Minako Amamiya

雨宮美奈子、美徳はよろめかない

声に出して言うよ、死にたい

なんでだろうな、と自分でも不思議に思うのだけれど、このぐらいの季節、もっと正確に言えば11月中旬ぐらいからわたしは毎年、死にたいという気持ちとかなり深刻に戦うはめになる。ほんとよ、これ。3月のはじめ、ぐらいまで、ずっと。
 
そりゃ冷えるし寒くなる季節な訳で、お布団から出れなくなるってひとは山ほどいるはずだし、天気や短い日照時間に鬱々とするのは誰しもにあるだろう、そんなもんは甘えのひとつやな〜、なんて言われるのは当然の上で。その『やだなーやだなー』の一般的なやつを凌駕したもの、なのだよ。ほんとに。
去年のわたしは、本当にきちんとしっかり死にたくて、自殺用のロープをAmazonで購入した。(その頃のわたしを心配したひとりの友人が、当時わたしの家に来てロープは持って帰ってしまった、へいへい、未だに返してくれないよ!手首にカミソリで湯船に突っ込む方法では死ねなかったし、なんか生きたい本能みたいなのでいつの間にか自分で手当てしてたし、家にあったひもは体重でちぎれてしまったし)
 
これは、20歳の頃からだ。
このブログをうっかり更新してない先月の間に、これまたうっかり24歳になってしまったわけだけど、今は誕生日を祝われるような気持ちでは無くて、だからブログで『誕生日ですよ〜ン!祝って〜!』なんて自分からアピールしたいドヤ顔の欲求はちょっと今は息をひそめている。
 
半年ずつ交互に。
超ハイテンションに旅行も何もかもを駆け抜ける春からの半年、死にたいという欲求を毎日何度も思うことになる冬からの半年。
これがわたしの1年、ほんとこんな感じ。やだもう。
これが一生続くのだとしたら、わたしの未来のうちの半分は楽しくて、半分は死にたいものになる。まあ、人生それぐらいのバランスなら、マシなほうなのかもしれないけども。
 
 
ああ、
死にたい、死にたい、死にたい。

そうやって欲望を、文字でもなんでも声に出せるうちはまだ平気だもんな、と自分で思う。平気でしょ、わたし、まだ。ほら大丈夫、って。
 
テンションが上がって色んなことしたくなるのに身体はダルくて追いつかずにとにかくイラつくこともあれば、身体は走りたいほど活動的な感じがするのにいざ外に出てみれば道を歩く人に嫌われてるような変な妄想にとりつかれて結局、家に戻ったりする。
なんだかそれが、いったりきたり。ずっと。ここ1ヶ月ぐらいの話。

あと、眠気が取れない。
本当に20時間ぶっ続けで眠れたりする。トイレに立ってるんだろうか。無意識に立ってるのかもしれないけど、だとしたら記憶は無い。20時間、眠れる。いや、それ以下だと眠くて仕方ない。20時間寝ても眠い時もある。冬はいったいなんなんだ、わたしになにを求めてるんだ!眠ってばっかりなんてやだよ!やだよ!そう思って嫌になって床に頭をぶつけて、自分ひとりで流血したこともある。
 
 
去年のわたしは
 
学校へ、行けない。
起きるのがいや。
やっとのことで玄関に立つと吐き気がする。
実際に、吐いてしまう。
 
鬱々とする。線路に飛び込もうとする。
知らないおばさんに体当たりで止められる。
駅員さんに本気で怒られる。
大学の授業中にもとにかく涙を流してしまう。
 
ってな感じだった。
今年も似たような感じで、なぜか授業中にいきなり笑いながら涙流してたのを見て、後輩にひどく不審がられてしまった。ごめんなさい。
そして悪化するそれを見た周囲のすすめで大学の心理カウンセラーさんみたいなところに行かされ、カウンセラーの手によって次は精神科医にまでまわされてしまった。なんて、おおごとな。
だけどもう割と、自分で感情が(主に涙を流したり顔の表情作るのが)コントロールできない。
 
 
何もかもが嫌になる、

自分のむっちりとした脂肪を纏った身体が嫌、低い鼻も丸い顔も、勉強がちっともできない頭も、物理学で使う数学ⅢCに未だに苦労する不器用さ、片付けの下手さ、友人関係、薄っぺらい周囲の心配の言葉、中途半端な薄笑い、人ごみ、道ばたを歩く中年の男性、田舎のありふれた風景、割れてしまった高い貰い物のアイシャドウ、うまく干せない洗濯物、もうなにもかも。いや。
 
わたしは、自分自身が『本当はこれぐらい、わたしできるんだもん!』っていうレベル認識みたいなものを多分持っていて、それを満たさなかったり実現できない自分に苛立ちをひとよりかなり強く覚える人間で、すごく大きな自己愛とその出来なさの間に挟まれて死にそうにやってるという自覚がきちんと、ある。
春から夏の間にかけては、それがうまくいかなくとも、何度も挑戦する変な元気があって、うぇーい!ってイキイキと高い目標に邁進する良い感じの人間に見えるんだろうと思う。(というかそうであると信じたいな?みんなそう思っていてね、よろしく)
 
冬がだめなんだ、冬が。
 
自分のたっぷり持ち合わせている自信のなさが、本当はむちゃくちゃ持ってる自信の無さが、いつもは見せないんだけど、こりゃもうたっぷりと露呈してしまって、それの受け止め方や受け流し方、そういうものをど忘れしたかのようになって。眠れば起きられないし、なかなか眠れないし。なにこれ、ってな感じよほんとに。
自分のここにいる意義、自分が大学に通う意味や社会へ出る意味、やりたいことがマジで分からなくなって、苦しくなって、やなことばっかり頭の中でループして、髪の毛を左手でむしりながら(今年の冬もまた一部ハゲるんかいな)、またAmazonで思わずロープを眺めてる。
 
 
あなたには家族が居る、友人が居る、恋人だって居るじゃーん!
死ぬことなんてないじゃーーーん!
……なーんて言って元気づけようとしてくる人もいるけどもさ、結局他者は最後まで他者なんだよぅ、、、っていうわがままが強いのだ。わたくしめは。
死にたいよ、誰が分かるんだよこの気持ち、『わかーるわかるよー、きみのきーもちー♬』って昔誰か歌ってたよね、小池徹平だっけ。あの歌みたいなことを24時間耳元でささやかれたって、わたしゃこの気持ち、ぜんぜん揺らがんね。ってなぐらい頑固。
 
わたしは結局わたしで、他の誰かがわたしを救ってくれるわけじゃあないんだ。誰かに依存して、依存し尽くして、それで救われた気持ちになってみてもいいけど、わたしほんの少しだけは考えられる頭があるからさ、それじゃ本質的には全然だめなんじゃん?ってことに気づいてしまうわけ。中途半端に、気づいてしまうわけ。
 
誰かに甘えきって固執して依存して、べとべとに砂糖コーディングされたかのような、そういう愛『みたいな』もののなかで浮遊して、大丈夫わたしは大丈夫よ、って自分の言い聞かせるの、すごく心地よさそうだ。
心地よさそうだ、けどすごく、滑稽じゃない?わたしのプライド(また出たよ自己愛!)が邪魔するし、なんだか全体的に耐えられないし。
 
 
ふあー、もうもうもう
今日精神科医のお医者様にもらった薬を飲むのもなんか、『はいそうです!わたしが変なおじさんです!』みたいなノリで『はいそうです!わたしがメンタルがやばいひとです!』みたいに認めちゃうみたいな感じでそれがなんだか本当にすごくいやで、薬まだ飲めてないし、わたしもうなんなんだよほんとに、なんなんだよ
 
 
声に出して「死にたい〜〜〜」って言えるうちは大丈夫だって、自分のなかで明確に思ってる。…って思ってるし思ってたんだけど、悲劇のヒロインみたいな自殺未遂でなく、死にたいな〜って軽く言いながら本気の自殺「未遂」をしたことがある。だからわたし、うっかりやっちゃうのかもね、そうなったらどうしようね、なんてどこかでひどく客観的に自分を見てる。
 
とりあえず今日の精神科医の診断はそうかもね?と思い、その後行った大きな病院での診察では「胃潰瘍ですね」だったから今日は死ぬほど、死ぬほど薬がある。
 
 
1日3回の薬、食前のやつ、食後のやつ、間のやつ。
寝る前に飲むやつ、腹痛の時に飲むやつ、気分が落ち着かない時に飲むやつ、吐き気とめるやつ、とかなんとかかんとか。
もうどれがどれか分からない。
 
 
ここまで読み返すと、なんだかすごく元気な人が書いてる文章に思えて来た。こりゃ大丈夫か。うん、大丈夫だ。わたしは別になんともないんだな。
 
はい、おやすみ。あー、死にたい。

なんとかかんとか

 

久々にブログを書こうと思い立つ時は、大抵良いことがあった時だ。
なめらかでポジティブな感情は、言葉に紡ぐのが苦じゃなく、心地いい。

夏休みがまもなく終わる今日、大学へと向かった。
諸々の説明を受ける。卒論の提出締め切りなんかのお知らせを、受け取る。
提示された締め切りが、間に合うのかわからない不安な感情にさせる。
鬱々としてくる。学生の本分は学問、だとはいえ、鬱々とさせる、それが卒論。
 
友人が車で大学へ来ていたものだから、帰りに便乗して海へ。
大学から車ですんなりと5分だとか10分で南国へ来たような気持ちになるのは、田舎の大学の良いところだと思う。数少ない、良いところ。
 

 

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夕日が眩しかった。どオレンジ。

 

それでもまだ夏が終わらない気がした理由は、波音が涼しげで蝉の鳴き声もまだしていたからだ。だけども同時に肌寒い風も吹いていたしトンボも飛んでいたもんだから、どうにもこうにも季節は慌ただしい。どっちかにしてほしい。何故ならこんな曖昧な変わり目が長引くと、単純にわたしは風邪をひきやすくなってしまう。
 
晩ごはんをそこで食した。
地元の野菜となんとかかんとかサラダ、グリルチキン、雑穀ごはん。

 

