している入り口。周囲の駐車場は満車。
来るまでは正直、『May J.のファンって層どのへんなんだろう?男性なんだろうか?若いひといるのか?』などとまったく想像がつかなかった状態だったけれども、いざ見てみれば年齢層はバラバラで、若い女性からおじいさん的な人までいて。ファミリー層も多い。
 
 
しかし関係者入り口に並んでいると、眉毛の細いジャージ着てる活発そうな女の子、もっとハッキリと思ったありのままに言ってしまえば『E-girlsになりたかったけれどなれなかったガールズ』がいっぱいいて、なんやこれは〜、と思ってたらみんなエイベックスみたいなカードを持っていまして。

予想なんだけど、エイベックスのダンススクールみたいなとこの学生が招待されてたみたいでした。うーん、福岡で席、埋まらなかったのかなァ。だとしたら明日の大分県別府市での公演、大丈夫なのかなァ。余計な心配をしてしまう。
そんな中に深夜のドンキホーテにいそうな男子もたくさんいて、廊下に出てみればどう見ても未成年の男子達がぷかぷかと喫煙しまくり。もはや明らかに『心清らかにアナ雪を聴く層ではないだろう!?』と偏見を持ってしまう外見の人が大量にいました。…いやはやわたしは、偏見の多い人間なのですなァ。
 
 
そんな多様性、ダイバーシティ感抜群!のなかで幕が開けていきなり始まったのはDJ KAORIで聴いたことが実は何度もある『Garden』
 


May J. / Garden feat. DJ KAORI, Diggy-MO', クレンチ&ブリス ...


あーーーこれかーーーー!
このクラブでガンガンかかってる歌、おぬし、May J.でしたかーー!
と実は知らなかった事実をいきなり知らされます。
てっきり、TiaraかBENIあたりの歌かと思ってました。本当にすいません。
 
そこからオリジナル曲とカバー曲がどんどんと交互にくる感じで、あまり彼女の曲を知らないひとでも存分に楽しめる構成でした。ユーミンから一青窈、宇多田ヒカルまで。
途中、合唱曲のBeliveとか、風になりたいなんかも入れてきて、なんというか『あなたのコンサートなんだしもうちょっと自分のオリジナル曲やってもいいんだよ!?』レベルの皆で楽しめる優しい設定で、逆に申し訳ないというか泣けるというか。
 
 
ちなみに、前半に突然『ありの〜ままの〜』とあっさりと歌い始めたもんだから『えっ!?ラストにやるんじゃないんだね!?』とちょっと驚いてたら、まさかのアンコールで同じ曲をもう一度歌うという2度のゴリ押し構成で、

ああ、これが2chなんかでMay J.はアナ雪に頼りすぎだとか、アナ雪カラオケおばさんとか言われちゃう理由なのかな、、、とちょっぴりインターネットの声を思い出したりしました。
ちなみに2度目は英語版で、彼女は歌う直前に『一緒に歌って盛り上がろう!』なんて言ってくれてたんだけども、そりゃもちろん観客の大多数は日本人で日本語版しか知らない層だったというような反応でした。
(わたしは2度やってくれたので大喜びでした、こういう層向けにやらざるを得ないだけなんだろうな、申し訳ないなと思いました)
 
 
あと、途中で唐突にクリス・ハートが登場してきてディズニーの歌やらHYの歌をデュエットしていて、圧倒的な歌唱力をさりげなく披露していかれました。
このクリス・ハートの声が、すごい。女性キーのままのHYをそのまま歌うどころか、高音でMay J.にかぶせてハモっていく。オイオイ兄ちゃんすごいやん、という印象を強く残してそっと去っていかれました。

 

 
とまあここまで思ったことを連ねてみましたが、結論からいうと『素敵な歌手だなあ』とMay J.をどんどんと大好きになるライブでした。とても良かった。知ってる歌、たくさんしてくれてありがとうございました。
 
ひとつずつ丁寧に歌う姿勢はもちろん、その端々に真面目さを感じる彼女の姿が目に焼き付いて、深いお辞儀も綺麗で、テレビで『歌うまいな〜』と思うだけで終わってしまっている状態の、わたしのようなひとがグッと引き込んでもらえる、ある意味知らない人にこそ来てもらえたら素晴らしい結果となるライブだったなあと思いました。
 
 
松たか子が(タモリ倶楽部を除けば)、テレビなんかでアナ雪関係の仕事は一切断ってしまったものだから去年、代わりかのごとくMay J.が様々な場面で呼ばれ(というか呼ばれてしまい)、なのにどんなに一生懸命やっても『松たか子が本家だから』と思われてしまう状況にあったのだろうということは容易に推測できます。
嬉しい半面、去年彼女はどんなに苦しかったのだろう、という思いが感じられるMCのメッセージを聞いていて、わたしは思わず静かに泣きました。
 
 
最初から最後まで、3時間弱。
決して大きくはないステージながらも最後までしっかりとサービス精神全開でステージを駆け回るどころか、降りて客席のひとと触れ合いながらステージにまた戻っていくMay J.
 
