Minako Amamiya

雨宮美奈子、美徳はよろめかない

生きる



自分の中で、未だに整理ついていなくて、だけれども文字にすることで少しでも前に進められるように考えていけたらと思ったので書き記します。
 
書き終わったあとに見返したのですが、非常に非常に読みにくい文章でした。でも直さずに公開します。読んでくださる方はご了承頂ければ幸いです。
 
 
11月9日の早朝。
わたしは、大切な大切な後輩を、亡くしました。
 
亡くなる4日前に、東京で彼女に会っていたわたしは、(こんなことを言うのはおこがましいのは百も承知ですが)彼女が死を選ぶことを止めることも出来ず、なにも出来ず、なにもなにも出来なかったのだと、そんなことは思うな!って色んな人に言われるし怒られるのですが、それでも、それでも思ってしまいます。
わたしには彼女の死を止める為にどうせ何も出来なかったのだとしても、でも何もしなかった過去の事実はそこにあって、時空を越えて戻ることが出来るのならばわたしはもしかすると、何か出来たのかもしれないって、やっぱりどうしたって思ってしまうわけで、わたしは過去の自分自身を深く深く憎んでいます。
 
わたしは今までの人生、部活やサークルを途中でやめたり、そもそも入ったりやらずにきてしまったような人間で、コミュニティに所属し続けるということが非常に苦手でした。だからこそ先輩や後輩という存在は本当にわたしにとっては少ない存在で、しかもわたしのことをいつもいつも『姐さん、姐さん』とわたしの高校時代からとあるきっかけで何年も前から慕ってくれる、そんな彼女は本当に大事な後輩だったのです。
 
 
東京の大学に通う彼女を、福岡に住むわたしはいつも細かなところまで知ることは出来なくて、でもインターネットだとかの頻繁なコミュニケーションや、よく行く東京滞在だとかでこまめに会って、わたしは彼女をそれなりに丁寧に知っていた、つもりでした。
 
 
何を言っても、やっぱり傲慢というか、何か出来たと思うのかお前は!、という感じの文章になってしまいます。ですが、やっぱりどうしたってその深い後悔をぬぐい去ることは出来なくて、そしてわたしはその矛先が自分に向かいます。何度も。
 
彼女が亡くなってすぐに、彼女のからだは彼女の生まれ育った地である沖縄へと運ばれました。沖縄にいったことのないわたしは喪服姿で日帰りで初めてその地に足を踏み入れました。 
 
 
こんな11月の季節だというのに沖縄、那覇空港は到着した時からそれはもう暑くて、むしむしとした気候でした。飛行機に乗る前、2時間前までいた博多のものとは全く違っていて、常夏らしいかりゆし姿のひとを見かけながら、彼女はこんなところで18年育ち、東京へとでたのだなとその時初めて知りました。体験しました。
曇り空から少し覗いた太陽は綺麗で、だけれども雨が降りかねない天気へと徐々に変貌し、ぴったりと雨が降り始めた時間に葬儀は始まりました。
 
わたしは、足に力が入らず、何もできず、前日に慌てて福岡で揃えたはずの数珠を使うことも忘れ、カバンは葬儀の会場のどこかに置き忘れ、彼女のその成人式に撮ったばかりであろう遺影に、なにも、なにか言いたかったけど、なにも言えなくて、どんどんと足の力は抜けるもんだから立てなくて、なにもできなくて、ただただ呆然ともう居ない彼女の精神的なものにひとりで語りかけ、なにも、宙に向かってひとりで泣き続ける以外に、なにも、なにもできませんでした。

葬儀、告別式に出るまでもわたしはずっと泣き続けはしましたが、実際に葬儀に出たあとになって、わたしはその亡くなった事実をやっと受け止められたような感じで、涙は止まった代わりに福岡へと戻った直後から、わたしはずっと彼女の声の幻聴が聴こえるようになりました。
 
どこにいても。自分の斜め後ろあたりから、彼女の声で『姐さん、聞いてくださいよ』という声が何度もして、でもいやわたしは自分の部屋で一人でいるはずで、何度振り返っても彼女はいなくて。聞こえて振り返る度に、わたしは何かを聞いてほしかった彼女の声をどうして聞けなかったんだろうと、どうしてだとわたしのせいでもあるじゃないか、と繰り返し思わされるのです。
 