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海風を頬に感じながら食す贅沢なごはんは、小さな非日常だった。
テラス席の気持ちよさ。
これを毎日繰り返していたら阿呆になってしまう、と直感的に思った。
 
日々は苦しいことが多いけれど、たまにこうやって嬉しい非日常が挟まれることで、なんとかかんとか生きられる。
 
 
不安だとかを吐露し続けることは容易だけれど、それは見苦しい。
他人からの視線を多少なりとも気にしてしまうわたしたちは、きっと少しでも格好良く生きていなければならないはずだ。それが結果として、己をラクにさせるのだと思う。
 
小さな贅沢を抱え込んだ今日のような日があると、わたしはちょっとまた頑張れる。
 
 
もうひとふんばり。
 

 
 

海がきこえる

現在の恋人と付き合った時、付き合ってすぐにジブリのアニメ作品『海がきこえる』を観させられた。
 
どちらかというとマイナーなそのジブリのアニメ映画を、わたしは最近まで観たことが無かった。それどころか、一切名前すら知らなかったのだ。調べてみると、映画として公開されたものでは無いらしい。
 
しかし、ジブリのトトロなどの王道作品よりは恋愛に偏った『耳をすませば』や『コクリコ坂から』なんかをこよなく愛すわたしにとって、この作品は受け入れられやすいものだと思っての鑑賞だったのだけれども、さてといざ観終わってみれば、これはわたしには非常に苦手な作品であった。

 

海がきこえる [DVD]

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高知を舞台にしたこの作品は、甘酸っぱく、学生恋愛の王道な作品ではあるものの、わがままで少し自由すぎる女の子ヒロインがずっとどこか悪い人間のように思われていて、なんといえばいいのか、つまり自分のことを指摘されたように感じられて鑑賞中は妙に居心地が悪かった。
 
また、高知で育った人間以外にもどこか懐かしい、と思わされるような描写が多かった。波音、そこにきらめいた海、少し面倒な坂道、学校のざわめき。高校生の同性の友人との距離感、異性の友人との距離感、そのなかで生まれる歪みや嫉妬や美しい感情。淡々と進む物語の中に、わたしは大きな悲しさを覚えた。まあ、作品自体はめちゃ綺麗なんだけれども。
 
なんとも、用意周到に進みすぎている。

そんなこの物語の甘さが、自分の青春時代の苦しい記憶を美化させるわけもなく、さらに痛めつけてくるのであった。わたしの得られなかった青春時代を抉るどころか、否定までしてくるようで、自分に幾分か重なるヒロイン像はもっとどこか愛されていて、なにもかも、ああもう駄目、みてらんない!
 

そしてなにが悲しいってあんた、これをわたしの恋人が「これを一緒に観てくれないか」と嬉しそうに言ってくることである。
わたしの恋人は、映画を観ることが嫌いであるし、二時間ほど画面の前にいることが苦痛だという人間なのだ。そんなひとが、これだけは一緒に観たいんだ、と熱望する作品があるのだから、付き合った直後に観るしかないじゃあないか。
 
高知弁を馬鹿にするヒロインはムカつく存在であるが、ムカつく存在のまま突き通せばいいのに、容姿端麗おまけに成績優秀とくるもんだから観ているこちら側はたまらない。それどころか両親の離婚問題の間にいる、悲劇、美しく悲しいヒロイン。
いや、単純な一作品として鑑賞するならまだしも、わたしの恋人がいちばん好きだという映画として観させられるのはちょっとなんだかこたえるものがある。
 
 
わたしの恋人も、恵まれない青春時代を送って、だからこそこんなきれいな物語にそのやるせなかった気持ちを投影しているのだろうか。そう思うのだが、わたしは過去の傷跡を更に広げられているようだった。過去。
 


何が言いたいって、恋人の大分弁をいつも博多弁で馬鹿にしてごめんね、ということである。そしてインターネットにどっぷり浸かって『青春時代なんて自分にあったか?』ということを、半ばネタにしはじめている、そんなわたしの同類項にいるひとたちには「くれぐれも」鑑賞して「いただきたくない」、そんな作品であることに間違いはない。
 
木漏れ日の中から顔を出した、ツンツンした女の子に笑顔を向けられたい、とだけはこの作品を観て妙に思った。うだつのあがらない、主人公男子、お前はダメだ。
 

 

どんな夏を築く予定なのかい

今日は夏至だという。一年間で一番昼が長い日だという。

 

いつの間にか夏が来ちゃっていて、初夏が訪れていて、一年は折り返していた。
あっという間の日々が急ぎ足で過ぎていく、そしてここ博多にも梅雨が到来した。
 
そんなここ1ヶ月半ほどの間に、自分の中ではめまぐるしい速度で様々な出来事が通り過ぎた。VHSでピャーっと早送りする、3倍速ぐらいの体感速度。
 
たとえば新しい仕事を始めてみたり、恋人が出来たり、体調を崩したり、元気になったり。自分のやりたいこと、できないこと、そんな取捨選択が繰り広げられたり、自分のキャパシティを自覚したり。大切にするひとができたり。
こりゃもう、23歳でいちばん大きな気付きを得た1ヶ月だったかもしれない。
 
 
そういえばひとって(特に女性か)、自分には恋人ができたぜ!とやたらに良い報告はブログなんかに書きたがるのに、いざ別れたらそのことは妙に書きたがらないよね、ってことをふと思う。
あれ、格好悪いから、わたしは別れたら潔くすぐさまブログ書きますとも。それを今、ここに約束しておきましょう。その時は悪口めいっぱい書こう。ひゃっはー!ってなテンションでな。
 

 
さて、大学生活も終盤に差し掛かった。
自分の将来もなにもかも、ふんわりとしている。見通しなんてたっちゃいない。
3年生だった時にした外資系の就職活動も、大学5年生になっちゃったし遠く彼方の出来事のように感じる。
 
自分のしたい目標の為の手段として、いったん社会に出ることもきっと悪くない。そんな気持ちでのんびりと未来を見据え始めた。遅いことは自覚しているが、まあなんとかなるでしょう。しかし院試とかこわいよな、まったく。4年生の皆々様、傷を舐め合おうぜ。夜に語り合うLINEグループでも作ろうぜ。

 
夏はみんなはどんな予定を入れるんだろうか?
今年も阿波踊りへ行こうか、帰省する友人へ会おうか!
 
好きな人と好きな時間を、どんどんと鮮やかに築いていこうじゃないか。
どんな夏にしよう、と今からおしゃべりしてたいじゃないか。
 

そういうことをこれからも絶え間なくする為に、わたしは今日も自分のすべきことを丁寧にこなさねばと改めて自分自身に言い聞かせる。より真摯な人間であろうじゃあないか。
 
そして夏をどう築いていこうか、毎日のご褒美はすぐそこだ。

わたしの好きなひとりの後輩

息をするという意味での生きる、ってのは、病気やらなんやらしない限りは基本的にそんなに難しくないかもしれないけれど、生き続ける中で死にたくなる衝動に打ち勝って頑張って生きる、という意味では生きることって、多分とっても難しい。

きちんと死なずにたくましく生きている人間が多いこの世の中において、自殺をせずに生きることはなんだか当然のように思われがちだが、「自殺」って単語があるぐらい、人間は自ら死を選ぶことが出来る生き物なわけで、それを選ばずに生きるってのはやっぱりすごいことなわけだ。まったくもう、立派でござる。

いつかきちんと、(わたしがこれからもずっとちゃんと自殺への誘惑に打ち勝ち、きちんと生きてたら)このブログにでもちゃんと詳しく書こうと思う、ひとりの人間がいる。今日は、彼女に少しだけ触れたい。
 
 
わたしの高校時代から長い付き合いの彼女は、わたしの2つ年下で、様々な感情を凝縮してギュッと目をつぶりながら人生を歩んでいるような女の子だ。どんなことにも恐れずに突き進む変な勇気を持ち合わせながらも、いつも誰からも見放されてしまうかもしれないと不安感のような見えない敵といつも戦っていた。
 
 
彼女は頭が良いからこそ、自分が有名な何者なんかにはなれないという自覚をきちんとしていて、とても謙虚だった。本当は才能が溢れてたまらない彼女に、わたしは嫉妬すら覚えていたが、彼女は自分のその才能を『あんまり、いやほぼ無いんですわ』と信じて疑わぬ謙虚な人間だった。本当は、すっごくあったんだけれども。
 
人懐っこい彼女は、いつもヘラヘラと笑う。
悪い意味ではなく、かと言って良い意味でも無い。事実として彼女は、ヘラヘラと笑う。頭の回転が早く、教養もあるが、誰かを否定することは決してしない。誰かに否定的な意見をいうことも無い。何かを常に怖がり、まずそうな事態になると、ヘラヘラと笑ってやり過ごそうとする。それは彼女の癖であり、生き方だった。
 
ひとによっては、そんな態度は「無責任な野郎だ」と映るのだろうが、彼女にとって社会へのその態度は、彼女なりの最適解の態度だった。
事を荒立てずに、自分への敵を作りたくない、そんな心理の現れだったのだろうと思う。わたしはそんな穏やかに、どこかテキトーにやり過ごそうとする、そんな彼女の態度の意味をきちんと知った上で、彼女を好きだった。それはもう、たまらなく好きだった。人生で一番、可愛がった後輩だった。
 
日常生活において、彼女にはだらしない部分も幾分か正直いえば、あった。
でもそれに勝る、素直な笑顔というか、無条件な愛しいひとへの懐き方に、みんな基本的に嫌な気持ちはしなかったはずだった。彼女は周囲の人間に、まあ全員とは言わない、だけれど多くの人間に愛される人間だった。それは間違いのない事実だと、わたしは胸を張って言える。
 
 
彼女は半年ほど前に、自殺した。詳細は省く。

亡くなる4日前に会った彼女は元気そのものだった。
生き生きとしていて、恐れるものがいつもよりも少なそうに生きていた気がする。
今度ここに一緒にいこうね、などという約束などもした。
それでも、人間は死を選んだりする。止められなかったりする。
 