なんて素敵なひとなんだ〜〜〜〜〜〜きてよかった〜〜〜!うるうる!
 
人のことをE-girlsになりきれなかったガールズなんて呼んでごめんなさい、人のことを深夜のドンキホーテにいそうだな…なんてすぐに思ってしまってごめんなさい、わたしの心、もっと清らかに!していきます!!!!

そう思わされる、まっすぐで素敵なライブでした。泣きました。
皆様もちょいと機会ありましたら、ぜひ観て欲しいなと思います。
 
 
ちなみに。
ライブ帰りにお気に入りの焼肉屋で、これまたお気に入りの『(豚の)おっぱい』を頼み、一緒に食べていた人に『おっぱいだよ、おっぱいだよ、ほらこれおっぱいだよ』とセクハラしまくってしまいました。心は、すぐには清らかにはならないようです。
 

May J.のチケット売買はチケットキャンプ!

 

 

社会人になったよ、報告

社会人になって、いつの間にやら3週間が経った。
驚く人も多いんだけれども、こんなわたしももう社会人なんで、次会う時は皆様に名刺配れるんだぞ。
 
きっと何も変わらないだろうと思っていた日々は、思っていた以上に何も変わらない。それどころか淡々と過ぎ行く日々がよりラクになっていることに、ちょっと驚いている。
 
大学時代、毎日のように授業へ行き、隙間時間には専門書や哲学書を読み、夕方から深夜までは毎日アルバイトをしていた。無謀なスケジュールの中で精一杯だった。
たとえ家に帰るのが明け方になろうとも、1限目のために寝てすぐに起きてはすっぴんのままジャージを着て、教科書をリュックに押し込んで快速電車に間に合うように走っていた。立ったまま電車やバスで眠れるようになった。かけもちのアルバイトは何個もあって、週7日全てに学業と労働の時間が組み込まれていた。そんな日々が長かった。
奨学金も仕送りも無い日々は、とてもじゃないが学業に全力は割けなかった。それはとても悔しくて、将来自分に子供がいるとするなら、こんな思いはさせたくないなと強く思った。
 
と、まあ、そういうことだったので、今の生活はとってもラクで仕方が無い。
1日に15時間働いても今、ビクともしない。タフになっている。あまりよくないことかもしれないけれども。いやだめだね、こりゃ社畜まっしぐら。

ただまあ、今はがむしゃら(わたしにとってのがむしゃらは、活動時間が1日20時間とか)に働かずとも、正社員のお給料はきちんと貰えていて生活は立派に営めるので、金銭的には何かをかけもちする必要も無く、以前に比べれば気の抜ける程社会人生活は、ラクだ。
そして面白いことに、今、時間に融通がきくようになっているので、ちょっぴり早起きして大学時代にゆっくり取り組めなかった好きな勉強ができるようになっている。

f:id:areyoume17:20150422211701j:plain

(わたしのデスクの上)


入社した今の会社の始業時間は10時なので、9時に出社して1時間はフランス語や行政法の勉強をしている。コツコツ。早めに仕事が終われば、持ち帰って家で自炊したご飯を食べながらこれまた、コツコツ。(残業をやっている時もあるけれども)
明け方に寝るという必要も無く、ゆったりと快速じゃなくあえての普通電車で通勤しながらぼーっとする時間もある。ときに5つもバイトを掛け持ちして毎日詰めていたあの日々は、なんだったんだろうか。
 
しかも何より、今の仕事は面白い。
社会人で、縁あってスピード感溢れる会社に入れたので、新卒で普通は出来ない仕事ばかりが続々とまわってくる。無鉄砲なアイディアを歓迎してくれる受け皿がある。

突飛なことを言い出さない、といったことがわたしには出来ない。思いついたままにアイディアを紙を出す間もなく、机の上に書いていってしまう。思いつくまでは「探さないでください」と置き手紙をして、近所のカフェで体操座りをしている。でも、そんな社会不適合性を受け止めてくれる会社なので有り難い。
 
何億も動かすプロジェクト、新しく建てる建物のネーミングをゆだねられたりもする。それはとっても幸せなことで、責任感やプレッシャーも感じるけれど、わくわくがどうやったって緊張を上回る程の規模だったりする。
 