亡くなる前に最後に会った日から毎日。彼女からはとっても些細なことで、正直どうでもいいような話題で、亡くなる前日までラインのメッセージが送られて来ていました。それにずっとほどほどで適当な返事をしながら、彼女はなんかかまってほしいのかしら、としか思っていなくて、どうしてその時にもっとその些細なSOSをわたしは見逃したのだろうと何度も思いました。どうして。どうして。
 
わたしは心身ともにぼろぼろになってしまって、お風呂にも入らず布団から出ず、大学になんてとてもじゃないけど行ける状況ではなく、幻聴が酷すぎて眠れず、それを相談した心療内科で処方された薬をうっかり飲み過ぎたりして危ない目にあったりし、とにかくもうこのまま立ち直れないのじゃないかと本当に思いました。 
 
 
 
 
いま。
わたしは少しずつ立ち直って、いつまでもそうやってても何も進まないからと周りの大人に引っ張ってもらい、友人たちにごはんなども強気に誘ってもらい、仕事先の人にも迷惑をかけながら、みなさんに支えられてどうにかこうにか普段通りの生活に近いものに戻ってくることが出来ました。幻聴もほぼ聞こえなくなってきました。
 
決して彼女を忘れるわけじゃないですが、むしろわたしはひとよりも根強く覚えていると思うし、しつこいぐらい感受性が強すぎるために未だに電車等で突然彼女を思い出しては泣きますが、だけども前に進む為に、むしろ彼女のぶんも生き抜くために、わたしは彼女のことだけを考えすぎる時間はもう終わりにしなくてはいけません。それがなかなか、うまくいかなくて、彼女との最後に一緒に撮った写真を待ち受けにしては眺めていたりするのですが、だけどできるだけ早いうちにその写真を変更できるようになればいいなと今は思っています。
 
 
数日前、わたしは23歳になりました。
 
これから先、わたしは生きていくのだと思います。
というよりも、今まで、明日わたしがころりと死んでしまってもそれはそれでね、とどこかで思っていた部分があるのですが、そんなことを思うことは絶対にしちゃいけないんだなと今回のことを通して思うようになりました。彼女は、もっと生きられたはずで、生きたかったはずで、だからこそ苦しんだはずだと勝手に、勝手に思うしかできないんですが、だからそのぶんを年齢を重ねて、ちゃんと、生きていきたいなと思うわけです。 
 
わたしが24になって、25になって、彼女の重ねられなかった年齢を重ねて、何度だってその度に彼女をしっかり思い出すしかないんだなと思います。ありがちな、薄っぺらい言葉の結論になってしまったけれど、やはり何度考え抜いてもそう思うしかないという結論になりました。 
 
 
 
難しいです。
すごくすごく、難しいです。
早く彼女のそばにいかなくちゃ、なんて思ってしまうことは今もあります、正直あります。 
 
でもそんなの誰も喜ばないだろうし、何より彼女は喜ばないだろう。そして、ひとが命を絶ってしまうことに対してどれだけのひとが、どれだけのまわりのひとが苦しんだのか、葬儀を通して沢山見ました。だから、わたし死ねないよ、って自分に言い聞かせています。何度も、何度も、何度も。
 
 
突発的に「気づいてあげられなくてごめんねごめんね」と宙に向かって、わたしはまだ何度も突然泣き出します。授業に出ていても、そのことで頭が支配されて途中で帰宅することもあります。自分で携帯の待ち受け画面にしているくせに、携帯を見る度にじわりじわりと罪悪感のようなものが胸に冷たくて黒い水が、純度の高いひんやりとした水が注ぎ込むようなどきりとした気持ちになって、嘘をつくときに苦しくなるのに近い感覚ですね、あれがぶわっと広がります。
 
 
だけども、生きていきます。
生きていかなくちゃいけないので、生きていくしかないので、わたしはがんばります。
 
 
なんというか、たいそれた話じゃないでしょう、と思う人もいるかもしれません。確かにひとの死に毎度こうなっていたらば、わたしの人生これから喪服を着る必要があるたびにわたしはぼろぼろになっていくでしょう。でもそれは、ううん、いや、やっぱりそうなると思います。でもその度に、わたしはその場所で地面を踏みしめて、ぐっと立っていこうと思います。
 
 
当たり前のことなんだけど、それでもわたしは、生きていくんだなと思っていますし、生きていく、つもりです。

 
ご迷惑をおかけしたわたしの周囲のみなさん、ありがとうございました。ごめんなさい。
 
雨宮はもう、元気です。