 
しばらく、わたしは人生で一番悲しみにくれた。
大学にもバイトにも、しばらくきちんと行けなかった。
たった四日前に会っているのになぜ、わたしは止められなかったのか。
 
病気や事故で亡くなる人間は、勿論悲しいけれど、まだ気持ちに整理が幾分かつく。時間をかけながら、でも誰を責めるでもなく(ときには明確に誰かを責められるが)、丁寧に順序を追って立ち直れる。
 
だが、自ら命を絶つ選択をされた時、周囲の人間は整理がいつまでもつかなかったりする。現に今、わたしは未だ全くといって良いほど前に進んでいない。何も出来なかったのか、と自分を責め立てる。責め続けている。
 
その矛先は、明確にわたし自身へと向かう。
わたしが何もできなかった、わたしが、わたしが、わたしのせいで。
 
亡くなった直後はただただ悲しみにくれていたが、葬式に出席した後に、わたしは長期間幻聴に悩まされた。自分を責める気持ちも加速する。

彼女の、声がするのだ。部屋に一人でいるときに、斜め後ろから声がするのだ。
 
『ねえさん、聞いてくださいよォ』
そのいつもの口調で、彼女はわたしに話しかける。
幻聴だとわかっていても、わたしは返事をしてしまう。
 
 
当時、わたしの周囲の人間は、わたしがこのまま後追い自殺する、と本当に思ったようだ。現に、ぷっつりと連絡がつかなくなってしまったわたしの部屋に、マンションの高い階だったにも関わらず友人がベランダから侵入してきたほどだった。(すごく感謝している)わたしは幻聴を相談していた精神科にもらった睡眠薬の飲み過ぎで、朦朧としていた。
 
幻聴は正直、今も時々気を抜いていると、キッチンに立っている時なんかに聞こえたりする。わたしは、自分自身を責めることをやめられない。
 
 
 
あー、このままじゃまずい、どうにかしなきゃなァ
彼女のためにも、どうにかしたいなァ
 
そんな毎日彼女のことを考えてしまう日々の中で、今日、わたしは何気なく本棚から一冊の本を取り出した。
彼女が、わたしが去年病気で入院している時に、お見舞いで買ってきて届けてくれた本である。
 
『わたしの好きな本なんですよ、ねえさん読んでくださいよ』
そう言われながら有り難く頂戴したが、入院時は手術後の痛みなどで読むことは出来なかった。そのまま持って帰り、本棚になにげなく仕舞っていた本だった。

愛をひっかけるための釘 (集英社文庫)

愛をひっかけるための釘 (集英社文庫)

 

  

今日、はじめてその本を開いた。
まず本に触れるだけで、手の震えが止まらなかった。
次にページを開く。瞬間的に、涙が溢れた。
結果、1ページも読み進められなかった。
 
 
それでも、わたしは少しずつ本を読み進めてみようと今、思っている。彼女の好きだったという本は是非とも読みたいのだ、でもこれを読み終えてしまうと、なにかがひとつ終わるような変な焦りがある。なんとも言いがたい、不思議な読みたくない気持ちに強く阻まれる。だから、焦らずに読もうと思う。
 
 
そんな彼女がくれた本を読み進められることは出来ずにいるが、才能があふれる彼女自身が書いた文章や同人誌へのエッセイ、ブログなんかは何度も読み返している。わたしはいつも、彼女の何かをひとつでもわかってあげられただろうか、より添えていたのだろうかと考える。天国で再会する日まで、その事実を問うことはできやしない。けれど、天国出会えたなら、真っ先に尋ねたいのは、わたしは貴女にとって良い先輩であれただろうか、ということだ。そして、何も出来なくてごめんなさい、と土下座したいのだ。
 
死を選び、実行するとき、きっと彼女は孤独のなかにいたのだろう。
真っ暗な、救いようのない不安感のなかで押しつぶされそうになっていたのだろう。
わたしはその孤独の瞬間も、きっと遠く離れた場所でテレビを見ていたり普通に過ごしていたのだろう。
 
 
ほんとうに、彼女になにもできなかった。
そんな自分を責めつづけることはやめられなさそうなので、もうやめようとするのをやめちゃおう、と今日思った。
 
わたしはこの罪悪感と生きていく。決めたのだ。
わたしに出来なかったことは、事実としてあるのだ。
あのLINEをこう返していれば、あのときこう答えていれば、電話していれば。
そのベターだったのだろうという答えは尽きない。
 
幻聴も、まだしばらく消えないのかもしれない。
それでもいい、わたしは今は元気に大学に通っている。
 
 
生きることは、難しい。
自殺するという選択肢が容易に選べる現代で、わたしは生きるほうを選び続けることにとても難しさを感じている。
でもそんな時にこそ、彼女を思う。すると、彼女の声が聞こえてくる。
 
『ねえさん〜、ねえさんはしっかり生きてくださいよォ〜』
 
そのヘラヘラとした可愛い声が、わたしの耳に届く。ひとはこれを幻聴と言う、おまえまずいよ、と心配してくれる。
でもわたしは、わたしが生きることから逃げ出さないように、彼女が見ていてくれるんだろうと思うようにしている。もう、そう思いでもしないとしんどい。逃げちゃう。
 

少しずつ頻度が減っているこの幻聴が、いつかほんとうに聞こえなくなるのだと思う。そのときにわたしは、彼女のくれた本を読み終えることが出来るのかもしれない。
 
ひとがする自殺という選択を、わたしは良いとも悪いとも言えない。
でも少なくともただひとつ言えることがあるとするならば、自分は誰にも愛されていないと感じていたとしても、愛していた周りはもっと苦しむんだということを、ひとつ覚えておくべきだと思う。
 
今日も彼女が、様々な噂や事柄から遠くはなれて、静かに安らかに眠っていますよう。ねえさんは、祈っています。今日も、生きています。
 

長崎って街は、エモいって話

往々にして「長崎」という街にわたしが訪れる時は、天気が悪い。
天気が悪いとなんだか大浦天主堂が威圧的にこちらを見ているかのようで、こわい。
 

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『♬あーあー 長崎はー 今日もーあめーだったー』
という有名な曲があるほどに、長崎という街は天気が悪いことが多い。
その代わり、夏の青空はどの街よりも突き抜けて青くって、わたしは長崎の空を見上げて初めて「空の青さが突き抜けている!」という表現の本物を目撃した。大学一年生の時だった。それ以来、長崎の虜である。
 

曇っている、小雨がぱらついている、太陽はどこか遠く彼方に消えている。
今回の滞在はいつものそんな「ナガサキ」だった。 
 
でも、それでも楽しい街なのだ。
雨だろうが、なんだろうが、その良さは全く消えない。
九州でいっちばん好きで堪らない街。正直、博多より良いところだと思う。
 

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なんてったって、まず路面電車が良い。
街に溶け込む路面電車がノスタルジックに美しい。
便利も良いし、高齢者がゆっくりと横断していると『あら老人様』とでも言いたげなほどにゆっくりと電車は中途半端な場所で停まる。それに文句をいう人など居る訳も無い。長崎。
  
 
これを見て思い出す。
最近の、清涼飲料のマッチのテレビコマーシャルでこんなものがある。
『青春ほどの、難問は無い。』
 

 
路面電車の儚さ、懐かしさ、そういうものがなければ表現できないコマーシャルだなあと何度見ても思う。
 
これを見ると、渋谷で女子高生してる、みたいな東京のひとにこの独特の切ない感覚、甘酸っぱい青春のゆるやかな時間の経ち方、みたいなのは(きっと伝わっているんだろうけど)どう伝わっているんだろうと不思議に思う。
都会人に、このコマーシャルの感覚が本当に伝わっているのかしら、と田舎出身者としては問いたくなるのだ。ねえ、伝わってるかい?このノスタルジックなエモさが?
 
坂が多い長崎は、建物が山にぴょこぴょこ生えたように建っている。(さながら香港のようだ!)
 
 
そんな民家と民家の間は小道になっていて、そこもまた坂道、階段、と凸凹している。
とても細い小路だらけだ。その隙間をぬうようにして野良猫は走り、高校生たちは放課後の帰り道にじゃれ合う。学生鞄で押し合い、笑いながら「なんすると!」と九州の方言が飛び交う。笑い声。細い坂道の隙間から夕日は漏れ、その眩しさに目が眩む。
水を玄関の前に撒くひとがいる。ここにもまた、野良猫がいる。坂道に風が吹き抜ける。港町だから、遠くでコクリコ坂さながらの汽笛がボーっと聞こえる。またどこかの国の船が来たのかな、そう言いながら高校生たちは坂をスピードを出して更に早く駆け下りる。
 
おいおいおい!
なんて美しいんだよ、この街は。こんな風景がほんとうに目の前にあるのだ。
そんな風景がいつだってある、長崎!あいらぶ長崎!ひゅーひゅー!
だから好きなんだ!!! 
 