縁あって福岡の会社で、福岡の街を形作る仕事に携わっている。
その幸せを噛み締めつつ、仕事に慣れて来たことだし執筆活動の時間も増やさねばなと次のことも最近は考えている。文章書くの、個人的なものも続けていきたいもんね。

そんなこんなの近況報告。
お付き合いしているひとともまもなく1年、益々邁進していくSHOZON、です
 

卒業が確定してしまいました

最後の最後で「あと1単位足りず!あえなく留年!ででん!」という展開になり、大学生活が「To be continued.....」になるのもなかなか面白い感じだったとは思うのですが、そうやってす〜ぐにおもしろ展開を期待してしまう皆様のご期待にそえずに、あえなくわたくし、雨宮はいよいよ大学を卒業する運びとなりましたことをここにてご報告させていただく次第です。
 
ということで、卒業確定です!
いやー。長かった、長かったよ。
現役ストレートのひとよりきっちり2年遅れての大学卒業です。
「まだこれからも君はずっと学生なんだって勝手に思ってた」と何人ものひとに言われました。ものごとには必ず終わりがくるのですよ、アンダースタンッ?と言いたい気持ちで溢れています。
 
卒業。
あまりにも嬉しすぎて、会うひと会うひとに「祝えよこの野郎!」と言いながら抱きついています。そのような行為は半ば脅しになっているのか、ひとにものを貰ったり、奢って貰っています。いいでしょう、いいでしょう。

おこがましい奴ですが、ようやくの卒業なので思う存分に皆様の愛に頼りきっております。
 


こんな感じで嬉しいものも貰いながら、生きている3月の今日この頃。さてはて、皆様いかがお過ごしですか、春ですか。冬風はまだ、厳しいですね、コート必須のこの3月。春の気配なんて感じないし、梅の花も咲いているのか疑わしい。
それなのにも関わらず、あと1ヶ月も経てばわたしたちはビール片手にわざわざブルーシートまで敷いて、その上で花を愛でようとするのでしょう。春よ!
 
 
最近の近況をいくつか。

まずはなんといっても、自動車学校。福岡だけなのか九州だけなのかよくわからないんだけども、福岡では自動車学校のことを必ず「車校(しゃこう)」と呼びます。そんな車校に、通い始めたんですわたし。
 
免許なんか要らないわ、無くても生きていけるじゃあないの、移動手段が必要ならタクシーを呼べばよろしくてよ、とマリーアントワネットよろしく叫んでいたのですが社会人になるもんだから社会の波っちゅうものにいよいよ抗えず、いやよいやよと言いながら車校に通っているのであります。

今まで通り、バイクの免許だけあればいいんだよ、革ジャン着るわたしにはバイクしか似合わない、と叫んでいたのに何故わたしは自動車免許(可愛くオートマ限定)を18歳の高校卒業した人たちに混じって取ろうとしているのだろう。息苦しい。圧倒的にまぶしい、若さにつぶされそうです。

そんなことを思いながら進む車校内のS字カーブは今日も妙に切なくそこに佇んでいます。今日も脱輪してすいませんでしたと心で思っています。
 
あと久しぶりに東京に行きました。
1ヶ月に1度は東京へ行っていた時期もあったんだけども、最近はご無沙汰だったのでとても新鮮でした。行きたかった展示や店にも行けました。
 

 
東京、ねぇ。
別に無理して東京に行かなくても良いのではないだろうか、という結論に最近は達していたし、実際にそれを感じていたから東京へ行くことも少なくなっていたのだけれども、いざ東京へ行ってみればやっぱりその圧倒的な情報量(ノイズも多いけどね)やら刺激を肌で感じるわけでして。
 

f:id:areyoume17:20150306021705j:plain

久々に見るとやっぱり力強くて、羨ましくて、東京という街に住むべきだっただろうか、わたしの選択は誤っていただろうかとも思うわけです。
名付けるのならばそれは、東京コンプレックス。わたしはそんなコンプレックスに満ちています。だけれどもそのコンプレックスが本当に強ければ、どうにかしたければ、わたしはただ東京に住めば良いだけの話で、結局わたしはここ博多、福岡にいることで得られている素晴らしい環境、人間関係、居心地の良さを捨てきれないだけなのでした。
 
東京、いいよねぇ。
卒業確定しちゃったけども、これからも遊びにいかせてください。それで充分です。
 

 
冬が小さく息絶えて行きます。ちゅんちゅん。
まもなく訪れるであろう春の訪れっちゅうやつを早く感じたいなと思いながら、今日もわたしは車校に通います。次会う時は、大学卒業自慢じゃあなくて免許自慢を皆様にすることになりますがどうか何卒よろしくベイビー。 
 