そしてまあポエムちっくに長々と書きましたが、その他に長崎の最大の魅力は、異文化がゴロッと混ざりこんだ、ってところだと思うわけです。
 
 
ようこそオランダ、また来て中国!
そんな感じで和洋折衷という言葉通りの建物が並んでいる、レンガ造りの建物がとっても綺麗。原爆投下の際に、洋風文化を残したレンガ造りの建物が多く残り、日本家屋は残ることが難しかったのだろうと察することが出来る。だから長崎の古い建物は、だいたい洋風なのかも。
 
戦前からある上海銀行の長崎支店なんてとっても綺麗だし、旧長崎英国領事館は鮮やかな赤レンガがしっかりと未だ残っていた。
 
道路だって石畳の場所が多くて、そこを走る車はまるでフランスのパリの石畳を走る車のようだった。だって走る音が同じ!ゴトゴトとした特徴的な、タイヤと地面のこすれる音。

んでもちろん、これです、これ。中華街。

 

http://instagram.com/p/nXC0iZinnT/

横浜の中華街と比較したら「ああ、、、」となってしまうほどに小さな規模感ではあるけれど、濃ゆくてディープな中華街。長崎名物のちゃんぽん、皿うどんもしっかりと食べられる。
 
建物の二階に中国語で難しい看板が出ていたりして、きっと様々な中国人によるビジネスが行われているのね、とドキドキしてしまう。独特の文化がそこにある。卓袱料理なんかは、その代表だろう。

 
 
長崎は本当にどこかが懐かしくって、別に自分が生まれ育った訳でもないのにノスタルジックにエモくなる独特の感情が湧いてくる。
じゃれあいながら港街である長崎の海沿いを走り抜ける高校生たちに、ふわっと自分の青春を重ね、きっと勝手にチューニングして美化している。それが心地よいのかもしれない。淡い空気を吸い込む、勝手に懐かしむ。
 
わたしの青春は福岡にあって、百道浜室見川いう場所だった(椎名林檎ファンならお分かりでしょうが)けれど、なんだか長崎にもいた気がする。とまで思わせる。
 
 
沢山のキリシタンの名残である、教会がいたるところにある。
オランダとの貿易に使っていた、出島が残っている(再現されている)。
美しいグラバー園を除けば、蒸気機関車を長崎に持ってきた外国人の息。
そして坂本龍馬の音がする。
三菱重工の歴史を感じながら、港街を見下ろす。
坂道を走りぬけながら、原爆の爪痕を垣間見る。

 
空は相変わらず曇天、だけれど眼鏡橋は綺麗に水面に映える。
 

http://instagram.com/p/ngIrkvinom/

(わたしです)
 
そんな長崎へ行く度、長崎を考える度、わたしは胸がきゅんっとして、懐かしい気持ちでいっぱいになる。ここには歴史や文化が溢れていて、わたしの知らない青春や思い出、人々の日々が丁寧に積み重ねられている。
誰しもを受け入れるゆるやかな寛大さがあり、様々な歴史の爪あとはわたしたちに忘れないでと問いかける。
 
長崎名物のひとつである美味しい角煮まんを食べながら、わたしは石畳の上を歩き、汽笛の音を遠くから耳で拾う。原爆記念公園への道のりを地図で確かめる。
 
 
多分わたしは、こんな街で生まれ育ちたかったのね。
 
つまり結論はそう、おすすめの街です、皆も行くべきなのです。
わたしも近々、またうっとりしに行きますとも。ええ。

 
 
あと最後にね、おまけ。
長崎の外国人商人の家の庭で見つけた。
 

http://instagram.com/p/ndEP37Cnls/

何年ぶりの四つ葉だろう

食に貪欲であれ

今から真剣な文章を述べようと思う。
そしてある、ひとつの懺悔を行う。
どうか、食にひどく貪欲な女の、ただのくだらない独り言だと思いつつも、読むからにはこの話、真剣に聞いて欲しい。
 
わたしは一人暮らしをして5年目になるが、最近毎日のように「自炊」をし、それぞれの下ごしらえを多めに丁寧に作ってはストックなどもし、家計簿につけている食費は日々減っている。
 
オイオイ!一人暮らし5年目になって急にどうした!、と日々友人たちに驚かれる。いやいや、前から料理は好きだったのよ、ずっと忙しかっただけで、と言い訳をしながら本当の理由は『食への欲望が止まらないから』だということを恥ずかしくてつい述べられない。料理は好きだったけれど、面倒だったのだ。
しかし最近、その面倒さより食欲が完全に勝っているのだ。

 
たくさん食べる女というのはいかがなものか、とジェンダー学なんかを大学で専攻しておいて、わたくし、この口で言っている。だってやっぱり、苦笑しながら「お前めっちゃ食べるな」といつも言われるのが本当に嫌なのだ。

黙って穏やかな気持ちで食べさせてくれ!といつも思っている。
 
 
食べたい、のである。
たくさん美味しく食べたい、のである。
 
要するに食いしん坊なわけだが、外で食べて「女なのに食べ過ぎじゃないか」と笑いながら言われることも嫌だし、「食べる割には痩せてるよね」とか褒め言葉なのかどうなのかよくわからない言葉で遠回しに要するに過食だと指摘されることも嫌だし、というかそもそも食べたいものを食べたいタイミングで食べたい量食べるのには、もう自炊しかないということにようやく気づいただけの話なのだ。
 
ちなみにどれだけ食べるのか、という質問に対してはいつも回転寿司で1皿に2貫のったあのお皿を25皿以上食べられると答える。
単純計算で回転寿司ではいつも50貫は食べていることになる、よく考えたらただのアホかもしれない。小さい頃は食べ過ぎるたびに、親に『もうやめとけ』と怒られていた。高校時代は某TV局の「大食い女王選手権」の予選に出たこともある。
関東では有名な『らーめん二郎』ではマシマシを女だけれどもいつも問題なく完食するし、食べ終わったあとに食べ足りずに和菓子屋に出かけたこともある。
 
つまりわたしは、世の中の女子の『わたし結構食べるんですぅ〜♡』って言いながら「ああん!?」みたいな量しか食べない女子とは一線を画す存在であると強く伝えておきたい。
 
とまあこんなわたしであるが、とにかく気の赴くままに食べるのには、わたしにはひとつ問題がある。
 
去年の夏、わたしは腸閉塞という赤ちゃんがかかることの多いプリティな?病気で入院したのだ。
 

遊びに行っていた東京で倒れて搬送されたために東京で入院し、前期試験の真っ最中だというのに一ヶ月以上大学へ行くことは出来ず、追試も受けられず、だから華麗にこの春に学部5年生に進学することになったのだが、まあそれはともかく、つまりあの時のわたしは腸の病気だったのだ。
 
くるりん、と何をどう間違えたのかわたしの可愛い可愛い大腸の一部がある日ねじれてしまい、そこが見事に詰まってしまったもので、わたしは胃液ならぬ腸液という黒い液体を口から逆流させながらの入院となった。まるで二日酔いのような手軽な感じで、気持ちの悪い黒い液体をとにかく吐くのである。はたから見れば、大変に見苦しかったことだと思う。搬送やお見舞いに付き合ってくれた友人たちに心から土下座したい。
 
しかし、なにせ食べたものが腸から先には行かないわけだから、食べ物はおろか水分さえも一滴も取ることは出来ない。すべて点滴での生活であった。
のどが乾いてはうがいだけをして、のどを潤すだけで飲むことは一切できない日々が長く続いた。(腸閉塞なのは確定していたが、様々な検査をしても腸のどこが詰まっているのかが特定できず、若い女の子のお腹に大きな傷をつけるのは……というお医者様の配慮により特定するまで手術は長く延期されていたのだった)
 
 
入院中は毎日のように、夢をみた。
大きなボウルいっぱいのマッシュポテトを頬張り、メンチカツを死ぬほど食べながら、レバ刺しをちょいちょい、とつまむ夢である。どれもわたしの大好物だ。
 
そして目が覚める、現実がやってくる。現実では水さえ一滴も飲んではいけない。
その現実に打ちのめされて、入院中は早朝に起きては独りでメンチカツを思い出しながらメソメソと泣いたものだった。

食に貪欲なわたしは、メンチカツを思うだけで涙が本当に止まらないのだ。本当に文字通り毎日泣いたと思う。
 
 
なんとか無事に手術を終えたあとも、病院はすぐには退院させてくれなかった。というか、水さえも飲ませてくれなかった(いや、病院の判断は正しいのだけれども)。
集中治療室を出て2日後に、やっとお医者様から「美奈子さん、水なら今日から良いですよ」と言われたが、そこまで嬉しくはなかった。10日以上水を飲んでいない、水分への欲求は完全に麻痺しており、水を飲めない生活にわたしの身体は完全に順応していた。水は、水はどうでもいい!!!
 
思わず、お医者様に尋ねる。
「先生、水はどうでもいいんです!わたしはメンチカツが食べたいんです!」
イケメンの若いお医者さまは苦笑しながら答える。
「頑張って早く治しましょう、そしたら何でも食べられますからね」
イケメンの若いお医者さまは爽やかに答えるが、答えになっていない。イケメンなのに本当に役に立たない。 

いつだよ…結局いつになるんだよ!
身体はメンチカツを欲している。医者はそれを許さない。どうするか。
お腹の傷は痛み止めを使わねば眠れぬほどに痛むが、どうやらわたしは水さえも飲んじゃいけない身体らしいが、それでもわたしはメンチカツが食べたい。もういっそ退院が遠のいてもいい、メンチカツが今、食べたい。
 
わざわざ東京まで見舞いに来てくれていた母(うちの母は外国人なのでお医者さんの言う説明などの日本語がよくわかっていない)にこっそりと英語で頼む。
「お医者さんがもう食べていいって言ってるからさ、お母さんお願い、ちょっとメンチカツをコンビニで買ってきてくれない?」
堂々と嘘をついた。自然に頼んでみた。そして母は答える。
「いくらわたしが外国人だからって、水さえ飲んじゃいけないらしいのは知ってる。それは出来ないことぐらい分かる、バカにするなよ?」
 
こやつ、英語のできる看護師に既に注意事項を吹き込まれている。もうだめだ。
 
当時付き合っていた恋人も毎日見舞いにきてくれたが、彼に頼むのも難しかった。優しい声で彼は言うのだ。
「あと少しでなんでも食べられるからな、美奈子、身体のために頑張ろうな」
もうそんな風に言われながら頭でもなでられようものなら、「お願い。こっそりメンチカツを…」とは言えない。付き合って二ヶ月だった為に、食にがめつい女に思われたくないという、かすかな女心も残っていた。
 
うなされるような日々が続く。
 
そして水が飲めるようになった2日後、お医者さまが言う。
「この後の昼から、ごはん始めましょうか」
やったーーーと大声を出して喜んだ。(そのせいで少し傷跡が開きかけた)
 
恋人にLINEを飛ばす。
「ついに、ついに、ごはんが始まるって!!!!」
恋人は返信する。
「やったね!頑張ったね!」
 
わくわくしながら病院食を待つ。やってきた病院食はこれだった。
 

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念の為に言うが、これは食べる前の状態である。食後ではない。
 
おもゆ(お粥の液体部分だけ)、具なし味噌汁、サラサラしすぎたコーンスープ、お茶(2種類)、で全部であった。
 
看護師さんに間違ってないですかと文句を言うと、雨宮さんは腸の病気ですからね、流動食から始めることになってますから、決まりですよ、とやんわり怒られる。
 
泣きながらすべてを完食する。固形物が食べたいよ。
何日も食べていないもんだからこれが美味しくないわけじゃない、飲み込めばいっきに身体に染み渡る。だけども、わたしはメンチカツが食べたいの。
味のついた液体を何種類も出されても、ちっとも満足などするわけがない。悲しい。
 
そこで、絶食生活を知らずにお見舞いにきてくれた友人が持ってきてくれたクッキー(でも食べちゃダメよと看護師さんに念押しされていた)をこっそり少しずつ食べていた。感動的に美味しかったにもかかわらず、3度めにつまもうとした時にバレ、看護師さんに没収された。
 
そこから一日ずつ、少しずつだが、わたしへの病院食は進化した。
謎のコーンスープには小さい粒が少しずつ増え始め、固形物がちょっとずつ増えていく。だが、メンチカツは出てこない。
 
ついに入院生活も終わりを迎え、退院する日の最後の昼食でさえこれだった。
 

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お粥とかまぼこでわたしが満足すると思うのかァ!
とお盆をひっくり返したい気持ちになりつつ、結構美味しいじゃん?、と完食したことを覚えている。
 
お医者さまが退院する際に脅してきた。
『雨宮さん。退院後もお粥中心の生活をして、ゆっくりと少しずつ普通のごはんに慣らしていってください。
あとあなたはそもそも量が食べ過ぎなのと、いつも早食いなので、それを直さないと必ず再発します。わかりますか?今回入院したのは食べ過ぎなのもありますよ。そしたらまたメンチカツ食べられなくなりますよ?いいんですか?よくないですよね?だから本当に気をつけるんですよ。
 
クッキーを没収されたあともずっと、こっそりクッキー食べてること、僕知ってますからね。病院内のコンビニに、手術跡で痛いはずなのに、車いすでこっそり買いにいってたの、僕見たんですからね

なんでバレてんだよ。
いや、だけどもわたしだってバカではない。一応退院後は、友人の作ってくれたお粥と豚汁をゆっくり食べた。もちろん物足りない。それなのに友人は「それ以上はダメだよ」とやんわり注意してくる。わたしの性格をよくわかっている。
だが夜中、自分の腸に尋ねれば、「イケる」との返答が空腹のグゥ〜〜〜という音とともに返ってきた。よし、これなら明日は、と決意する。
 
その翌日、快気祝いに恋人がデートに連れて行ってくれた。
恋人は「くれぐれも無理をしないこと。リハビリを兼ねてゆっくり散歩をしよう。少しでも痛みなんかがあれば、すぐに休もうね」と丁寧に言ってくれる。優しいひとである。
そんなメールを読みながらデートに向かう途中、コンビニを見つける。神様が肯定していると本気で思ったわたしは、躊躇なく注文をする。
 
「メンチカツ、2つください!!!」
ホクホクのメンチカツは、人生で食べたものの中で文句なしに一番美味しかった。コンビニのメンチカツの多すぎるほどの油っぽさ、とろけるような肉汁、甘い玉ねぎのなんと美味しいことか。2週間ほどの絶食、1週間ほどの流動食生活。この食事こそ、そのピリオドにふさわしいではないか!

わたしは本当に食べ物に貪欲なのだな、と実感しつつ、そのあまりの嬉しさに涙を浮かべながらメンチカツをぺろりとたいらげた。食べちゃいけないものだという背徳感もまた、美味しさを加速させた。

そして反射的に、バレたら恋人に怒られるのでは、と思ったわたしは慌てて再びコンビニへ戻り、ブレスケアを買って飲み込んだ。免罪符にもなりやしない。
きっとあのあとも含めて、誰にもあの時メンチカツをこっそり食べたことはバレていない。そのことを今、ここで初めて告白する。もしも当時の恋人がここを読むことがあれば、もう時効だと思ってわたしを怒らないで欲しい。
しかもその日の昼、無茶を言い、反対する恋人の言葉を適当にごまかしながら新宿でつけ麺を大盛りで食べてしまったことも反省に値するだろう。
 
 
あれから。
少しずつではあるが、食べ過ぎないようにセーブし、日々体調には気をつけている。以前に比べると胃もたれもひどくなり、回転寿司も15皿ほどしか食べられないようになってしまった。(それでも多いと言われるが、わたし自身は食べられなくなった自分自身にすごく落ち込んでいるのだからもう何も言わないで欲しい)
 
そういうこともあって、最初の話に戻るが、最近は健康のために自炊が多くなってきたのだ。今年の年明けには胃潰瘍までやってしまったので、胃も腸もダメになったわたしは、自分が食べられる『健康的な限界』との折り合いをつけながら、最大限の満足できる食事をするには外食では不可能だということを突きつけられた。
だったら自炊してなんとか沢山食べる!と今、ひたすらに食欲を満たすため燃えているだけの話である。
 
 
食べることは、楽しい。
多少高くても、美味しいお店を見つけるのは何事にも代えがたい喜びである。
 
だが、身体が弱った今、わたしはなんでも食べられる身体ではない。
それでも時々はらーめん二郎だって、こってりしたイタリアンだって食べたい。せめて、週に一度、いや二度は食べたい。
 
だったらその日以外は、おだやかな食生活をして体調を整えるしかないのだ。
 
 
ゆえに、こうやって毎日キッチンに立っている。ヘルシーな料理を作り、食べ、明後日は豚骨ラーメンだな……とニヤニヤしている。

何がいいって、自炊をしている自分のことを対外的には『料理が好きな女の子』として可愛いアピールできることである。実際は食に貪欲だから仕方ないだけなのだが、これが妙に男の人ウケがいい。
 
 
だからわたしはここで懺悔する。
本当はただの食欲が止まらないだけの人間なのだが、最近知り合ったひとには可愛い料理好き女子♡のアピールの材料にしていることを。
 
そしてこれを読んだあなたには、美味しいところを知っていたら連れて行って欲しい。その日に向けてまた、わたしは準備万端で迎え撃つからだ。
 
食べるって、すごく楽しいことです。
一応あれ以来に反省したわたしは、今日もそんなに食べられないくせに食べログを眺め、有料会員になったクックパッドで美味しい料理を眺める。そして台所に立ち、たっぷり肉汁のメンチカツを作るには、というシュミレーションをじっくり行い、エアまな板で肉の下ごしらえの動きをする。気が済んだらその後、お粥と薄味の味噌汁を死んだ目で作っているのだ。

……ほ、ほんとだってば。
 


享楽的な街、その名はパリ

そういえばついこの間まで、パリに滞在していました。

Bonjour
そう、パリだよ、パリ! あなたご存知?
石畳でお洒落なあの街、パリだよ!

 

フランスのパリ、と言えばなんだか、
エッフェル塔!素敵!マカロン!美味しい!
フランスパンを抱えて街を走り抜けろ!
女の子の夢と憧れが詰まってる♡
みたいなオッシャレー!なイメージで語られがちですが(このイメージもしかしてわたしだけ?)、実際自分で足を運んでみると、やっぱり『全然』違うものだなと沢山気付かされるわけです。
 
その『パリで直面した現実』を箇条書きで書く前に、パリの夕焼けの写真を。
この写真、加工などは一切無しでただiPhoneで撮影してこの色でした。

だから直接目に映る風景は、これ以上に圧倒的な極彩色なグラデーションだったことは言うまでもなく。皆さんにもおすそ分けです。
 

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(左のほうに写ってるのはエッフェル塔だよ!)
 

さてさて。美しいパリよ!
わたしはこの街を訪れて、あゝ!なんて享楽的な街なのだろう!と直感で思いました。
 
美しい、綺麗、美味しい、心地よい、気持ちよい。
そういう五感の一番うっとりする部分に問いかけることに関しては、もう今まで行ったどの国のどの街よりも優れていて、むしろ特化していて。
 
己にとって気持ちのいい、美しい、気分の良い部分が街の至る所にたっぷりと鏤められています。
 
 
だけども、しかし。 

メトロ(地下鉄)の足元は平気で汚いし…いったい掃除とはなんだったのか…
 
到着したその日はパリの大気汚染が深刻で、そのためすべての公共交通機関が無料になってるという不思議だし…(しかもその電車が夜なのに途中の駅で何故かトラブルで止まる恐怖たるや…)
 
シャンゼリゼ通りで目の前の日本人女子大生2人組が見事にひったくりにあい、彼女たちは現金もクレジットカードもまさかのパスポートも紛失…(日本大使館まで案内してあげました)
 
観光客が空港から来る際に必ず通るはずの北駅の治安はびっくりする程に危ないし…というか実際にジプシーの若者に囲まれて大胆なスリ(ポケットに手を突っ込まれるわ、カバン開けられるわ)(幸いなことに睨みつけて逃げたので被害なし)にあうし…
 
通りすがりによく見かける多くのホームレスな小さな子供はとても見てられないし…
 
合流するはずの友人が「パリの空港、ストライキらしい」ということで飛行機飛ばずに空港で寝泊まりするし…
 
アラブ系の変なホテルのフロントの青年に口説かれて、夜中にスペアキー持って部屋のドアの真ん前にまでくるという恐怖(ドアの前に机を動かし、バリケードを張って寝た)体験をするし……それで揉めに揉めて、日本大使館に助けられるし……
 
 
ど、どこがロマンチックで素敵な街なのよーパリはーーーー!!!
 
などという部分もたっぷり♡ ございました。(ハートマーク今ならつけられるけども、その時はそれぞれほんとうに大変だったんです)
 
 
美しくて、汚い、そんなイメージが本当にぴったりのパリ。
 
じゃんぽ〜る西さんという、パリに在住しながら漫画を描いている日本人の方がいらっしゃるのですが、その方も『綺麗なんだけど汚いんだよなあ』とコミックエッセイに描かれていて、日本へ帰国後に読んだわたしは『わかる……』と頷きました。うんうん。
  

パリ 愛してるぜ?