 

8年間の水平線

5年も通った大学生活が、まもなく終わる。(※ ただし無事に単位が揃っていれば…)
 
人生最後であろう、いわゆる『学校での授業』を終えた日、バスに揺られながら窓から見える景色を眺めていた。福岡は都市高速を、普通のバスが走るのである。

バスの窓。
そこから、海が見える。淡い水色の水平線が続いている。
ああ気がつけばこの道、8年間もバスで通った道なのである。

f:id:areyoume17:20150205015415j:plain

(2012年 バスの中から撮影)
 
 
同じ中学校から進学する人が居ない高校へ行きたい、その一心でわたしは自分の地元から遠く離れた私立の高校へと進んだ。クリスチャンの由緒正しきその学校は、高速バスで地元から都会のバスセンターへと出て、そこからまたバスを乗り継いで合計片道2時間。往復、4時間。

雨の日も寒い日も、わたしは黙々と3年間、通った。
福岡の朝は東京よりも遅いものだから、冬の朝はまるで本当に深夜1時頃のようだった。朝5時。わたしはまだ電灯ちらつく街中、始発の高速バスで通った。
 
高校3年の最後の日、わたしはバスに揺られる中、開放感に満ちていた。
「もうこの道を、通う事は無いだろう」
そんなことを感慨深く思っていた。
しかしまあ、縁とは不思議なもので、わたしはその1年後、その道を毎日通らざるを得ない大学へと進学した。
 
 
ということで、大学は5年間通ったもんで、合計8年。
わたしはこの水平線を、8年間も眺めていたことになる。

遠くに見える小さな島、手前の百道浜。 
都会から高速道路にのれば、右手に工場があらわれ、ラブホテル街がちらりと見え、大きな橋を渡れば左手には福岡ドーム、福岡タワー。
さらに進めば室見川
椎名林檎が好きな人なら、たまらない町並みだろう!)
 
 
水平線はいつも、群青色だった。
まっすぐに美しく、いつだって爽やかなグラデーションでわたしを迎えた。
高校入学最初の日、こんな素敵な景色を毎日見れるのかと感動したのを覚えている。
 
美しい景色はやがて日常となり、ありがたみはとうの昔に消えてしまったが、それでもふと通学中に綺麗なグラデーションに気づいた時には、頑張ろうと思えた。
つらいことがあろうとも、通わざるを得ない。学校へ行こうとする玄関で吐くこともあった。つらいつらい。高校になんて、大学になんて行かなきゃいいのに、行かなくちゃいけない。わたしはそんな妙に縛られた気持ちのなか、どこかこのグラデーションの水平線に、それは確かに助けられていたのだろう。
 
8年間も通えば、水平線のありがたみは減るばかりである。
それでも、最後の日にはやはり感動したのだった。
わたしを支えてくれた風景、海沿いの街にいるんだという意識。
 
はー。
振り返れば振り返るほど。
いよいよ学生でなくなるのだなあ、、、、早く社会に出たくて仕方が無かったはずだったのに、今じゃいつまでも学生でいたいよと願う、矛盾なわたしである。
 
 
多分社会人になった後に、この景色を自分から積極的に見に行く事はないだろうと思う。でもふと目にした時に、わたしはこの8年間を思い出すのであろう。

出来ればその時には、やはりバスに揺られていたいとも、思う。
 
 
卒論の謝辞かのごとく、皆様にも、そしてこの風景にも感謝なのである。
有難う。まもなく卒業、できそうです。
 
追伸、卒論無事提出できました。
 





ルイヴィトンの定期入れなんて

昨日、ルイヴィトンの店の前を通った。
 
既に閉店後だったけれど、ショーウィンドウには眩しいライトと美しいバッグや靴が展示してあった。
 
鮮やかな赤色のエナメル財布やら、上質そうなルイヴィトン定番の柄のミニバッグ。まばゆい光に照らされたそれぞれの商品は美しくて、わたしは思わず足を止めた。
 
ため息をつくほどに、綺麗。欲しいなあと少し思う。
いや、結構、欲しいかもなァ。
 
 
女の欲望って、どんどんと解剖していくと薄まっていくと思うんだけれど、その中で妙に濃ゆい存在感の欲望ってのが多分これ、ブランド欲、ってもんなのだと思う。
ブランド物を持つことに、ブランド物の意味を感じてしまう、あんまりよくない感じのアレ。中村うさぎさんなどの有名人が陥ってる、ブランド狂的なやつ。
 
たとえば、そのショーウインドウに映るルイヴィトン、いや別にシャネルでもエルメスでもいいんだけれども、とにかくブランド品のそのなかのとびっきり可愛い、そして高い商品、をわたしが持つとして。
 
そのときのわたしが、その商品を欲する意味。
とても上質だから?
もちろん上質だ。でも、だったらもっと値段と釣り合った商品が無印良品ユニクロにあるかもしれないのに?ハンドメイドの職人が作るセレクトショップにあるかもしれないのに?どうしてそれ、がいいの?
  
多分そこには他の女達に見られたい、羨望の眼差しで見られたい、いいなあって言わせたいという欲望がはっきりとあるのだ。
 
ほぅら、うらやましいだろう。
わたしにはこんな高い商品を誰かに買ってもらえる、または自分で買えるほどのちからがあるのだ。そんな誇示が、そこにある。
 
 
インスタグラムにアップする手元に、さりげなく映るシャネルマーク。そういうのが女達の中の小さな戦いとして、いつだってそこに横たわっている。
男たちは同じ写真を見ても気づかないかもしれないね、なんていう小さな微笑みを携えながら、女達はインターネットのSNSの上で、通りすがりの街なかで、常に戦っている。
 
わたしたちは良いバッグ、良い財布、ブランドだって分かるものを欲する。誰かに、見せたくて。見せびらかしたくて。
 
シャネルのマーク、ルイヴィトンの柄、エルメスバーキン
そのブランドのわかりやすいモチーフのついたもの、そういうものを欲して買ってる女達の多さ。
 
もちろんそれよりも、ルイヴィトンがただ好き、品質がいいからこれが好き、などの理由で好きな人のほうが多いとは信じたい。でもきっと、誰かに見せびらかす、ためじゃなければこんなに売れないのだから。
そしてそんな欲望が悪だとは思わない。だけれどもやっぱり、物を買うにしてはいささか不健全な動機で、ちょっとみっともない。
 
 
そう思いながら見つめるショーウィンドウ。
そこは、ルイヴィトンの世界観がふんだんに表現された豪華な空間。
 
そんなわたしの右手には、キティちゃんのピンク色の定期入れが握りしめられていた。
 
24歳になったなら、そろそろブランド物の定期入れでも使ったほうがいいかもしれない。ルイヴィトンのバッグ、持ってるしなァ。ありかなァ。
でもそんな刷り込み、誰かの押し付けな気もする。はたまた、雑誌の刷り込みかもしれない。またはひとに見せて、うわールイヴィトンの定期入れいいなあ〜〜って言われたいだけの欲望、なんだと思う。
 
でもほら、キティちゃんは、かわいい。
無条件に可愛い。
わたしは納得して、好きで、誰かに見せびらかしたいわけじゃなくて、純粋に手元に欲しくて買ったんだよこの定期入れ、1200円。値段、かわいさ。満足している。
 
多分このキティちゃんのほうが、わたしに必要な定期入れなんだと思う。だから誰かに見せびらかしたくて買うルイヴィトンの定期入れは、買わないでおこう。
 
 
そんな気持ちを持ちながら、でもインスタグラムにこのキティの定期入れわざわざあげようとは思わないなとか思いながら、いやでもそれが本来の健全なモノの選び方じゃん?と思いながら、わたしはいつかブランドの定期入れを買ったり貰ったりしたならばついついインスタグラムにあげちゃうんだろうなと思いながら、淡々と家路についた。
 

別にブランドって、かんけーないよ。
そう口では何度も言いながら、わたしは今日もちょっと、キティちゃん片手にロゴマークを気にしている。
 

2014年よ、然様なら

書きたいことが溢れてしまうけれど、
そんなことを吟味している暇もなく、
あっという間にとにもかくにも1年が終わる日になってしまった。
 
年齢を重ねるたびに1年、その時間の体感速度がどんどんと早まってゆく。
そのぶん大切なことを忘れずに、取りこぼさないように覚えているかどうか、不安になるのだ。今年の大切なことたちを、わたし、きちんと覚えているだろうか。
うーん。自信ないなあ。
  
 
今年は、大学5年生になった。
パリとロンドンに思い立って立ち寄ってみたり、シンガポールで常夏に浸ってみたり、胃潰瘍やなんやと病名が立て続けに増える1年でもあった。

 
みんな、みんな。
相手が思っているよりも多くのものを抱えているね。
だけれどもしっかりと凛と立っている。だからこそお互いにそこを察しながら、生きて行きたいね。
 
 
 
それでは皆様、適当に徒然と書かせていただいたところで失礼します。
どうか、良いお年を。来年もよろしくお願いします。