パリ 愛してるぜ?

 


このコミックでは『フランス人への違和感あるある』だとか、『パリでよく遭遇する事件』などがたっぷりコミカルに描かれています。10日ちょっとほどしか滞在していませんが、それでも描かれたエピソードほとんどに全力で頷きました。パリに一度でも行ったことあるひとは、超絶オススメです。
 
 
美術館は立派で超多くて(しかも安い)、最高峰の芸術に簡単に触れられて。
美味しいものは溢れていて(外食は高いけどスーパーは激安)、美食の街で。
町並みの美しさはさることながら、一流ブランド店のお店もシャンゼリゼ通りに沢山あって。
ちょっと休むのでもいちいちカフェ。しかも食べるんだったらいちいちコース。フランスでは食べることに時間をかけるのが「当然」で。美味しいんだけどね!
 
だけどそれって、ぜーんぶ、欲望のままの為のモノ。
きれいなもの!おいしいもの!ばんざーい!
いやー!こりゃマリーアントワネット精神まんまだわ!とかフランス人を見ながら思っていた観光客のひとりでした。これがフランスか!なるほどなァ!
 

ちなみに行ったことないひとが想像しているよりパリってとても小さくて、端から端まで頑張れば徒歩で制覇できます。感覚としては山手線圏内くらい?でしょうか。


基本的には徒歩で移動し、夜は自転車(至る所にレンタル自転車があって乗り捨てが出来る、クレジットカードを持ってれば外国人でもOK)で移動しました。かなり疲れたらメトロに乗る、の繰り返しで結局一度もタクシーは使わず。 

なんだかんだ日本より物価の高い感じだったので、長期滞在する学生さんならこんな感じの移動でいいのではないでしょうか。そして何より、このおかげでパリの地理感覚が相当頭に入りました。一方通行の道もどこかということを掴みました(逆走すると自転車でも罰金とられるらしい…)

 

 
美しい観光地の写真は一応、こちらも観光客たるもの!と沢山撮っておきましたが、ノートルダム大聖堂ルーブル美術館も何もかも。
Google先生に聞いたほうが素敵な画像を出してくれるのでわざわざここでは載せなくていいかな…と思いまして。
 
その代わり、こちらを皆様に。

 

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どーん!!らーめんだーーーー!(ドコドコドコドコドコ)
 
パリの滞在は前半は、フランスに精通した東大生の友人(とっても感謝してます)、そしてその共通の友人などとしばらく一緒にパリ市内のアパルトメントで暮らしていて、後半はひとりでホテルステイをしていました。
 
その前半の際に、その友人達とラーメンを食べたのです。
ラーメンを。そう、パリで!
 
『わざわざパリに旅行行ってるのに、ラーメン?』

そう、わたしもそう思ってましたよ!!
でも毎日毎日の赤ワイン……チーズ……テリーヌ……生ハム……フランス料理!
ガッデム!わたし胃もたれでもう限界!!ってなります。なるんです。
これが本当に……なるのです。
やっぱり美味しいです、日本食バンザイ。胃もたれしそうなラーメンでもバンザイ!
 
友人曰く、怪しい日本食(中国人経営とか)が多くて、パリの人は美味しいと喜んでいても日本人がガッカリする日本食がパリには溢れているのに、やっと日本人の納得するラーメン屋が出来た!とのことでパリ在住日本人話題騒然のラーメン屋さん、だそう。
 
お客さんは8割くらい日本人で、流れるBGMはまさかの「プッチモニ
ここは日本か!?、とパリで感動するほどでした。
日本のラーメン屋さんの支店です。パリの日本人街に訪れる際は、みなさまもぜひ。
 ⇒ こってりらーめん なりたけ パリ店 

ちなみにオペラ座近くのこの日本人街には、日本食屋さんが多くあるほか、ブックオフジュンク堂も普通に存在し、ジャンプの最新刊をパリで買うことが出来ます。やるじゃん!パリ!
 
 
とまあ、こんな感じです。パリ。(ざっくり)
 
本当はもっと書きたいことも多いけれど、何から何までも書けそうなので気が向いたら続きを書きます。他にももっとあって…
 
たとえば……
シャンゼリゼ通りのラデュレで食べたマカロンの美味しさだとか、パティスリー・サダハルアオキ・パリで買い物したら店員全員日本人だったとか(ちなみにまあまあの美味しさだった)、夜のキャバレーにひとりで出かけてひとりでエロいストリップを見て帰っただとか、一応王道だしと訪れたルイヴィトンのシャンゼリゼ店で買い物したらジュース出てきて楽しかっただとか、エッフェル塔のイルミネーションタイムに遭遇したりだとか…

とまあ、そんな感じでした。パリ。(再びざっくり)
 
 
個人的に一番印象深いのは、マレ地区(ファッションの最先端と言われる地で、ゲイタウンでも有名。例えるなら原宿+新宿3丁目?のような街のこと)でした。

レズビアンに間違われてナンパされる他、ドイツ出身だというゲイの友人なども出来て、ナイトクラブに一緒に遊びにいったりしてとてもいい経験をしたり。
 
あとは、パリ市庁舎の前で自由に踊っていた黒人達に、飛び入りで韓国人の女の子が混ざり、その子のレクチャーで様々な国籍の観光客みんなでガンナムスタイルを踊ったのも良い思い出です。日本人ならもっと踊れるでしょ、とパリで韓国人に振り付けを習いました。
なんかだかこうやって書いてみるとやはり色々ありますね、楽しかったです。
 

 
時々その『テキトー』な国民性にイラッとしながらも、
美しさや美味しさを追求するその姿勢に感動し、
ということが何度もありました。パリ。
 
 
また行くよ、パリ!
と思いながらトランクを抱えて空港から帰る途中、なんだかんだ嫌な思い出があっても既にパリが恋しくなっていたのは、きっとこの街が結局はやっぱり素敵でロマンチックな街だ、ということなんだろうなあ。ふしぎ。
 
 
追記:

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アンニョン、韓国!

福岡なんていう立地は、思い立ったらすぐアジアへ容易にアクセス出来るのが、なんてったって強みなわけで、そして自慢だったりする。

 
この前の3月に、ちょっと足をのばして3日間、韓国へ行ってきました。
 
 
ハングル文字で、溢れてる!
 

http://instagram.com/p/lH4VlKinr6/

 

何度行っても毎度新しい楽しみが見つかる、韓国。

韓国の釜山に行ってきたのだけれども、あそこは屋台での立ち食いから、食べ歩きから、美味しいものが溢れていて、体重を気にしない日々を過ごす必要あり!な街。
ちょっと一言でも韓国語ができたらば、アジュマ(おばちゃん)達に仲良くしてもらえるので、挨拶だけでも覚えていくのが大切だったりする。どこの国でもそうだけども、日本人なら隣国として尚更に覚えていきたいものですね。

 

 
さてはて。

ソウルを同じく首都の東京に例えるならば、釜山は日本で言えば大阪。
釜山は大阪と同じく美味しくて安いものが溢れていて、韓国語でも少し釜山の訛り(方言)があって、何よりおばちゃんパワーと活気で溢れています。

 

福岡からだとアクセスが良いもんだから、ついついソウルよりは釜山に足を運ぶことが多く、釜山ばかりに通ってしまう。交通費も安くって。
 

http://instagram.com/p/lH4NHhCnrz/

 

3年ぶりに美味しかったなーと記憶から離れなかった冷麺屋さんにも足を運び。


http://instagram.com/p/lJoEtpCnqz/

 

海鮮物でいっぱいのチャガルチ市場で新鮮な食材を食す!
安くて美味しゅうございました。

あとは韓国コスメもたっぷりと買い込み、おみやげに配るシートマスクも確保すればザッツオーライ、パーフェクト!なのが韓国旅行の王道。
 
韓国の女の子達は、整形美人も多いけれど(歩いててもやっぱり分かる!)全員に共通してるのがやっぱり、美肌。食生活などは全部真似出来やしないけれど、流行している化粧品などはやっぱりついついチェックしてしまうってもんです。
 

で。

 
韓国と日本の間には様々な問題が横たわっているけれど、そしてその中には韓国に対してわたしも否定的に思うような政治の事柄だってあるけれど、でも個人同士の交流にまでそんなことを持ち出すのは野暮ってなわけです。

韓国をやたらめったらに嫌うひとは多くいますが、やっぱり一度実際に来て、見て、あたたかいおばちゃん達と話したり、美味しいご飯を出してもらって、そうやって相手の国を知るってのは大事かなと個人的に強く思います。
 
シンガポールと日本のハーフとして生まれてきたわたしは、大東亜戦争のことだとかを思えば、複雑な感情が全くない、わけじゃあないので。尚更にそういうことに、ちょっと敏感なのかもしれませんが。
 
 
H.I.Sで見れば1万円ちょっとで船で往復するのと2泊のホテルがつく、ってなプランもあるので、福岡のひとなら一度は足を運んでいただきたく。
 
ちょっと感情的な人が多いけれど、こちらが腹を割ればとことん割ってくれる不思議な国民性の、韓国。近々また行って、若者の流行や新しいコスメに触れたいもんです。あと、あのあったかいおばちゃんたちにも、会いにいきたいな、って。
 

 

途端に陳腐、だけれど妖艶

金魚が、それはそれは綺麗な光の中で泳いでいるという噂を小耳に挟んだ。

その噂の真実なるところ、それはどうやらアートアクアリウム展とかいうやつで、東京やら大阪やら各地を既にまわってきて大人気の作品展示だという。それがついに博多にも来たというので、ちょっとそれは見に行ってみようかしらだなんて思ったりしたのが、これ先週の話。

ちょうど束の間の帰省をしていた、ロンドンの大学に通ってる友人を捕まえる。そして連行する。世間はそれを、誘拐とも呼ぶらしい。

 

足を運んだその先は、博多駅。なんてったって会場は、JRホールだった。

 

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一面の金魚が、段々になって押し寄せる。

水槽を上から見るだけでなく、横からも見られるのがとても良い。

 

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千匹の金魚を使ったという(本当なんだろうか!)、花魁という作品。

この下に流れていく水の着地点にも、数多くの金魚が周遊している。
 
それぞれの光は絶え間なく七色に切り替えられていて、ときたま白色の蛍光灯のような光のターンがやってくる。するとその瞬間に、暗い会場のせいもあってか、どこかロマンチックな浮世離れしていたはずの空気感が、ふっ、と一瞬で現実に連れ戻しにやってくる。

すると会場のあちらこちらの、ちょっと見たくない惜しい設営の裏側が目に飛び込む。おいおい、である。いやー、何度見ようとも、あの光の色だけは抜いたほうが良いと思う。

 

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こちら、華道と金魚のコラボレーションであるという。

己が辛口なことを自覚してモノを言うけれど、この花や実などが全部『造花』であることはどうにかならないのかな、とこれにも疑問符がつく。陳腐だ。

 

総じて美しく、それは噂通りに妖艶な展示ではあったけれど、表面だけつるっつるという感じの印象を受けた。
もう少しの丁寧さを持ってすれば「完璧に」美しくあれるような部分が素人目にも幾分かあって、ちょっと残念だったりする展示だった、と思う。(出目金の魚種がとても可愛かったのは、ポイント高かった!)

 

ピンク色の光と赤色の光で照らし、提灯で甘ったるい光の色彩を更に付け加えた光の世界。それはもう映画「さくらん」そのまま、というよりもまさに蜷川実花の世界観そのまま。(この展示、蜷川実花さんじゃないんですけどね、意識は確実にしてますね)
 
 
うんうん、美しいよ。素晴らしいよ、と思いつつ。

その毎度変わらぬ、彼女のその色彩手法に飽き飽きとした人間にはこれは退屈な展示になるに違いない、と思ったのでありました。

 

いやはや、これ蜷川実花感すごい。
あとこれで確信したのは、蜷川実花の世界観の汎用性、真似しやすいな、すごいなあ、というところ。

 

 

川上未映子さんとお会いして

その、大阪弁話者だからこそカタチ作られたような独特の文体のリズム、テンポのよさに言い回し、独自の世界観をわかりやすい言葉に落としこんで伝えてくれる素敵な芥川賞作家、といえばおひとりしかいらっしゃいません。川上未映子さん。
 
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この度、西南学院大学で行われたこの講演会、その後半の対談コーナーに参加させて頂きました。(一応こちらの学院の高等部出身なんです)
 
 
ひとまわり以上、わたしとは年齢の離れた川上さんは本当に圧倒的に美しくて、まるで内側から少しずつ少しずつ、彼女自身の中に秘めた爛々とした淡い光を絶え間なく放っているようでした。よく使われる単語に落としこんで言うならば、オーラがすごいといった感じで、光が満ち満ちていて、見ているだけで眩しいようなそんな存在感を楽屋でも、壇上でも放っていました。
 
読書のたのしさと銘打ったその講演会で、川上さんは彼女自身の幼少期どんな子供だったからか、言葉にどんな風に関わってきたのかを丁寧に述べていました。文学ではなく、最も哲学に傾倒したという川上さんが、何故そこで哲学を選ばなかったのかという話等は非常に興味深く聞かせて頂きました。
文学にはこれが最適解だという正解を求める必要などなく、提示する必要などなく、そのあり方が良いのだと彼女は小気味良いテンポで美しく流れるように話していました。なるほど、彼女の本には解説がどれもついていない理由にも通じます。
 
 
後半、壇上でわたしは椅子に深く座り、割と緊張せずに会話や質問をさせていただきました。(実は足は震えていたけども)
 

川上作品の初期を見ていると、女であることに歯向かっているような彼女を垣間見ることができる気がしていたのですが、最近ではすっかりまるくなったというか、結婚し、母になったということがそりゃ一番の影響だとは思うのですが、いやまさか彼女が(作品を見ている中では)結婚出産をするとは思わなかった感じがしたわたしは、それはそれは正直に『女であることに降参してしまったのですか?』という質問を投げかけました。
 
なるほどそうきたか、と言って『にやり』と笑って答えてくださった川上さんは時にわたしを手でバシバシと叩きながら(ここで、あ、大阪っぽい!と妙な感動した)、それはねーやっぱりねー!と自分の考えてきた体験や経てきた感情を教えてくれました。
わたしは23歳なのですが、という言葉を添えての質問をしたので、川上さんは「あなたもね、産むと思うし結婚すると思うよ!うん、あなたはそうだね、うん、絶対するね!わたしにはわかる!」と未来予測してくれました。なんだか当たりそうな気がします。
詳しい内容や返答は講演会に来てくださった方々だけへの内容ということで、伏せさせて頂きますが、本当に楽しい時間を過ごさせて頂きました。
 
 
講演会が始まる前に一時間ほど楽屋でガールズトークしていたこともあって、比較的打ち解けられた状況で話せた対談はスムーズに話すことができたような気がしますし、とても楽しかったです。
終わったあとも楽屋にて、サインを頂いたり穏やかな談笑タイムを過ごさせて頂きました。壇上でも楽屋でも川上さんは全く変わらず、むしろ楽屋では更にフレンドリーに接してくれて、こんな大人になりたいなあと素直に素直に憧れました。 
  


本当に素敵な時間を過ごさせて頂きました。
若い女の子はこんなことに気をつけてね、というアドバイスも沢山頂きました。
 
また必ずお会いしましょうね、という彼女の言葉を嬉しくしっかりと受け止めながら、今回こんなとても素敵な機会を頂いた先生や川上さん、そして何より来てくださった方々の皆様に深く感謝致します。有難うございました。
 
 
追伸
雨宮さんに会いに来たんです、といって握手と写真を求めてくれた女学生の方(赤いマフラーと茶色のブーツの)、もしこのブログを読んでいたらメールをフォームからくださるでしょうか?いただいた連絡先の紙を紛失してしまったようで、本当に本当に申し訳ありません…。

生きる

自分の中で、未だに整理ついていなくて、だけれども文字にすることで少しでも前に進められるように考えていけたらと思ったので書き記します。
 
書き終わったあとに見返したのですが、非常に非常に読みにくい文章でした。でも直さずに公開します。読んでくださる方はご了承頂ければ幸いです。
 
 
11月9日の早朝。
わたしは、大切な大切な後輩を、亡くしました。
 
亡くなる4日前に、東京で彼女に会っていたわたしは、(こんなことを言うのはおこがましいのは百も承知ですが)彼女が死を選ぶことを止めることも出来ず、なにも出来ず、なにもなにも出来なかったのだと、そんなことは思うな!って色んな人に言われるし怒られるのですが、それでも、それでも思ってしまいます。
わたしには彼女の死を止める為にどうせ何も出来なかったのだとしても、でも何もしなかった過去の事実はそこにあって、時空を越えて戻ることが出来るのならばわたしはもしかすると、何か出来たのかもしれないって、やっぱりどうしたって思ってしまうわけで、わたしは過去の自分自身を深く深く憎んでいます。
 
わたしは今までの人生、部活やサークルを途中でやめたり、そもそも入ったりやらずにきてしまったような人間で、コミュニティに所属し続けるということが非常に苦手でした。だからこそ先輩や後輩という存在は本当にわたしにとっては少ない存在で、しかもわたしのことをいつもいつも『姐さん、姐さん』とわたしの高校時代からとあるきっかけで何年も前から慕ってくれる、そんな彼女は本当に大事な後輩だったのです。
 
 
東京の大学に通う彼女を、福岡に住むわたしはいつも細かなところまで知ることは出来なくて、でもインターネットだとかの頻繁なコミュニケーションや、よく行く東京滞在だとかでこまめに会って、わたしは彼女をそれなりに丁寧に知っていた、つもりでした。
 
 
何を言っても、やっぱり傲慢というか、何か出来たと思うのかお前は!、という感じの文章になってしまいます。ですが、やっぱりどうしたってその深い後悔をぬぐい去ることは出来なくて、そしてわたしはその矛先が自分に向かいます。何度も。
 
彼女が亡くなってすぐに、彼女のからだは彼女の生まれ育った地である沖縄へと運ばれました。沖縄にいったことのないわたしは喪服姿で日帰りで初めてその地に足を踏み入れました。 
 
 
こんな11月の季節だというのに沖縄、那覇空港は到着した時からそれはもう暑くて、むしむしとした気候でした。飛行機に乗る前、2時間前までいた博多のものとは全く違っていて、常夏らしいかりゆし姿のひとを見かけながら、彼女はこんなところで18年育ち、東京へとでたのだなとその時初めて知りました。体験しました。
曇り空から少し覗いた太陽は綺麗で、だけれども雨が降りかねない天気へと徐々に変貌し、ぴったりと雨が降り始めた時間に葬儀は始まりました。
 
わたしは、足に力が入らず、何もできず、前日に慌てて福岡で揃えたはずの数珠を使うことも忘れ、カバンは葬儀の会場のどこかに置き忘れ、彼女のその成人式に撮ったばかりであろう遺影に、なにも、なにか言いたかったけど、なにも言えなくて、どんどんと足の力は抜けるもんだから立てなくて、なにもできなくて、ただただ呆然ともう居ない彼女の精神的なものにひとりで語りかけ、なにも、宙に向かってひとりで泣き続ける以外に、なにも、なにもできませんでした。

葬儀、告別式に出るまでもわたしはずっと泣き続けはしましたが、実際に葬儀に出たあとになって、わたしはその亡くなった事実をやっと受け止められたような感じで、涙は止まった代わりに福岡へと戻った直後から、わたしはずっと彼女の声の幻聴が聴こえるようになりました。
 
どこにいても。自分の斜め後ろあたりから、彼女の声で『姐さん、聞いてくださいよ』という声が何度もして、でもいやわたしは自分の部屋で一人でいるはずで、何度振り返っても彼女はいなくて。聞こえて振り返る度に、わたしは何かを聞いてほしかった彼女の声をどうして聞けなかったんだろうと、どうしてだとわたしのせいでもあるじゃないか、と繰り返し思わされるのです。
 
亡くなる前に最後に会った日から毎日。彼女からはとっても些細なことで、正直どうでもいいような話題で、亡くなる前日までラインのメッセージが送られて来ていました。それにずっとほどほどで適当な返事をしながら、彼女はなんかかまってほしいのかしら、としか思っていなくて、どうしてその時にもっとその些細なSOSをわたしは見逃したのだろうと何度も思いました。どうして。どうして。
 
わたしは心身ともにぼろぼろになってしまって、お風呂にも入らず布団から出ず、大学になんてとてもじゃないけど行ける状況ではなく、幻聴が酷すぎて眠れず、それを相談した心療内科で処方された薬をうっかり飲み過ぎたりして危ない目にあったりし、とにかくもうこのまま立ち直れないのじゃないかと本当に思いました。 
 
 
 
 
いま。
わたしは少しずつ立ち直って、いつまでもそうやってても何も進まないからと周りの大人に引っ張ってもらい、友人たちにごはんなども強気に誘ってもらい、仕事先の人にも迷惑をかけながら、みなさんに支えられてどうにかこうにか普段通りの生活に近いものに戻ってくることが出来ました。幻聴もほぼ聞こえなくなってきました。
 
決して彼女を忘れるわけじゃないですが、むしろわたしはひとよりも根強く覚えていると思うし、しつこいぐらい感受性が強すぎるために未だに電車等で突然彼女を思い出しては泣きますが、だけども前に進む為に、むしろ彼女のぶんも生き抜くために、わたしは彼女のことだけを考えすぎる時間はもう終わりにしなくてはいけません。それがなかなか、うまくいかなくて、彼女との最後に一緒に撮った写真を待ち受けにしては眺めていたりするのですが、だけどできるだけ早いうちにその写真を変更できるようになればいいなと今は思っています。
 
 
数日前、わたしは23歳になりました。
 
これから先、わたしは生きていくのだと思います。
というよりも、今まで、明日わたしがころりと死んでしまってもそれはそれでね、とどこかで思っていた部分があるのですが、そんなことを思うことは絶対にしちゃいけないんだなと今回のことを通して思うようになりました。彼女は、もっと生きられたはずで、生きたかったはずで、だからこそ苦しんだはずだと勝手に、勝手に思うしかできないんですが、だからそのぶんを年齢を重ねて、ちゃんと、生きていきたいなと思うわけです。 
 
わたしが24になって、25になって、彼女の重ねられなかった年齢を重ねて、何度だってその度に彼女をしっかり思い出すしかないんだなと思います。ありがちな、薄っぺらい言葉の結論になってしまったけれど、やはり何度考え抜いてもそう思うしかないという結論になりました。 
 
 
 
難しいです。
すごくすごく、難しいです。
早く彼女のそばにいかなくちゃ、なんて思ってしまうことは今もあります、正直あります。 
 
でもそんなの誰も喜ばないだろうし、何より彼女は喜ばないだろう。そして、ひとが命を絶ってしまうことに対してどれだけのひとが、どれだけのまわりのひとが苦しんだのか、葬儀を通して沢山見ました。だから、わたし死ねないよ、って自分に言い聞かせています。何度も、何度も、何度も。
 
 
突発的に「気づいてあげられなくてごめんねごめんね」と宙に向かって、わたしはまだ何度も突然泣き出します。授業に出ていても、そのことで頭が支配されて途中で帰宅することもあります。自分で携帯の待ち受け画面にしているくせに、携帯を見る度にじわりじわりと罪悪感のようなものが胸に冷たくて黒い水が、純度の高いひんやりとした水が注ぎ込むようなどきりとした気持ちになって、嘘をつくときに苦しくなるのに近い感覚ですね、あれがぶわっと広がります。
 
 
だけども、生きていきます。
生きていかなくちゃいけないので、生きていくしかないので、わたしはがんばります。
 
 
なんというか、たいそれた話じゃないでしょう、と思う人もいるかもしれません。確かにひとの死に毎度こうなっていたらば、わたしの人生これから喪服を着る必要があるたびにわたしはぼろぼろになっていくでしょう。でもそれは、ううん、いや、やっぱりそうなると思います。でもその度に、わたしはその場所で地面を踏みしめて、ぐっと立っていこうと思います。
 
 
当たり前のことなんだけど、それでもわたしは、生きていくんだなと思っていますし、生きていく、つもりです。

 
ご迷惑をおかけしたわたしの周囲のみなさん、ありがとうございました。ごめんなさい。
 
雨宮はもう、元気です。

メンヘラリティ・スカイ

11月4日に東京で開催されます、第十七回文学フリマにて頒布予定のメンヘラ同人誌『メンヘラリティ・スカイ』に僭越ながら寄稿させて頂きました。(他にも寄稿予定ですが、取り急ぎこちらのご紹介を!)
 
主催者であるはるしにゃんさんが書かれた分かりやすい紹介記事はコチラ
 
 
ちなみに『宣伝してくださいね』とわたしの後輩であるメンヘラ神(はるしにゃんさんとの共同編集者)にLINEのメッセージで急かされたので、しかもそれをうっかり読んで既読にしちゃったので、このように慌ててブログを書いている次第でございます。だって、メンヘラからは逃げられませんからね。
 
 
さて、こんな本に仕上がったようです。
 
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表紙の女の子が少し微笑んでいるのが抜群に良いですね。
裏表紙の女の子達がめちゃカワで、甘酸っぱい&苦しい記憶や思い出をついつい思い出させられるのも良いですね。

 
 
断固としてメンヘラじゃないと自負しているわたしには、メンヘラ同人誌に寄稿を依頼された時に何を書けば良いのやらサッパリでしたので、メンヘラじゃないんだけどまあこういう青春送ってきましたわ、という己の中高6年間の青春の日々を実話そのまんま、ノンフィクションに書かせて頂きました。タイトルは、『わたしはメンヘラじゃあ、ない』です。
 
こんなんでいいのかな〜と思ったので、試しに入稿する前に、何人かのわたしがメンヘラだと思っている人たちに読んでもらったところ、「ハァつらい、読み進められない」というリアクションを貰いました。なるほど、わたしの生活がとても彼ら彼女らにはまぶしすぎたんだろうなって思うことにしています。「めっちゃわかるわ」という意見はかなりあったけど、全て切り捨てて聞いてないふりをしています。
 
 
全部で1万2千字ほど書かせて頂きましたが、出だしだけ、ほんのちょっとだけ載せておきます。
  
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「わたしはメンヘラじゃあ、ない」  雨宮美奈子
  
 
 手首をきる、わけじゃあない。
 オーバードーズして運ばれるわけでもなければ、
 精神科に入れられたこともあるわけじゃあ、ない。

 それでも過去の恋人たちに、わたしはどうして、
 どうして『メンヘラ』だって言われなくちゃあ、ならないのだろう。
 
 まっさらな傷跡ひとつない手首を、
 自慢にもならぬ自慢としながらわたしは今日も、
 自分が最もありきたりな人間であることを自覚しながら、
 日々を過ごしている、日々を浪費している。
 
  
唐突な書き始めではあるが、要するに自分はメンヘラであるということを、わたしは一切合切思わないわけで、ということで爽やかにサクッと自分の過去を皆様に分かりやすくお伝えしながら、どうかご一緒にこいつはメンヘラではないな、という再確認のお手伝いをしていただきたいのである。
これが本文の主旨ゆえ、お忘れなきよう。
 
中学生の頃、部活動の人間関係がうまくいかず、というそれはもうありきたりで誰だって通るような出来事に遭遇した時に、わたしは自分が世界で最も苦しい人間であると感じていたのだった。
さて当時、何があったかをざっくりと説明するならば、インターネットで気軽に誰でもブログを書けるようになった頃だったので、わたしはホームページやブログを開設し、それを誰が見ているわけでもないのに更新する日々を送っていた。
中二病という単語がまだ無かったのではないかと思うあの頃に中二だったわたしは、椎名林檎というメンヘラ女御用達アーティストのいちファンであり、そのファンサイトをこつこつと丁寧に作っていた。サイト名は『病的少女。』、思い返すだけですばらしすぎるネーミングだと今も感嘆する。最後の句点までしっかりと含めるのが、個人的にはとても大事なポイントであった。 ………..つづく

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また、なんとこの冊子、メンヘラップなるものもCD音源としてついているようで、耳でも楽しめるとのこと。読んでメンヘラ、聴いてもメンヘラ、いつだってメンヘラにどっぷり浸かれる素晴らしい冊子となっているのではないでしょうか。寄稿しなかったとしても普通にわたしは買ってると思います。渾身の一作感がありますね。
他の寄稿者の皆様は、Twitter界などで名を馳せている『メンヘラオールスターズ』といっても過言ではない方々なので、メンヘラという単語に眉毛がぴくりと動く人は買って損は無いかと思います。あなたの読みたかったメンヘラが、必ずそこにあるでしょう。
 
 
(個人的にかなり気になっているのは、周囲の人から噂だけは聞く京都大学サークルクラッシュ同好会会長であります、ホリィさんの『サークラとメンヘラ』という文章ですね。他のみなさんのも全部気になるんですけど、サークラに迷惑かけられたことたくさんあるのでこれが特に気になっています)
 
 
 
当日はこちらのブースにもちょこちょこ顔を出しながら文フリをうろうろする予定ですので、買って頂いた方で希望する方はわたくしよりサインでもハグでも、メンヘラダンス(手首を切る動きを強調しながらヘドバンする雨宮美奈子のオリジナルダンス)の披露でもなんでもします。
 
会場は東京流通センター第二展示場で、ブースはC-58になるようです。
メンヘラに興味があることを認めたくないあなたでも、文フリ自体が面白いと思うので、どうにか言い訳して皆さん是非きてくださると幸いです。
 
どうかよろしくおねがいしまーす。